神様ってさ。


居るけど居ない。


存在してるけどしてないとも言える。


私はそう思ってる。


これは否定ではなくて。


そう捉えてるからそう(神に)なってる。


神様は全部イメージ。


人が思い描いたもの。


つまり想像の積み重ねと居ると思い続けることの継続の結果だよね。


だって神々本人たちがそう言ってるじゃん。


日本の神様しか知らないから外国の神様は分からないけど。


人が信仰心を忘れると神の力は弱まる、場合によっては消えてしまう。


そりゃあそうでしょ。


だっているって思ってもらわなくちゃその神様としていることなんて出来ない。


それに昔の人もそれを知ってたよね。


神様の力の元がなんなのかを。


御成敗式目にもそのような記述が載ってるし。


ごく当たり前に存在してると思ってなくちゃ、ああ言う書き方にはならない。


だから昔の人は信じるとかそう言うレベルの話ではなく居るものだと思ってたと思ってる。


人と神様は持ちつ持たれつな関係性だったんだと思うよ。


『神は人の敬いに依りて威を増し人は神の徳に依りて運を添ふ。』


神社庁のホムペ見たら説明が載ってる。


純粋な気持ち、真心とかそれって皆まで言わずとも分かるよね。


敬うって言葉が何を示しているか。


だけど神々サイドは敬うの言葉の中に仰々しく奉るとか特別な存在として扱ってくれとはきっと思ってないし求めてなくて、普通に人が人に対して行うことと何ら変わらない。


私はそう解釈してる。


※解釈違いだったらごめん。


友達に失礼なことしないでしょ。


友達じゃなくたって他者に対して礼儀をわきまえるじゃん。


そう言う感覚って普通に誰しも持ってるものじゃん。←もしかしたら中にはない方もいる(?)かも知れないけど。


敬意を持って接するって何も特別なことじゃない。


それと同じってこと。


神様関連だと信仰とか信仰心と言う力強めのワードが出て来るけど。


信仰や信仰心って書くと。


盲目的に信じ込みそうな雰囲気を醸し出しそうだけど。


盲信してほしいってことじゃない。


だってさ。


盲信して自分で考えもせずにただ神の仰せのままに状態で生きてたら、それは自分ではない他者を生きてることになってめちゃくちゃ怖いから。


神の言う通りに生きる=神となって神を生きてるとはならないよ。


第一そんな生き方を本当に神はさせるか?


もしもそれがごく自然で当たり前のことだとしたら。


それだったら何の為にその人は生まれて来て何の為に生きているのか。


その人である必要がないじゃん。


だってお人形になってるんだもん。


せっかく自分自身として個人として生まれて来たのに。


私として生きるのではなく、私を放棄して他者を生きるって何これ。。。😨


めっちゃ怖ッ😱


そもそもその神と言われる存在についても正体不明。


ただ❝神❞と言われてるだけ、自分がそう思ってるだけで結局一体何者なのかよく分かってないんじゃないの?


本当に分かってるのなら信じ込むなんてことはしないと思うんだ。


高次元の存在の話とかよく考えもせず信じ込んでる方々多いけど。


そのよく分からない存在からの言葉を真に受け鵜呑みにして生きるとか寧ろ怖くない?


神と繋がれる自分に酔い痴れて自分じゃない存在、他の存在の思うままに操られて生きるとか気持ち悪過ぎだし。


自分を見失ってない?それ。


神だろうとなんだろうとそんなの関係なくいつでも自分を持ってないと。


神と呼ばれる存在だから平気とか大丈夫とかそう言う話じゃないし。


自分を明け渡して良いわけない😥


そもそも本当に愛のある存在ならそう言うことを人にさせないから。


そうやって操ろうとして来ない。


だって普通に考えても分かる。


それをする必要なんてないもの。


それから神に頼り切って自分では何にもしない。


神が何でもしてくれる。


それも違う。


ただ頼むだけ、思うだけで動かないんじゃ何にも変わらない。


地球は行動の星だし現実を動かしたいなら自分で動かないと何も変わらない。


そもそも自分のことなんだから自分でやるのは当たり前。


逆に何でも頼んで来て自分でやらない人をどう思うのか。


それでいて何にも変わらないと相手はあなたに話して来る。


だけどあなたに自分の願いを伝えて来るし、自分ではやらずにこうしてほしいと頼ってばかり。


自分が神様の立場になってみて考えてみれば良いよ。


一体どう思うだろうね?


またそう言う不思議や存在に依存する。


それも全然違う。


時々おみくじにも神に縋れと書いてあったりするけど。


頼っても構わない、でも、おんぶに抱っこは違う。


突き離してるのではなく自立して生きるって当たり前だから。


手助けが必要な部分は存在に限らず人だって手伝うよ。


でもそれと他者に寄りかかって全部他者ありきで、寄りかかる相手がいて物事が動いて行くと言うこの状況や状態は非常に不健全。


互いにとって全く良くない。


もちろん神々はそんなの求めてないし、そんなことしないよね。


本当にその神と思われる存在が素晴らしい存在だったらね。


きちんと教化するでしょう。


自分(神と言う存在)に依存させてその存在(神)無しでは生きられないようになんて普通させないよ。


何度も書くけど依存させる意味なんてないから。


本人にとってそれは何の為にもならないって分かってるもの。


寧ろ気付きを促すでしょうね。


まともな存在なら。




〇〇の神、高次元の存在、大天使〇〇、〇〇星の〇〇と言う存在、アセンデッドマスターの〇〇等、それからスターシード、ライトワーカー、巫女、シャーマン、龍女、審神者等と言ったパワーワードも含まれるけどそう言う言葉や存在達に魅入られてる場合じゃないよ。


こう言う不思議な世界に憧れること自体を悪いって言ってるのではなく、きちんと自分を生きようねって話です。


話を戻すけど。


つまるところ神と呼ばれる存在は人類が生み出したもの。


〇〇の神とそう思ってない限りその存在はそうであり続ける事ができない。


元々何か別の存在として存在してたのだろうけど。


でもだから?


それが一体どうしたって言うのさ。


だって神と称される存在だろうと人だろうとどちらも本質は変わらないじゃない。


私はスピリチュアルについて知らないけど多くの人がそう言ってるじゃん。


ワンネスの話をよくしてるじゃん。


でもワンネス云々抜きにしても真理としてそうじゃん。


確かに神と呼ばれる存在は居るでしょう。


そう思う人が居る限りは。


これは神を否定してるのではなく。


事実そうじゃん。


現実をよく見てみて?


もちろん実際の歴史として残ってるもの。


そこに神として存在した人物が居るから人の想像や空想の産物なんかじゃないやい!って声もあると思う。


そうでしょうね。


人として居た神も居るでしょう。


でもそう言うことと信じ込むことや思い込むことは違うじゃない。


意味分かるだろうか。


日本人は自分の先祖を辿れば大抵どっかの神様にぶち当たるって話を聞くし。


人として存在してるんだから神は居るじゃんってことがきっと言いたいのだと思うんだ。←違ったらごめん。


でもその時、実在する人物として生きていたからと言ってそれが本当に神なのかと言うと謎だし。


だって確かめようがないじゃん?


名前はそうだけど神ですか?と言ったらさっぱり分からない。


神が人になったのではないと思う。


よく力を誇示する為に人が神として君臨してたような話とか物語(作品)の中であったりするけど。


人が神になって人を支配するってのも変だし。


単にそう呼ばれる人が居たってだけ。


なんでそうなったのかは知らない。


何かの便宜上そうしてたのか。


はたまた確かに摩訶不思議なことはあったりするから実際の所は不明だけど何か本当にあったのかも知れないし?


それにそうやって人が神の名を継承するのにもきっと先に書いたこととも被るけど、そうする理由や事情があると思うからこれ(歴史上人として生きてる神について)は神じゃないと否定してるわけではないの。


だけど現実的に見て確かにその時、地球の生き物(人間)として存在してた神がいたとしてもその時だけで終わってることだって十分有り得るわけ。


そう言う人物が居ましたとずっと認識してない限りは忘れ去られるし。


記録にすら残ってない人なんて沢山いる。


私は今ここで生きてるけど。


私が死んだって名前なんて誰も知らない。


ただの一般人だし。


私を知ってる人が現し世に生きていて覚えている限りは私はまだそう言う人いたねと残ってるけど。


そのうち私を知ってる人が全て居なくなったら。


きっと誰も私を知らない。


知らないからもうかつて名前を持ち人であった時の私として私は存在し続けることが不可能。


でも肉体の有無関係なしに私は存在し続けてはいる。


人として生きていた時に持っていた名前の人物とは確かに同じだけど異なる存在としてね。


神と呼ばれる存在もそれに近いようなもの。


人がそう言う存在がいると沢山の人がそう思うからそうなる。


その存在の認識を強めれば強める程、その存在はそう言う存在として存在し続ける。


※現時点での解釈だからまた変わるかも。


意味伝わります?


じゃあ神って何なんだろうね?


何についてそう呼んでいるのだろう?


私は八百万の神々が好きだけど。


でもこう言うこと思っちゃうんだ。




それに。


なんで全員別のものを見てると思う?


これは個々人で別々の世界を生きているってことにも繋がってると思う。


それぞれがそれぞれに真実を持つ。


それが何故なのか。


私にはそのことが不思議で仕方ない。


何を当たり前のことを?って思うのかも知れないけど。


確かにそうなのだろう。※真実は各々で違うこと。


でも本当は変わらないものってある。


だから不思議なの。


不変なのに変化する。


変化してるけど不変。


だから不思議だなって。


意味分かるだろうか。


そもそも何にもないのに。


なんであるように思うのか。


私は世の中の多くのスピリチュアルも幻想の中のように思える。


スピリチュアルと言う変な理屈の中にいるの。


よく屁理屈こねてる私が言うのもどうかと思うけど(^_^;)


これからが見もの。