自分自身が信じているものが


信じられなくなった時


どうしたらいいんだろうなって


いつも思う


私の中では常に


あらゆるところで葛藤があって


毎回何でこうなるんだろう?って思ってる


それは葛藤についてではなくて


葛藤する出来事について


これは何を見せられているんだ?


一体何なんだこれは?と


私が世の中について(これは見える世界も見えない世界もどっちも含めて)感じていることとか


それらについて考えていることは


きっとおそらく


ものすごく少数で


あまりそういうことを考える人はいないと思う


結構変わったものの見方や捉え方をしていると思われる


だから誰とも話が合わない


同じような考え方を持つ人がいないから


相談することすらできない


そしてそれが皆が信じている


アイデンティティにも繋がるような


人の根管的な部分を象徴するような


その助けとなるような存在が


私の中では揺らぐ


本当に何を信じていいのか分からなくなる


それは物理的な面じゃなくて


精神的な目に見えない部分での話


しかもそれを人に伝えていいのかが分からない


時に真実は人を傷付け惑わすから


それはまだ知りたくなかったっていう人もきっといるだろうし


それぞれにそれぞれのタイミングがあるから


私が文字に起こしたとて


本人の意識がそれを選択すれば知ることにはなると思うけど


でも心の準備って必要じゃない?


私は突然だったけどね


調べて知って行く中でそういう出来事があって


当時の私は今も相変わらずだけど


ものすごく頭を悩ませた


色んなものが分からなくなった


外側に溢れているありとあらゆる存在からの言葉


その真意


それが何なのか


なんでそういうことを言うんだろう?


どうしてそういう考えに至るんだろう?


そういうことばかり考えてた


それは今も変わらない


人だから色んなことを考える


想像し得ることを沢山頭に浮かべて


こういう理由かも知れない


もしかしたらああいうことだったのかも知れない


あるいはこうだったのかも


もしくはこういう理由だったのかな?


またまたこういう考え方も出来るぞ


だけどこういう見方もできるな


でも結局その言葉たちは私が受け取ったものではなくて


見知らぬ誰かがその存在から受け取って


不特定多数に向けて話している


だからものすごく一方通行


仮に質問したって返ってくるのかすら分からない


意思の疎通が出来ない


どういう意図で持ってその話をしているのか


表面的には理解出来る


でも一番大事なのはその後ろにある深い部分での意図


それがまるで見えてくるようで見えてこない


話していることと思っていることが一致しているのか


そこがまるで分からない


分からないからこそ


よく話を聞くことが大事になってくる


そうやって話を聞いていると


話の中に矛盾や違和感を私は感じて


ただでさえ


考えと発言が一致してるのか分からないのに


存在たちからの耳を疑うような発言だったり


目を疑うような行動を見ると


もう恐怖でしかなくて


何を信じたらいいのかが分からなくなる


自分自身が思っていたこと


自分自身が思っていたもの


それだと解離するような行動を取る


存在たちは人間ではないけど


ちょっと言葉の持つ意味も違うけど


だけど身口意が一致してないような感じなの


思っていることと、話していることと、行動が違う


思っていること(真意)と行動は多分一致してる


人に向けて話していることと真意と行動が合ってない


深い部分での考え(真意)と実際に起こしていること(行動)は本当はこうしたいっていう思惑があるから一致するのは当然なんだろうけど


人間に向けて話していること


それと深い部分での考えは重なる部分もあるけど


そうではない部分もあるような気がして


だからおや?と思うような行動をするんだと思う


そういうのを垣間見た時に


いつも思う


この存在は何がしたいんだろう?って


そしてそれは今も変わらないなって思って


ものすごく残念になった


自分自身が信じてるものってさ


多分全部誰かの何かなんだよね


誰かが繋がった先の何かの存在なの


それが日本で言うなら何とかの神っていう存在になるんだろうけど


でもその人が話していることが


本当だったにしろ


本当にそういう存在の神様だったとしても


私はそこに


うんって頷ける感じがしないぞ


是とは言えない


否(いな)ってなりそう


そうなった時にね


じゃあ何と話すんだって


こんな風に色んな存在に対して


私は不信感を持っている


この不信感のある中で


どうやってカードリーディングしようかとか


私が疑問に思ってることって


人間に相談できないことばっかなんだよ


変なこと書くけど


これは決して人類のことを馬鹿にしてるわけじゃないから


私自身がすごいとかそういうことでもなくて


でもほとんどの人が持ってない考え


あまり見たことがないものの見方


本当にいたとしても


ごく少数で


身近にいるかなんて分からないくらい


耳にしない考え方


それにだいぶ精神世界について理解が深められている昨今だけど


まだ完全に受け入れられたわけでもないし


そういう目に見えない領域について話す人なんて大多数じゃない


どちらかと言うと胡散臭いか、怖いものか、奇跡的で神秘的なもの


そう言うものの見方になると思うんだ


確かに在るものだけれど


それは身近なようで身近じゃない


気軽でライト的、カジュアル的な意味ではパワースポット巡りとか、御朱印集めとか、占いとか夏の怪談話とかそういうものがあるけど


でもそういう類いじゃなくて


本質の、根源的なもの


そういうものについてはあまり言及されてきてないし


考える人も少ない


やっぱり人が飛びついてくるような話


興味を持たれるようなこと


そういう分野において一定の盛り上がりは見せるけど


でも大切な部分がまるで話されてないようで、、、


表面的な部分で耳心地のいい言葉をずっと話してるような


参考にならないものが沢山ある


量産されたをおもちゃ見てる気分なの


そのおもちゃはとても綺麗な音楽を奏でる


でも全部同じなの


似ることはある


でも基本的にずっと同じなの


コピーしていっぱい増やしているような


どこかで聞いたなっていうことばかりなんだ


それの何が参考になるんだろう?


そういうものが溢れたこの中で


またそういう話を聞いて


自分で考えることをやめ


そのままその言葉をそっくり受け取る


そういう人たちが多い


その中で精神世界について知っているからと言って


相談することなんてできるだろうか


誰にも相談できない


かと言って


見えない存在に相談できるとしても


見えない存在に相談するのも怖い


だって言ってることとやってることが全然違うから


思っていることと話していることが全然違う


その真意が見えて来づらい


それが私にとっては混乱するし恐怖の対象


そういうことをしてくる存在に対して信用なんてできないよ


もちろん全ての存在がそうとは限らないけれど


でも怖いよ


私には不誠実に見えるんだよ


だって言ってることとやってることが違うんだもん


思っていることと言ってること何で一致してないの?


責めてるわけではないけど


でも疑問を持ってしまう


どういうことなんですか?と聞きたくなる


だから表面的には調和とか平和とか口にしてるけど


でもその存在たちが思う調和や平和と


私自身が思う調和と平和はもしかしたら違うのかもしれない?って


同じ言葉、同じ響きだけど


その中に含まれている意味合いは


果たして同じなのだろうかって


それはもうずっと前から思ってる


そしてこうも思っている


神様だからって間違わないとは限らない


神様だからっていつでも正しいとは言えない


自分自身が正しいって言いたいわけじゃないけど


神様と呼ばれているからと言って


いつでも正しい道を進んでいるのか?と問われたら


私は何とも言えない


絶対に大丈夫だ、絶対に安心だって言えない


愛の存在だから


きっと大丈夫


絶対に私たちが困るようなことなんてしないって


どうして言い切れるのだろう?と


常に思ってる


人が思う愛と


根源的な愛


そこには多分理解の範囲を超えたものがあって


それでもってこの世界はあらゆることが許されている


そういう世界だから


何があったっておかしくない


だからこそものすごく慎重になるし


沢山のことを考えてしまう


だけどいつも思う


私が不安に思っている存在たち


それは私ってはない誰かが話した存在であって


私にはある意味関係ない部分でのこと


仮に私が何かの存在に相談をしたとして


私を通じて繋がった存在は


私という人間が主体となっている


同じ存在でも全く別の側面を見せるかも知れないし?


存在って次元を跨いで存在している感じがするから


あらゆる次元に多岐にわたって存在している?


うまく説明できないけどそういう雰囲気があって


だから見えてくるものが違うかも知れない


もしくは全く別の何かに繋がるかも知れない


そこではもっと違う見方で話をしてくれるかも知れなくて


だから勝手に存在ってそういうものなんだって


そういうものというのは


人間とあんまり変わらないかも知れないこと


人と近しいような考え方を持っている


それは時に良い意味にもなるし良くない意味にもなる


今使っているのは後者の意味で


その人とあまり変わらないかも知れない


神様だから人間とは違う視点で


もっと閃きとか


思ってもみない驚くような発見をもたらすとか


そういうものの捉え方があるんだとか教えてくれる


そこには人間で言うところの人間性が良いとか


人となりが素晴らしいとか


尊敬するような生き様をしている


師と呼べるような


そういう存在であってほしいって私は思うんだ


そうじゃないと何のために神としているの?って


これは神様っていう存在に対して


こうでなきゃダメだっていうスタンプを押してるかもしれない


神様にだって学びの段階はあるだろうし


いろんな神様がいたっていい


だけど私はどうしてもこんな風に思っちゃうんだ


神様って人間に神って呼ばれるぐらいなんだから


神らしいことしなさいよって


そういう名前があるなら


その名前に見合うような行動をしてって思ってしまうの


神って呼ばれるなら神らしく振る舞いなさいって思ってしまうの


人間と同じような発想では困るって思ってしまうんだよ


だって人間だけで分かること(人間が思いつくようなこと)だったら


別に神様なんていらないんだよ


神様いなくても良くない?って思っちゃうの


なんなら神様よりもできた人間っていそうだなと思うぐらい


そのくらい人となりが素晴らしい人間も中にはいると思う


人間と神様どっちが素晴らしいとかじゃないけれど


あまりにも人と変わらなければ


神でいる意味がないなって


なんかそうやって人間に


神っていうものを認識させて


神と人間で何かやっていこうとか言ったりするけど


ただでさえ人間同士ですらうまく行かないことがあって悩むのに


見えない存在がそうだったら


どんだけ悩むんだよっていう、、、


テレパシーみたいなもので


やり取りができるからどんなことを思っているのか


すぐに分かるって言うけれど


でもここも懐疑的なの


本当に理解できるのだったら


存在同士で争うことなんて起きてないと思うから


もっと別の方法で解決できたと思うから


だから何もかもが分かるとは私には思えない


本人の意思によるところだと思う


お互い信頼しきっていれば相手の心の深い部分まで見えるかもしれないけど


でもそうでなかったら多分見れないと思う


筒抜けないようで筒抜けなのかな?って


どこからどこまでを把握してるのか


私にはちょっとよく分かんないけど


でも多分感情は伝わるんだと思う


だけどその感情そのものが本当にその人自身なのかっていうと何とも言えない


だって感情って人間にある独特なものだから


だけどなぜか見えない存在も持ってたりする


人(の世界)と近いとそうなるのかね?


スピリチュアルに詳しくないから分からないけど


何にせよ


私という人間を通しての話ではない


私が受け取る言葉は


そういう類いじゃない


全く別のもの


同じ日本の神様でも


全く別の答えを返してくる


どうこうしようっていうのがないんだよね


本人たちに委ねてるところがあって


あれをしなさいとか


これをしなさいとか言わない


ただ 確かに神様の領域みたいなものがあって


それを人間の言葉で言うと神域っていうのかな


ここからここまでがなんとかの神が管轄してる場所


ここからここはほにゃららの神がまた別に管轄してる場所ですみたいな感じのことは聞いたことがあるけど


という風になんか場所が決められてる?っぽい


あと神様ネットワークっていうのがあるらしい


だけど私自身そういうのについても半信半疑で鵜呑みにはしないの


だって本当かどうかなんて分からないじゃん


だから口外することってほとんどなくて


自分の中だけにとどめていることが多い


それに他者に知らせる必要もないなって思ったりもして


だってそれを知って何になる?って思わない??


私は思っちゃうんだよね


そういうこともあるんだろうなとは思うけど


そもそもそれの活用の仕方とかよく分からないし


活用するとしても何に使うの?と


見えない存在にお願いしたとしても


目に見えないしさ


で、私が生きているのは


目に見える世界なんだよね


だから自分で勝手にやっちゃうと思う


だって体のない存在に何か運んでよって言ったところで


運べますか?っていうことなのよね


自分で運んだ方が早い


そういう考え方をしちゃうから


残念ながら教えてもらったとしても


活用する場がない


それに私結構現実的だから


もちろん人間はスピリチュアリティな部分も持ってるけれど


でもやっぱり物理世界を生きているから


見える形で分かるようにしてもらわないと中々に信じがたい


それに加えて存在たちへの不信感があるから


ダブルで信じがたい


でも自分自身が受け取ったものすらも


疑うっていうことは


結局存在がどうのっていうよりも


私が私自身を疑っているっていう事でもあるんだけどね


自分のことなのに自分を信じられない


つまりは自信がないっていうことなんだけど


でもなんかよく分からないものを


盲目的に信じることなんてできないよ


頭の片隅には置いておくけどさ


だけど自分自身を信じて


聞いてみるしかないよね


じゃないとカード読めないもん


カードを読んでるけど


でもなんか時々


カードを読んでるような気がしない時があって


上手く説明できないけどね


カード以外の何かなのか


これはカードに描かれている存在なのか


ちょっと自分のことなのに私にも判断し兼ねるんだけどね


だいぶ長くなったけど


結局何が言いたいのかって言ったら


私ではない誰かの話


それは外側のものである


だから外側のものを信じるのかい?って


自分が自分に問う


あなたは自分以外の者から得るもの


それをそのまま受け取る?


それとも自分自身の心を通したり


自分自身の内面で感じること


それを信じる?


一体どっちの方が大事だろうか


もちろん外側に見ること


これは自分自身の内面を映すこともある


でも私自身が感じているもの


それについてあなた(私自身)はどう思うのか


本当は知っているでしょう?と


そうではない存在もいること


だからこそ余計に悩むこと


悲しくなってしまうこと


でもまたそこであなたは知ってるよね


その感情は確かに私のものではあるけど


でも私のものではない


そのことにも気づいているよねって


一番大事なことは


自分自身が


これは人間としてというよりも


本質っていうよりも


根源的な意味での


どう思うのか


私の根源的な部分ではそれらについて


どんな風に捉えているのかっていうところ


そこが一番大事な気がして


それを自分に問うている


それを確認するためのブログ





















人に相談できないから


見えない何かにって言ってるけど


でもこれは


もしかすると


自分自身との対話とも言える


第三者を持ってくると


途端に不安になる


相手がいること


それは私自身の認識にもなるんだけど


私がここにいるっていうね


そういう部分ではいいんだけど


でも本当に大事なことを相談する時


そこにあるのは信頼関係


その信頼関係を私は見えない他者と取れてない


築けていない


とっても不安定で


脆くてすぐ壊れてしまう


だから何かに話すっていうことを恐れてしまう


でも自分自身では分からないこと


それについて解決させたい


そういう気持ちがあるから


やっぱり自分以外の何かからアドバイスをもらいたくなる


だけども不安や怖いという気持ちの方がどちらかというと優勢になる


それでも質問するし


回答をもらったりするの


でも何と話しているのかは分からない


分からないけれども


その時に怖さはないの


どちらかというと何にも感じない


安心感もなければ


恐怖感もない


何にもない


何も思わない


無そのもの


嬉しさとか悲しさとか色んな感情があって


ネガティブだとかポジティブだとか言われるけど


そのどちらにも振れないの


どっちにも偏らない


何も感じないから


ただ頭がすっきりするか眠たいかのいずれかにはなるけど


基本的に何も思わない


凪いでる


でも五感を奪われてるわけではないんだ


ただ心の中は落ち着き払ってるなって


そういえばそうだなって今書いてて思った


だから


もしかしたら


自分自身だから何も思わないのかな?って思ったりして


私も認識していない私?


これは別人格とかそういうのじゃなくて


どこかの別の場所にいる私っていうのでもなくて


根源的なものなのかな?


なんだかよく分からないけれど


でも自分自身が知らないこととか


今まで気づけなかったこと


そういうものが知れたりする


だから別の何かなのかな?と思ったりもするけど


でもそもそも自分自身の根源ってさ


今みたいに制限があるわけではないし


生まれてくる前の記憶を無くすなんてこともないじゃん?


基本的にいろんなことを知ってるし


何でもできる


そういう存在が私たちじゃない?


今は人間として生きているけれど


だから元々そういう存在だから


人間としての私は分かってなくても


でも本当は知っているんだろうなって思ったりすると


どこかから引っ張り出しているような気分に陥るけれども


でも本当はそうではなく


私自身から私がインストールしてるような?


そういうこともありえるのかな?なんてね


思ったりもして


それが本当かどうかなんて知らないけど


そんなことは分からない


だってこれ全部空想だから


こういうことももしかしたらあるのかも知れない?なんて思ったりしてるだけで


これが正解だとは思わない










『分かったことと解せないこと』で気づきがあった