今まるで
2021年、2022年、2023年に
戻っているような気分になる
この時の感覚にすごく近い
存在が考えていること
全てではないだろうけど
今2025年だよね?
数年前から
何の進歩もないってこと?
確かに変化はしているの
でも根本的な部分は変わっていないのかもしれない
そうだよな
何かやり遂げたいっていうものがあるなら
譲れないよね
諦められないよね
私だって譲れない時あるもの
表面的には合わせているように見えても
深い部分では自分の考えをずっと持っていて
それはずっと変わらない
機さえ整えば
その兆しみたいなものさえ見えたら
きっと自分がやりたいと思っていることも同時に行うと思う
そうすると一緒にやってきた側からすると
びっくりするだろうね
自分たちと考えを同じくしてって思ってたのに
実はそうではなくて
ずっと自分自身の思いを持ったまま
一緒に臨んでいたわけで
そう思うと裏切り者みたいな感じに見えてしまうのかな?
だけど私はもしもその考え方に表面的な部分でも合わせていたとしたなら
多少は納得してるんだと思う
どこかで折り合いをつけたんだと思う
そうじゃないと自分の気持ちに嘘つくことになって
苦しくてその場に入れるはずがないから
私はそういう人間なので
だからずっと自分の中に譲れないものがあるのなら
自分の中で静かに温めておく
時が来るのを待って
だけどその時が来たとしても
どっちかじゃないの
どっちもやってしまえ
どちらもあったっていいじゃない
あるいはベースとしては私とは違う考え方に合わせるけど
そこに少し重なるような形で
私自身の思っていることも一緒に乗せる
あるいは融合させて溶け込ませてしまう
そうしたらどっちもあるって言うよりも
新しいものとして
どちらの性質も生かしながら
進めていく
そういうことだってできるじゃない?
そしてそれがダメだとも思わない
それに反対する人がいるかもしれないから
話し合いは必要かもしれないけれどね
話を戻すけど
何なんだろう?この感じ
元々がそういう性質なのか
そういう性格的なものを持った存在
それってもうその生き物が持ってる特徴 みたいなものだから
なくすとかそういう話じゃない
だけど不安にもさせる要素
私にとっては不安材料
でも不安に思うっていうことは
その存在たちのことを信じられてないことになる
だけど言い訳させてもらうなら
信じられるとかの問題以前なの
やっぱり私には
攻撃っていうその言葉の中に
言うなれば神聖さを感じない
もっと平たく言うなら
愛を感じない
愛というものが丸いものだとするなら
攻撃そのものは丸というよりトゲトゲしいもの
先が尖ってて鋭利で痛そう
近づくのが怖い
先っぽがトゲトゲしくても尖ってなくて
少し丸みを帯びていて触っても痛くないもの
だったらいいのになぁとか
思うけど
やっぱり攻撃っていう言葉からは
敵意と入ってくるな感しかないよね
立ち入るな、立ち去れ
触るな、来るな
そういう頑なさみたいなものを感じるの
そこに行ける人は同族あるいは信用の置けるもの
なんかものすごいそういう圧じゃないけど
ヤバめのセキュリティのようなものを感じなくもない
警戒心が強いというかさ
うまく言葉にできないけど
なんかそういう雰囲気を感じる
で、どれがそれに該当するかなんてわかんないじゃん
まるで警告のように話すから
何々したら攻撃するってさ
気をつけてっていうよりも
攻撃するよっていう脅しにしか取れなくて
恐怖感を与えて
そこに近づかないようにすること
そういう見方もできるの
気をつけてほしくて
身を守ってほしいっていう意味もあるのかもしれないけど
でもどうしても違和感を感じるんだよねここに
本当に身を守ってほしいって言うのなら
攻撃なんて言葉使うかな
その言葉を用いようと思った理由がね
私にはちょっと分からなくて
どう受け止めていいんだろう?
こういうのを見ると
今2025年でだいぶ時が経ったなって思うんだけどさ
それでも根っこの部分にあるのが
今から3〜4年前とあんまり変わってないのよ
人類に対すること
人類以外のものでいわゆる闇とか魔とかそういうものに分類される生き物(エネルギー体)についての
嫌悪感みたいなものを神様自体が持ってる
根に持ってるって言うか
でも癒えてない
何があったのかは分からないけれど
どこかで負った傷みたいなもの
それは本当の傷もあるかもしれないけど
どちらかというと精神的な面
人で言うなら心
そういう深い部分での傷がずっと残っていて
尾を引いているような感じ
なんかそういう雰囲気みたいなものを感じるんだよね
人間のことをどうのこうのっていう前に
存在自身の方で問題ごとを解決しないとって思っちゃったりもするけど
でも誰かの役に立ちながらそれが自分自身の問題ごとの解決の糸口になるって言うこともなきにしもあらずだから
そういう方法を採っているのかな?
それとも自分たちの役割を果たそうと
そのことについては触れていない?
でも触れちゃってるよね
だってちょくちょく出してくるもんね
存在も存在で問題ごとを抱えているんだよ
この世界が不思議だなと思うのはそういうところもある
神様と呼ばれる存在だったら
人間みたいな悩みなんてないような気がするじゃない?
でも蓋を開けてみたら
存在もなぜか悩んでいるぞ
存在も困っている部分があるよ?
え、なんで?
どうして?と疑問が
だって見えない世界って
愛で溢れているって言うなら
そういう悩みなんてなさそうなのに
それなのにそうじゃなかった
自分自身が思ってたのと違った
これは何だ?
そう思ったらもう疑問だらけだよね
自分たちの心の傷を癒してないのに
人間たちにアドバイスしている場合じゃなくね?って思っちゃうんだよ
人を助けながら自分たちの傷も癒せるならいいよ
だけどそうならせめて物騒な言葉を出すのやめない?
そうやってなんか自分たちの激昂する気持ちをちらつかせるのやめない?
悔しい思いの中に
すごく重たいものを感じるんだよ
全然昇華させてないのよ
引きずってるの
その気持ちのまま
ことに当たろうとされても
困っちゃうわけで
そういうの抜きにして
それはそれこれはこれで分けてもらわないと
そこは神様なんだから
人間も自分の感情を隠せない時はあるよ
でもそれは人間だから
神という存在として存在するなら
そこはもうちょっと人間よりもスマートに
自分の感情をコントロールすることくらい
しっかりやってもらえないだろうか
どうしても無理なら
自分の神様とかそういうこと抜きにして
人類に相談するのもいいんじゃないの?
だってさ
これから人類と存在と一緒に世界を作ってくんでしょ?
もう完全にそういう流れ
だけどこれは前からそうだった
今に始まったことではない
以前よりそうだったの
だけどそれが顕著に分かりやすい形で外に出てきただけ
何も変わってない
こういう部分ではね
というよりも元々そういうものだから
一緒に本当は何かしてたはずなのよ
というか一緒に何かしてるものなんだよね
そういう持ちつ持たれずなあり方
そうだった
見たことはないけど
でもそういうお互いに協力し合っていた
感じがする
いつから今みたいな感じになったのかは分からないけれど
そしてこの変化は徐々にだったのかもしれないけどね
神様にひどいことを言ってるのはわかるよ
これってお姉ちゃんなんだからしっかりしなさいよっていうのと同じだから
私が言われたら嫌なことを言ってる
だからすごく自分の中にモヤモヤっていうのを感じる
自分がされて嫌なのにそれと同じことを相手にする
最悪じゃんって自己嫌悪
だけどお姉ちゃんというのは抜きにして
例えば職場で何かの役職についてたとする
どうしたらやっぱりその役職としての振る舞いっていうものは求められる
その時の私はとの役として務めなければならないじゃない?
それと同じことだと思うんだ
だけども確かにそれらしくあれって言われるのは苦しいし言われたら嫌だ
そうは言っても普通の人だものって
みんなと変わらないよって
だからできないことだってある
なので手伝ってって
頼りないかもしれないけど
難しいことは難しいし
できないことはできない
それを隠し続ける方が苦しくなるから
実際の自分と置かれている立場と
そこに解離があったら
余計に苦しくなる
本当はこうしたいって思ってるけれど
今の自分が持っている実力ではそうできない
そこに懊悩する
だけどせっかく私を選んでくれたのなら
頑張りたい感謝の気持ちを込めて期待に応えたいっていう気持ちもあるだろう
だけど実際どうかって言うと
その通りには行かないこともある
まるで神様に対して人のそれを見ているような気もしなくもないようで
なんかめちゃくちゃ失礼なことを書くかもしれないけど
時々かわいそうにも思えてくる
本当にそうありたいのかなとか
特に人間に勧請されてその場にとどめさせられている存在については
殊更そう思う
話を戻すけど
何をもってその言葉を発し
どうして行きたいのか
平和や調和と言った言葉だけを聞くと
素敵だないいなって思う
だけどその言葉に含まれているもの
それがいまいち私には読み取れない
そこにはやっぱり
平和や調和に攻撃という言葉はそぐわないと思うから
平和や調和という言葉がまるで表向きの飾りで
攻撃というそこに何らかの真実があるのではないのかと
そう勘繰ってしまう
日本の神様ってそういう存在なの?(全部ではない)
それとも日本の神様を騙った何かなの?
それすらも判別できない
だけど好きと嫌いが一緒にあって
私の頭の中は混沌としてる
でも心の中は淡々としてる
感情で言うならこれが本当だとしたら呆れている部分も確かにある
その他にも色々あるけれど
未だにこうなのかって
だけど一つの視点でしか見れてない
そういうことも否定できなくないから
結構偏って見てる恐れ大
自分自身の思考のパターンで話してる場合もあるし
経験則からこうかなって
勝手に想像してる部分もあると思う
きちんとその意図を理解したいがゆえに
誤った解釈をしている
そういうこともなきにしもあらず
難しい
存在たちに意地悪したいわけじゃないし
責めたり
いじめたいわけじゃないの
そういうわだかまりみたいなものがあるなら
解消できるように
人間たちだって手伝うし
全部の人が好意的に受け取ってくれるかわかんないけど
でも苦しいのなら
互いに助け合えばいいんじゃないの?
神と人間っていう身分がもしあったとして
これは仮の例えばなしだから本当にあるわけじゃないよ?
神様が人間に対して相談なんてできないよって思うかもしれない
それって社長がアルバイトに会社のことでこんな風に悩んでるんだけどって
話せるかと言ったら難しく思うじゃん
そういうのに近い
でも社長の仕事とか会社のこととか
アルバイトと社長では仕事の内容も違うし
詳しいことまではわからないけれど
でも話を聞くくらいならできるし
という肩書きみたいなものとかあるけど
でもそんなのただの肩書きであって
別に恥ずかしいことでも何でもないじゃない
年齢が上の人が年齢が下の人に対して相談をすることが難しい
年上だし長く生きているんだから何でも知っているのが当たり前で
下の子達に教えるのがごく普通
それはとても自然なこと
そんな風に見えるけど
でも目上の人が目下の人に相談することとか
年上の人が年下の人に悩みを聞いてもらう
教えてもらおうとする
それって本当に恥ずかしいことなのかな?
ダメなことなのだろうか
そこに立場とか身分とか年齢なんて関係ないんじゃないのって私は思ってるから
存在だって存在同士で解決できないなら
人の手を借りることだってアリだと思うんだ
困ってるから話を聞いてって
私はそれのどこが悪いのだろうと思うし
それで悩みが少しでも解消できる方へ進んだり
仲違いしてうまくいかなかったところが
良い方へ進むのであれば
そんなに素敵なことはないから
それだったら喜んで
自分自身ができる範囲で
手伝えるなら手伝うなんてことも視野に入れるし
困った時はお互い様ってことで
だからそういうのあってもいいと思うんだけどな
これも余計なお世話?
『分かったことと解せないこと』で気づきがあった