本質にないもの


本質は意識


思考は人に備わったもの?


でも


人は本質にないものを見るし癒そうとする


人として生きる中で経験したこと


今生きてる自分が幼い頃に経験した苦い思い出であるインナーチャイルドだったり


今の自分ではない自分について話したり(前世や過去世)


過去世は過去体験した魂の歩み全て


前世は今の私の一つ前の魂の歩み


カルマについても前世や過去世でやらかした自分の悪い行いの解消と言った謎の内容だったり、ご先祖のカルマとかよく分かんないの


私達の肉体は確かにご先祖がいての賜物ではあるけど何で他人のカルマを先祖だからって持って来てるのか個人的には意味が分からない


言い方が悪すぎるけど先祖は子孫に自分のカルマを押し付けてるってことになるけど、、、


そう言うことするの?


というかそう言うことしちゃって良いのかなぁ?


なんのカルマか知らないけど本人が自分で解決しなきゃ意味なくない?


そう思うとこれ本当にそう言うことあるのかな?


前世、過去世含め先祖のカルマって実は誰かが勝手に作ったものじゃなく?


前世も過去世も自分の魂、だから今生きてる私がそのカルマを引き継ぐのは当たり前?


もしカルマが魂のやり残しがあってそれを経験しに来てると言う意味ならまだ分かる


でも私ではない私が生きてる時に自分でやらかしたことを違う自分に任せるってそんな理不尽なことあってたまるか


スピリチュアルってこう言う普通に考えてありえないような、めちゃくちゃなことを平気で言うことやめましょう?


しかもそれをさも当たり前な常識的な感じで話してくるけど


何をわけわかんないこと言ってるの?


正気?


そんなこと本当にあっていいと思う?


そういうことがあまりにもごく当たり前に言われているからってそれは本当にそうなのか


私は誰かが勝手に言い出したことじゃないかなと思ってる


確証はないけど


だけどなんか変なんだもん


しかもカルマにも種類がいっぱいある感じで


なんかすごい複雑なものを作り出しているような?


しかもカルマの清算って本来の意識の状態にはそもそもないものであって


カルマ自体を悪いものとして捉えすぎてるような気もするし


その意味不明なカルマって言うのも本当に必要な経験だと思うならすればいいと思うけど


それって本当に自分自身が体験したいことなのかな?


そもそもその身に起きている出来事をなんで前世や過去世、先祖等のカルマって分かったんだろうね?


どうやってそうだって理解したんだろう?


自分自身のことだから自分で気づいた?


それともどこかに相談しに行って誰かに言われたのだろうか


なんでかわからないけど人は自分の身に降り注ぐ自分でもどうしようもできない出来事に対して何かのせいにする


スピリチュアルでは全部自分のせいだよって言うけど


それでも思うんだ


自分のせいって言いながら結局カルマっていうもののせいにしたり


様々な理由をつけて自分のせいって言いながら他のもののせいにしてるんだよ


自分の内側がどうのって言いながら本質とは全然関係ないことを言ったりするし


それがよくわからない


でも思考と意識どっちも大事なんだと思う


最初は意識の方が本質の自分を思い出せるし大事だろうなと思ったりもしたんだけど


だけどこれだけスピリチュアルが(変なのも含まれてるけど)人間の世界に浸透してるっていうことは意味があってのことだと思う


どんな意味を見いだすかは人それぞれだけど


そしてスピリチュアルでもきちんと真理を伝えている人もいる


同じスピリチュアルの話でも意識領域の話とか話してる人もいるんだよね


ヘンテコなスピリチュアルもあればきちんとしたスピリチュアルな話をする人もいて


スピリチュアル自体が玉石混淆状態だから


スピリチュアルって一言でまとめちゃっていいのかなって思ったりもすることが結構ある


それに基本的にスピリチュアルってイメージの世界が多くて想像っていうことは思考の中って感じがするじゃない?


でもその思考の中の話をするけどきちんと本質の意識の話をしている人もいる


そう思うと区別して話すようなものじゃないんだなっていう


思考の中の話でも気づこうと思えば気づけるのかと言う気づき


思考と意識のバランスが大事なのかもしれないなっていう感じが今していて


でもそのバランスってきっと人それぞれに違うんだと思う


冒頭ら辺に書いたインナーチャイルドについてもこれはスピリチュアルから来てるのかね?


なんか心理学とか臨床心理とか精神医学とかなんかそんな感じがするんだけど?


トラウマの解消とかそういうところで出てきそうな?


もちろんそれも見えない領域を扱ってるから精神世界といえば精神世界の話だけど


なんかいろんなものがごっちゃになってるような?


これが悪いってわけではなくてスピリチュアルに混ぜていいものなのかがよくわからない


それも好きにしたらいいと思うんだけど


なんか分野が違うというか


扱いきれてないような気もするの


付け焼き刃みたいな感じで話してるような?


よくわかってないんじゃないのかなって思って


スピリチュアルではそういうことが言われているから言ってるっていう感じがするし


そもそもそれこそ意識の状態ではインナーチャイルドは関係ないしね


本来の自分自身の姿、自分自身の本質にはインナーチャイルドっていうものは存在してない


それは今生きている私が体験した中に入ってることであって体験自体は経験として自分の中に確かに残るものだけど


それは本質ではないよね


私の本質はインナーチャイルドではない


幼い頃の苦い思い出は単なる思い出っていう経験でしかなくてそれは私自身の本質じゃない


それを癒すとか癒さないとかそれは好きにしたらいいと思う


それによってスッキリして私らしく生きれるようになるのであればそうすればいいと思うんだ


だけどそこに着目ばかりして癒していても本質として生きているかと言うとこれは少し違うんじゃないかなと思う


癒すことは出来たけどこれは一つの目的を達成しただけであって本質で生きてるわけはない


カルマについても同様


個人的にカルマってなんか重たいものと思ってないの


どっちかって言うとカルマってないと思ってたりするのね


仮にあったとしたらそれこそ原因と結果 みたいな形で


今生きている私が自分で何かをやる、それによって起きた出来事


それは自分がやったことなのだから自分で解決する


でもそういう意味ではなく


カルマ、カルマって言うから


何かあるんじゃないのかなと思って考えてみても


やっぱりよくわからない


それで一つ言えることといえばやり残してきたことをやる


このくらいしか浮かばなかった


前世とか過去世とかそういう話が出てくるじゃない?


そこのカルマとか言われても全然ピンとこないの


むしろもうすでに書いたけどスピリチュアルで言われているカルマって結構重たい


業とか悪い行いを解消するための出来事 みたいな感じでなんで罪滅ぼしみたいな感じになってるんだって思ってるの


こんなに苦しい思いをするのも、嫌な出来事が重なってくるのも


全部カルマのせいだと


そのカルマの解消のために起きているっていうこの意味のわからない話


今生きている私には全然身に覚えがない


そういった時にあなたの過去世とか、あなたの前世での行いが今生きているあなたに影響を及ぼしているとか


あなたは先祖のカルマを背負って生きているとか


正直に言っていいそんなわけのわからない話あるのか?って私はやっぱり思っちゃうわけ


だって過去世の私、前世の私、自分がやらかしたことを今の私になすりつけるな!自分でやったことは自分で責任を取れ!こう思うのって普通じゃない?


今世いろんなことをやらかしまくって亡くなりました


じゃあ次の私よろしくってことになる?


そんな責任転嫁みたいなことするんだ?


そもそもこの時点で変だと思うんだよ


目に見えない世界って


いいとか悪いとかないんだよね?


だけど自分が行ったよろしくない行いを解消するために嫌な出来事が起こる


人間の世界ではいい、悪いはあると思うんだ


それが見えない世界ベースで行われているってよくわからないんだけども?


やらかしたことを解消するっていうことはそのやらかした事ってよくないものってことで認識されてるよね


またその良くないものを解決するためには自分にとって嫌な出来事を起こし、それでもって解決するっていう


一見すると理にかなってるような感じに見えるけど


なんかものすごく善悪があるなって


罪滅ぼしみたいな感じに見えちゃうのよ


償いをさせてるっていう感じなの


ということは罪と罰というものがあるっていう考え方がスピリチュアルにはあるっていうことでしょう?


でも本来の意識の状態って罪とか罰っていうものは存在しないはずなんだよね


だけどそうではない


これを生み出す理由とかきっかけは絶対あって


私が思うに人の意識の問題だと思う


好きなようにしていいんだよって言ったら本当に好きなようにする


それこそ本当に自分の思うままに


だけどそれだと単なる獣みたいな状態なわけで


自分の本能のままだけに動いて理性とか何にもない


他者のことを何にも考えずに自分さえよければそれでいい


そのように勘違いする


自分勝手に振る舞い、自分のことしか考えない


だって好きにしていいって言ったよ?


別にいいも悪いもないなら何をしたっていいでしょ!


だって好きなように生きていいって言ってるじゃん?


私らしく生きていいんだって


じゃあ私らしく生きるのであれば私はこうするの!


これが人の迷惑になろうと、被害があろうとそんなことは関係ない


私がやりたいことをやってるだけなんだから!


それの何が悪いの?


だって本当は罪も罰も何もなくて、悪いことしたって咎められるわけじゃない


これも必要な経験だって認めてくれるんでしょ!


本当の意識の状態だったら悪いこととかいいこととかそういうものが何もないじゃん!


自分の心が望むまま、好きなように生きる、それを私はやっているだけ


なんで止めるの?


どうして怒られなきゃならないの?


どうして罰せられなきゃいけないの?


こんな風に思うような人がいたかもしれないじゃない?


これは本質とはだいぶ外れてるけどね


本当に自分の本質の意識で生きるのであればこんな風には思わないもの


自分さえよければそれでいい


こんな風に思う人がいるかもしれないから今みたいな感じのスピリチュアルができたのかもしれないよね


これはある意味抑止力になるからね


そういう意味もありそうだなって思った


元々ないものだけど概念として今なお残っている


それを生み出すことになった経緯を考えるのであればそういうことかなって思う


けどこれも想像だから何とも言えない


個人的にそう思ってるだけであって


それがいろんな地域で起こったんだと思う


中には罪人を助ける役目を持った存在もいる


これもそうだと思う


人の慈悲が生んだものじゃないかなって


元々ないけどでもたくさんの人がそれをそうだと思っているし


それをそうだと信じている


だからそれは今はもう空想の話じゃなくて実際に存在している状態になってる


人の想いがそうさせた


因果応報と言う意味以外のカルマ含めてそういうものだと思う


様々なカルマも何目的で言い出したのか がちょっとわからないから本当に想像することしかできないけど


テキトーなことを言った説


解決できないからそういうことにしよう


相談しに来た相手の話を聞いても全然原因が分からなかった


なんとなくのイメージは村人と牧師ね


寸劇の始まり


相談者「私こんなことがあって困ってるんです。」


牧師「そうなんですねぇ、、、。」


しばし考え込む牧師


牧師「、、、(うわぁ、、、こんなのわかんないよ?


知らないよ、ええーっとどうしようかな


あ、カルマってことにしとくか


でもなんの?


あ、前世にしとけばいっか)」


牧師「あなたの身の回りの嫌なことの原因は前世のカルマです。」


自分では解決できないからでたらめを言う


違うパターン


村人「こんなことがあって困ってるんです。何が原因なんでしょう?」


牧師「そんなことがあったんですね、、、。」


牧師考える


牧師「、、、(原因不明すぎるよ?


何が原因?


この人自体に原因なさそうだけどなぁ?


でも何かあるからそういうことが起きるんだよね?


でも何が原因なんだ?


分からん


でもこの人自体悩んでるな


何かしら理由があった方がまだ納得しやすいか、、、?)」


と思い悩んだ結果カルマのせいにした


牧師「あなたが悩んでいる原因はカルマのせいです。しかも今生きているあなたではない過去世のあなたのカルマです。」


こういうことの積み重ねがあって?


村人「何でこんなひどいことばかり起きるのでしょう?私は日々つつましく過ごしているのに!なぜ?!」


牧師「そうですねぇ、、、。」


牧師「、、、(この方は


確かに日々つつましく過ごしている


でもなんでこんなに困ることが起きるんだろうか


他の牧師さんたちはどんな風に解決していたんだろう?


おかしいなあ??


本来はこんなこと起きないはずなのに?


うーん、、、


カルマなのかな?


でもカルマって自分がやったことに対して起きること


この人はそんなことしてないけどどこかでそういうことしてたのか?


それとも人は生まれ変わるから


この人が生まれてくる前の人生が影響している?


ということもあるのだろうか?)」


牧師「はっきりとは申し上げられませんが、もしかしたらあなたが生まれてくる前の生(せい)が影響しているのかもしれません。」


一体いつから輪廻転生の概念があるのかは知らないけれど


こういう感じだったのかしら?と


テキトーに考えてみた


という寸劇をお送りしてみたよ


テキトーな想像なので信じないでくださいね


今は何でカルマっていうものが定着したのかっていう私の勝手な妄想を書いてみた


本当に本質で生きていたら


自分さえよければいいとは思わない


他人に迷惑をかけたり、被害に遭う人が出たって構わないなんてそんな風には思えない


だってそういう反応しないもの


そもそもの意識の領域には愛しかないと言われてるし


それはよく言ってるじゃない?


元々私たちは愛の存在から生まれたんだよ


その存在は愛でできてるんだよ


だから私たちは愛なんだよ


そういうことをよく聞くよね


その愛を感じられるのであれば


感じられるって言うよりも


愛そのものである


その愛自身になっている状態なら


本来そうはならないよね


その感覚を理解できなかったとしても


普通に考えて自分以外の人だって好きなように生きていいって理解出来るじゃない?


自分自身が好きなように生きていいということは


他の人だって自分の好きなように生きていい


そうあるのがごく自然な考え


だけど自分勝手に行動する


それは勘違い


みんな好きなように生きたらいいじゃない


そういう風に言うと


そんなことをしたら世界がめちゃくちゃになっちゃう


そう考える人が多分多い


それはこのことをきっと心配してるんだと思う


それぞれがそれぞれに好きなように生きたら


きっと本能の赴くままに生きるだろうと


理性とかなくて


道徳とかもなくて


自分が思うままにする


だけど本当に自分自身の本質に沿って生きてるのであれば


元々の自分の状態だから


人にあるような誰か蹴落としてやろうとか、この人が憎いとか、腹が立つとか、どうにかしてやろうとか、こいつを困らせたいとか


そういうネガティブな感情って出てこない


自分勝手な行いってしない


そもそもこの感情自体が人間特有のものであって本質にないから


無感情というか


無感情=冷徹な、冷酷なっていうイメージがあるけど


そういうわけではなくて


ここの領域は常に愛に包まれてる


と言うか自分自身が愛そのものになってるから


誰かに対して何かをするとしても愛からの行動しかしないの


人の中にある誰かを蹴落とそうとか、この人むかつくからどうにかしてやろうとか、憎たらしくてたまらないとか、あまりに好きすぎて離れたくないとか、自分だけのものにしたいとかそういう感じ もなく


もっと軽くて、広い視点で物事を見るし


この人はああだとか、自分自身はこうだとかそういう考え方すらもしなくなる


それこそ多分スピリチュアルで言ってるジャッジがなくなるって事じゃないのかな


だから自分勝手に何かをするっていう行いはまず出てこないし


それぞれがそれぞれに自然と調和していく


こうするから調和するとか、こうしたから調和するとか何かをして調和を取るそういうことじゃなくて


それこそ本当に自然な流れでバランスが取れて調和した世界になってる


だから本当に自分自身が自分のことを知って本質の私として生きることができたら


みんなが思っているような好き勝手生きたら大変なことになる


そういう世界にはならないと思う


むしろなりようがない


そうしようと思ってもそうならないよ


むしろめちゃくちゃになるのであればそれは本質で生きてない


本質で生きることは苦しいことじゃないし


何かを制限するっていうことではないから


修行とかそういうものじゃないし


あれこれ我慢して到達するとかそういうものでもないし


本質で生きるからと言って何か特殊な能力が使えるとかそういうことでもない


結局人が恐れているのは全部人間の意識のレベルの問題


しかもそれは本質云々というよりも人間性の話


要するにその人自身の問題


これも掘り下げて行けばいろんな問題が見えてくると思う


でもそこまで書くと大変なことになっちゃうから今回は書かないけど


こういうことなのかな?


もうちょっとよく考察した方がいいね


どういうことなのかをね


だけど本質ってさ


こうやって頭で考えることじゃないと思うんだ


私は今考えちゃってるけど


情報を頭に入れる


その入れた情報は知識になる


でも知識じゃだめなんだと思う


本当はこれらの出来事を自分自身が体験して初めてわかることなんだと思う


だけどどうやって体験するのかよくわかんないよね


私も人の話を聞いて多分こういうことなんじゃないのかなーって思っているだけだから


実際どんな感じなのかわからない


でも考えることはやめられない


だって面白いんだもん(笑)


間違っててもいいの


だってこれは私の考え(考察)だから


私の世界で繰り広げられているもの


なので好きなようにしてます


こういう考え方の人もいるんだっていうことで✋