1つ前の続きみたいなものかな


泣きたくなってくる時があって


人に対しても


存在に対しても


この世界に対しても


自分に対しても


嫌になっちゃう時がある


もう何もかもが嫌いすぎて


何も見たくないなって


そういう時があるんだよね


この世界が


(現実的に考えると)


自分一人で成り立っているとは思ってない


何者かの働きによって


うまく循環してるなって思ってるの


この世界は不調和のように見えていて


実は私はとっくのとうに調和していると思っている


だけどその調和の基準っていうものが


こういうものだよねって


決まっていて


その状態に持って行こうとしている


理想の形へとね


その理想の形というのがそれぞれに違うから


そこで摩擦が起きたりしてる


私なんかはさ


こんなにありとあらゆるものが


様々な形でもって存在しているこの世界そのものって


すごいなって思ってるんだよね


よくこんなバラバラのものが


対立をしながらも


それでも存在し続けてるのが


ある意味すごいなって


そこに善悪を見つけて


感情でもってその出来事を見ながら


どちらが良いか悪いかを決めて


そこに当てはめながら


これはどっちなんだろうなって見てる


それを見るのがね


疲れてきちゃったんだよね


でもってさ


自分自身の中にもそういうのがあるなってことにも気づいていて


自分自身が発している言葉と


自分自身の内面で思っていること


考えていること


ここにちぐはぐなものを見つけては


なんだこれって思いながら


ずっと自問自答してる


ぐるぐるしてるけれど


でもこういう状態になっている自分自身が嫌いってわけじゃない


考えて悩むこと自体を嫌ってない自分もいる


だけどもやっぱり疲れる


一つ一つしっかり向き合うと


この世界の矛盾点みたいなものも見えてきて


苦しくなってくる時もある


結局何がしたいんだこの世界って思っちゃうんだよね


この書き方には語弊があるけれど


でもこの状態だとそういう捉え方になるかな


何がしたいんだ?この世界ではなく


本当はどうしたいんだ?自分はなんだけどね


でもまるで世界の方が人を存在をどうにかしているかのような


そういう錯覚にも陥るし


だけど本当は全部逆じゃない?


私が自分でそういう世界にしているのだから


自分自身がそう思ってればそうなるよなとね


考えもつかないところで


何か思っていることがきっとあるんだろうなと


だからそれが現実化したのかなと思ったりもするけど


でもどこからどこまでがそうなんだろうなってのもあって


線引きって難しいなって思いながら


この世界をずっと眺めてる


この観測しているような観察しているような


こういう感じはさ


私がこの肉体を手放すまでずっと続くんだろうか


はたまたこの肉体を手放しても続くのだろうか


他の人にはどんな風に映っているんだろう?


私は別にと自分自身が特別な人間だとは思わない


ただ様々なことに気づいてしまうっていうことはあるけど


でも気づきすぎるのもね


疲れちゃうね


スピリチュアルを楽しいって思ったことがない


スピリチュアルを知った時


というか思いもかけず知ることになった


元々こういうのに興味なかったし


とりあえず長くなるから話を戻すけど


知って行った中でと言った方がより正確かもしれない


スピリチュアルを知ると元気がなくなるんだ


なんか個人的にそういうものを知る前から思っていたのとどうにも違うなって


割と現実的っていう部分もあるけど


シンプルだけど複雑な感じがして


知れば知るほど何とも言えない気持ちにさせる


なんかそういう分野だなって思った


様々なことを理解するほどに


距離を置きたくなる


関わり合いたくないなって思う


そういうジャンル


だけどすごく人気なんだなって思って


どこが良いんだろうなって思ってる


高次元の存在に憧れとか持つんだろうか


でもその見えない存在の何がいいんだろうね


私は見えたり聞こえたりとかそういうのないけど


あんまり好きになれないな


全ての存在が面倒くさい存在ってわけじゃないけど


でもただでさえ見えないのに


何をどう信じろと?って思ってる


でもそれは全部私ではない誰かのもの


だから私ではないって分かってるんだけど


でも結局それを見ているのも自分自身がつくってるわけでしょ?


そうなると自己不信にも陥る


それからこの世界ってさ


(大事なこと書き忘れそうになってた)


私一人でつくってるものじゃないから


様々な出来事が影響し合って


紡ぎ出されてるような


そういう意味では一人一人が糸のようでもあるし


パズルのピースとも言える


あるいはあまり好まれないかもしれないけど


歯車のようなものでもある


そうやってこの世界の一部として


全員がこの世界をつくってる


だけどこれは人間の社会がよく言う


会社の駒とか歯車と言う


そういう気分が落ち込みそうな


憤りを覚えそうなものじゃなくて


単純にこの世界の一員として


この世界を構成しているものの一つとして


必要不可欠なもの


そういう意味での歯車


嫌な意味じゃなくてね


でもこの世界は


この世界があるから私たちがいるんじゃなくて


私たちがいるからこの世界があるっていう感じもするんだよね


スピリチュアルの何が疲れるかって言ったら


誰かと何かをすること


その誰かがいるから私がいる


その誰かがいるから存在できるとか


うまくいくとか


現実が変わるとか


何かありきになってるのが嫌でしょうがないの


確かにそういう部分もあるのかもしれないけれど


でも外側の何かが私に何かをしてるのではなくて


本当は私自身が自分から外側に働きかけてる


多分そういうことなんだと思うんだ


確かに外側からも自分には影響するけれども


でも結局のところそれすらもどうするのかって私自身によるところが大きい


なので


見えない存在ありきっていうのがちょっとなんか


私の中では引っかかってる


見えない存在がいないと人間がまるで何もできないって言われてるような気がして


誰もそんなこと思ってないと思うけどね


でも今までの人類の歩みを見てると


存在がいてこそな感じなんだ


でも私からすると


私たちがいるから存在はやることがあるんじゃないのか?って思うんだよね


だって私たちがいないと何もできないじゃない


姿形がないんだから


これは傲慢な考え方じゃなくて


事実としてそうでしょう?


いくら地球に何かしようとしたって


見えないものを見えるようにできる存在である


人がいないと何もできやしない


そう思うと


別にどっちが偉いとかそういう話じゃないけど


人ってすごいよなって思ってて


だけど人って残念な部分もあって


なんか複雑になるんだよな


そんな私も人間だけどね


私は正直に言って


存在が嫌い


だけどこういう私でも生きていてもいいよっていう世界なんだよね


ここって


時に残酷ではあるけど


優しい世界でもある


だから嫌いだけど嫌いになれない


でも嫌いなんだよね


この嫌いっていう気持ちをどうしても払拭しづらい


だけど心から嫌いだって言ってるわけではなくて


どうしたらいいんだろうなって思ってる


どこかで折り合いをつける


折衷する


そのために必要な事って言ったらさ


分かり合うこと


分かり合うには話し合う


今のところ私の頭の中に浮かんでいるのは


そこかな


現実的に見ても


見えない世界的に見ても


互いに相手がどう思っているのか


それをよく知ること


何が好きで何が好きじゃないのかを


でもそこに


正しさを見つけようとすると


途端に雲行きが怪しくなる


だってそれこそ正しさなんてあってないようなものだから


少しでも自分自身にとってマシになるように


考え続けよう


どうしたらもっと


目に映るものが


心に響いてくる音が


私にとって心地よいものになるかを


だけど忘れてるわけじゃないから


私しかいないわけじゃないってこと


この世界はたくさんの存在で成り立っているってこと


それは忘れてないよ


こんなこと書いてるけどね