スピリチュアルの調和、平和、本質
それはものすごく窮屈
例えるなら
仲良しであること
これ自体はとても素晴らしいことである
だけど別に仲良しでなきゃいけないってことはない
この人としてのあり方、この中に仲良しも入っている
他の人に優しくしましょうね
みんなと仲良くしましょうね
そうやって仲良しという枠があって
その箱の中に自分を押し込んでるような
詰め込んでいるような
それに当てはめようとしているような
そこから外れた人はよろしくない
まるでそう言わんばかり
でも仲良しってどういう状態が仲良しなの?
仲良くなるってどういうこと?
仲がいいっていう その見方
それは人によって全然違う
どういう状態をそのように捉えるのかなんて
それぞれにそれぞれで違うんだから
仲良くあれっていうこの言葉
こうやって言葉で人を縛ってその中にいさせようとするのは違うし
その言葉に従って自分をその中に該当させようとするのも違う
人にそうでなくちゃだめだよっていうのもおかしいし
そのように私は思うの
スピリチュアルの本質で生きるっていう言葉
調和という言葉
平和という言葉
私にとっては
正直これと変わんない
調和の世界に生きましょう
本質のあなたでいましょう
あなたの本質は何ですか?
なんだこれって思ってる
もちろん上に書いたような仲良しの例と同じ意味合いで使ってるとは思ってない
もちろん何が言いたいのか
なんとなくわかる
だけどわかるけれどわからない
どうしてもわからない
特に本質
何について本質って言ってるのか
どういうことが本質なのか
それがまるで見えてこなくて
何なんだろうね?この本質っていうのは
けど本質って自分と一致して生きる確かにこれもそうだと思う
そうなんだけれども
本当に言いたい事っていうのは
魂ともまた違っていて
元々の自分の状態を思い出すっていうことだから
それは形なきものなんだよね
だって意識なんだもん
意識そのものだから
別に何もないんだよね
私というものすらもなくて
あなたという存在もない
源とか言ってるけれども
正直その源っていうものも源として認識できない
だって源と私っていう風に2つ以上あることは
比較の中にいるわけで
対象物がないと私というものを認識できないし
それは源も同じなわけじゃん?
言ってる意味わかる?
相手を認識するっていうことは相手がいないとダメってこと
相手がいるから私っていう存在を認識することもできる
つまり2つ以上の存在がいるということは
誰かと誰かがいるわけで
それってスピリチュアルでよく言う分離 ってやつだと思うんだ
別に分離してるわけじゃないんだけど
そのように言ってるものだと思う
その状態はこの二元性の世界を生み出してるんだと思う
詳しいことは分からないけれど多分そういうこと(二元性の世界)に関係してるんじゃないのかなと
多分だから違うかもしれないけどね
何にせよ区別する相手がいる
区別する相手がいるその世界それは本質とは違う
だって本質はそういうものじゃないから
何度も言ってるけど
私すらない世界なんだよね
なので神様とか存在とかそういうものすらもいないはずなんだけどな
でもスピリチュアルの世界では高次元の存在とかいるし
これは何なの?
だからスピリチュアルの言ってる本質って何のことなのかわからない
何が本質なんだろうなって
めっちゃ混乱する
何のこと言ってるのかがわからない