私だったら
存在たち(神様と呼ばれるものも含め)に問う
計画とはなんだ?
この世界はなんだ?
何故
見えない領域で
見えない攻撃があるのか←それは人に対しても存在に対しても
見えない存在同士で対立してるのか
何故争う?
何故?
こんな世界観で話される
存在たちが言う調和とはなんだ?
存在たちが言う平和とは?
愛とは?
そしてその存在たちが人に伝える統合とは?
何が統合なんだ?
存在たちだってバラバラなのに
何が調和?何が平和?何が愛なの?
本当にスピリチュアル(この世界)とはなんだ?
何故そのようなこと(存在同士のいざこざやスピリチュアルというもの)をずっと続ける?
個人的に感じてる結論から言うと恐らくそれ(この有り様を見せるこの世界)は必要なことのために用意された必要な場所なのだろう
けれどいつまでこの状態なんだ?
なんなんだこの世界は、、、
一体何を見てんだ?これは
本当にどうかしている
ため息しか出ない
いつまでそんなことを?
不穏なものも含んでるこの宇宙(この世界)
スピリチュアルはまるで箱庭のようだな
だから余計に思う
スピリチュアルで言う本質とは一体何の話なのだろう?
魂で生きるとは聞くけど
ここの世界の存在は本当に魂で生きているのか?
この宇宙おかしくないか?
どこに向かおうとしてるのか知らないけど
本質って言う割に
ずれているように感じる
※すべての存在がそうとは限らない
でも存在(神様)がこう話すからそうなんだ
こうしてくださいと言うからそうする
そうではないよね?
本質を知ることと存在の話すこと
それを伝える人の話を鵜呑みにすること
それらは全く別だと思うんだが?
他人の話を聞いてるだけだけど
日本の神様含め、存在の話を聞いてると本当にモヤモヤする
この上(天)から下(地)にメッセージを伝え、下(人)から上(存在/神)に伺いを立てる感じのシステム
いい加減にどうにかならない?
ねぇ、これなんなの?
会社かなにかですか?
稟議でも通すの?
決して軽んじてるわけじゃないし揶揄してるわけじゃない
だけどこの状態が果たして健康的か?と問われたら
このあり方健康的ではないと思う
これが自分で考えるっていう事をしなくなる原因にも見えるし
共依存の関係に見える部分があるから
特にスピリチュアルは不思議な存在との交流を望む人が多く
存在とのやりとりを盲信する傾向も強め
また善人になろうとする傾向はあるし
相手に怒らない、許す、寛容になる等
いい人になろうとしてるようにしか見えないけど?
これらを聞くと苦しそう
何に対しても感謝の気持ちを忘れない感じ
大事なことだけど義務ではない
感謝する心はあった方がいいけど
ありがとうと言えることは素晴らしいけど
絶対にそれをやんなきゃいけないわけじゃない
まるでやらなくてはならないような空気感にいたたまれなくなる
息苦しくて逃げ出したくなる感覚に陥る
それから盲目的になりやすい
存在が話すことを疑わない
神様が話しているのだから間違っていない
そのような考えが根付いている
でもどこにそんな保証が?
逆に聞きたくなるけど
なぜ存在が間違えないと思う?
どうして盲目的に信じられるのか
私には分からない
それから共感能力が高いとか
繊細とかそういう理由等で他人の問題を自分の問題ごとのように思ったりする
私も他者の問題を自分事のように捉えることがあるから決して他人のことを言える立場にないけども
それも共依存の例のひとつだし
気をつけないとなんないなって
いくら解決しようとした所で
相手の問題なんだもの
自分ではどうすることも出来ない
その人はその人で自分で自分の問題を解決しないとね
周りがいくら働きかけたって本人がやろうと思わなければ変わるわけもない
また他人がどうにかしてくれるなんてそんな都合のいいこともない
初めの一歩は自分で動かないと
何も変わらない
全てが他力なんて無理
ちょっと話が少し逸れ気味だけど自分の時間を誰かの時間に費やすのではなく
きちんと自分の時間は自分のために使うことが大切だと改めて気付かされた
因みにこのブログで書いて来たこと全て良い悪いの話ではなく
単なる疑問と私と言う視点で見るとこんな風に見えてる
他人の話を聞いて抱いたただの感想です
中でも特に気になるのは❝本質❞について
本当に本来のありのままの状態なら
神様(存在)って上にいるのかしら?
高次元の存在って一体なに?
ワンネスってよく耳にするけど
何を言ってるのだろう?
一つになるとか
境界線がなくなってみんな繋がってるとか
そう言う話を聞く
それはきっと前世や過去世、インナーチャイルド等があるスピリチュアルの世界での話なんだろうなぁ
元々の状態は前世や過去世、インナーチャイルドとは無縁じゃない
しかも一つになるのではないと思うし
本来の状態は既に全てだから
境界線がないとか
繋がってるとか
そう言うことじゃなくて
全体なんだと思うよ?
あらゆるものが私自身
だけどそれと同時に
存在しているものは一つだけ
この世界のように相手がいない
それは全てだから
私を私と確認することが出来ない
そうなると私と言う存在さえ居ないことになる
確かに居るけど居ない
よって相手もいないから
誰一人としてこの世界に存在していない
そういう感覚になる
なので何かに戻るとか、どこかに帰るとか、こういう感覚が私にはまるでない
どこかの何かに所属する感はない
何々星の何々人とかさ
なんとか星からやってきた人とか
全然ピンと来ないのはこのせい?
ワンネスって話を聞くと前にもどこかのブログで書いたけど
何かと勘違いしているのか、それとも また別の理由があるのか
なんかすごく怖いイメージがある
他の人の話によると
安心感があって、温かくて、愛を感じることができる場所とは聞くけど
うーん、、、個人的にはそこに行きたいと思わない
どこの誰発信なのか知らないけど
このワンネスっていうのがすごい苦手😅
好きか嫌いかで言うと嫌い
何で嫌いなのかは一緒になりたくないから
同じになりたくないから
なんでか分からないけどそういう感覚がある💧
これは私が人の話を聞いていてなんとなく思ったことだから実際は不明(分からないってこと)
だけど多分こう言うことなんだと思う←多分ね?
その視点(スピリチュアルではない本質)からこの世の中を見ると
なにこれ?って思うんだ
先にも書いたように
本当によく出来た場所だと思う
この中で沢山遊んで(学んで)いるのでしょうね
まるでいろんなものが詰め込まれたぐちゃぐちゃのおもちゃ箱
それが悪いってことではない
ただこの世界もそろそろ見直しがあっても良いなとは思う
だってこのパターン(上から下にメッセージを伝え、下から上に伺いを立てるやり方)を延々と擦り続けてるからね
これもさすがに限界だよ
あと枠組みを作ってる原因にも思える
スピリチュアルという箱の中に詰め込まれてるような
人が信じ込んでいるもの
それが全て箱(枠)の原因
すんごい狭い世界での話のように見える
とっても小さなところにいて
とっても広いんだなって思っているような
それは人だけではなく存在も含めて
すごい巻き込み力?(吸引力と言うのか幻想を本物に見せる力がすごい)だと思う
その世界に入ると抜け出せなくなっちゃいそうなくらい
あまりにもよくできてて
ただサポートしてるだけだったんだろうに
巻き込まれて行ってしまうような
非常に蠱惑的?な感じもする
惹き付けるような雰囲気
幻想と書いたけど実際この世界に起きていることは本当に起きてることだよね
だけど元々の自分自身(本質)の視点に立つと確かに幻想かも知れないなって
でも幻想って言ってもこれは恐らく喩えであって起きていることは紛れもない事実
だって怪我するし、老いるし、頑張りすぎたら病気にもなる
これは夢ですよ、現実じゃないですよ、幻想の中にいますよなんて言われたって
これは単なる喩えだから夢でも幻でも何でもない
これを説明するのが難しいのかも?しれない
私だってよく分かってないけど
多分そういうことなんじゃないのかなって思ってる
私の書くブログは
精神世界について触れたりするけど
多分全然違うと思う
スピリチュアルはものすごく信じてる人とかは嫌な気持ちにするかもしれない
否定しているわけではないんだけど
スピリチュアルだと
多分ずっとこのままの世界だと思う
従来の世界より少し良くなった世界
従来の世界とあまり変わらないと思う
だってみんなイメージの世界で生きてるから
頭の中にある考え、思考の世界
でも本質は思考の中にはない
私自身も普通に思考の中に生きてるんだけど
でもうっすら気づいてはいる
この思考の中には本質の自分は居ないなって
結局自分の内側と向き合うとか
自分の内側に入っていくとか
そういうことになるんだろうなって
ただ文字だけ見ると意味不明だけどね
自分の内側に入るとか
自分の内側と向き合うって何?みたいにね
私自身もそういうことを詳しくないから正直に言うとよく分かってない
これだけ書いといてよく分かってないってどういうことだよ?ってツッコミもらいそうだけど
だって知ったかぶったってしょうがないじゃん(^_^;)
分からないものは分からないよ
ただきっとそういうことなんだろうなって思うだけ
そして内側と向き合うとか
そう言うことを思うと余計にこの世界のあり方がよく分からなくなってくる😥
んん?🤨と怪訝な顔になっちゃう😅
そして文中にもあったように
この世界って一体何なの?
何を見させられているの?
というところに行き着く
そして根本的な解決を考えると
本当の本質って何だっけ?
元々私たちってどういう状態だったっけ?
本来の我々とは?とか
そういう方に意識が向かって行って
今みたいな考え方に至る
読んでてあまり面白くないでしょう?
理屈をこねてる人みたいな感じだよね(^o^;)
神様が好きな人からしたらまるで神様がいないと言われているような感覚になって
神様が言うことを信じるな!みたいなことを言われているようで
なんでそんなひどいことを言うの!
どうして神様のことを悪く話すの!って思う人もいるかもしれない
だけど他人の話を聞いてると
どうしてもなんだこの世界は?って思うことが多いの
この世界のあり方が見えてくるんだよ
存在って人を通して言葉を伝えてくるじゃない?
その言葉から存在たちの思惑も見える
なんだこれって感じだよ😒😓😞
辟易(;´Д`)
そういうこと(存在の思惑)で動かされてるのはすごい嫌
人類の尊厳についてものすごく考えてしまう
もちろん全ての存在がそうではないけど
なんか気持ち悪いんだよね
だから私は正直に言うと
存在に頼らず自分たち(人間)でどうにかしろって思ってる
自分の内側が全て知ってるじゃん
元々の私自身が知ってるってこと
だから究極存在が居なくったって分かる
何をなすべきかとか全部分かる
しっかり自分のことを見ていればね
自分と一致するためによく自分を知る
内側を見るってこういうことなのかも?しれない
自己理解を深める
自分自身が一体何が好きなのかとか
どんなことに興味を持っているのか
何が嫌で
どう言ったことをすると嬉しいと思うのか
喜びを感じる瞬間とか
不快感を覚えた時とか
どんなことに対してそう思ったのか
それを知ってゆく
自分のことを知れば知るほど
自分が何ができて何ができないのかとか
こんな考え方の癖があったとか
いつもこういう思考のパターンに陥ってしまうとか
本当は自分が自分に対して思っていることと本心が思っていることが違っていたとか
自分自身では私ってこういう人間なんだって思ってたけど
本来の自分自身は自分自身が認識していたこととは少し違っていたとか
これが好きだと思ってたけど実は好きではなくって
単純にただ簡単に出来ることだから好きなものだと勘違いしてた
得意なことだと思ってたけど
別に得意ではなく自然と身についたことの延長線上でただ続けていただけとか
続けていれば極めていくことにはなると思うけど
自分自身がそれに対して喜びを感じるとか満ち足りた気分になっていればいいけど
やってても楽しくないとか
淡々と続けてるだけで面白みもない
つまんないと思ってるなら見直した方がいいかもしれないね
そういうことに気づいてゆくこと
その中で各々が自分の中でしっくりきた 何かをやるんでしょうね
そういう意味でのそれぞれにそれぞれの生き方があって
それぞれに真実とするものがあるとは思う
そういう意味で自分の内側が世界を作るという話は理解はできる
だけど
波動とか周波数の話はそれだけでは解決できない例もあるから
自分が放つもの(波動や周波数)によって自分の周りに起きる出来事が決まる
そしてそれによって一人一人 見える、あるいは体験する真実が違いますよ
という真実はまたなんか本来の本質と少し違う感じがする
これは私の、今現在の考え方だから
鵜呑みは厳禁です
なんか意味不明なこと書いてるよね?きっと(;´∀`)
でもこんなことを考えちゃうんだよね