あぶねー。
また6万文字を超えそうになったぞ。
(これは「独断と偏見」と言うブログの話をしてる)
そんなに長く書いたか。
(^_^;)
これは見飽きるなきっと。
じゃあ大丈夫でしょう。
もの好きくらいしか覗かないでしょうね。
物語でも何でもないし。
ただの個人的な思いを記録としてつづっただけだし。
あんまり面白くないと思う(・・;)
まあそれは見た人が判断するんだろうけどね(^_^;)
なんか今だったら。
多分見せても大丈夫な気がする。
ここ2〜3年くらい前だったら。
ちょっと悩んでた。
というのも。
スピリチュアルも結構な偏りがあって。
派閥ではないけどさ。
何かの流派みたいな感じで枝分かれしてる感じがすごいあった。
しかもその枝分かれの仕方が極端なんだよね。
こう!と決まったらこう!みたいな感じで。
スピリチュアルって言いながら結構頑固。
柔軟性が乏しくて。
昔から言われてるからそうでしょうって思ってる人が多い。
だけど今。
だいぶそれも緩んできているような。
存在の話すことを鵜呑みにする人はまだいるけど。
だけど。
なんだろう。
キーワードや言葉に引っ張られる人が少なくなってきてるような気もする。
私だけがそう思っているのかもしれないけど。
でも割と柔軟な発想ができる人が増えてきた?
気づける人が増えてきたような?
これは私が気づけたからすごいでしょうって言ってるわけじゃないからね。
そもそも私もちゃんと気づけてるかわかんないし。
何度も言うけど。
スピリチュアルについては本当にわかんないから。
とんちんかんなことを言ってることが多々あるかもしれない。
だって知らないからね。
適当に想像できることを話してるっていうことも十分にありえるし。
本当かどうかなんて知らないから。
そこが各々が自分で検証してもらうような形になるけど。
ただ、今だったら。
変な思い込みを変えられるような気がする。
もう一度同じ話を聞いた時に。
違う角度からその話を捉えることができる。
そんな感覚があって。
それは何も私だけではなく。
他の人にも同じことが言えるような気がしている。
今までだったらこんな話したら。
どんな風に思われるんだろう?
スピリチュアルを知らない人の目よりも。
スピリチュアルを信じ込んでいる人の目の方が怖くて。
それは今でも思うけどね。
人の思い込みの強さ。
それから自分が信じているものを否定された時の反発の力。
拒否された分、拒絶の意が強くて。
それってそのエネルギーの方向性をよろしくない方に使うこともできるから。
自分の考えや大切にしているもの(それは何かを信じる気持ち等)を否定されたりすることって。
自分自身を否定されたかのような感覚に陥るよね。
否定してるわけじゃないけど。
それは何かおかしいなっていう発言とかはさ。
基本的に否定って捉えるじゃん。
肯定してるとは思えないよね。
賛同を得られているとは思えない。
だけどおかしいよねってだけで。
それは考え方を見直してみませんか?っていう提案なんだけど。
どうにもね、言葉っていうのは難しくて。
提案したいんだけどって言う前に。
亀裂が入っちゃうことが多いんだ。
やっぱり人間ってさ。
そうやって思ってしまうところがあるし。
私だってこうは書いているけれど。
同じような反応をすると思う。
恥ずかしいことにお子様だから。
冷静な判断をするのが難しくて。
他人事だから渦中に入らずに。
蚊帳の外から見ることができる。
でもこれが自分自身のことだったら。
どんな風に対応するだろう?って。
なので人のことは言えないんだけど。
だけど思ってきたことはホント。
ずっと疑問に思ってた。
もうそろそろやめにしないか?って思っている。
私はスピリチュアルの歴史とかは知らないけど。
ただ今まで人類が生きてきた中で伝承として残っている神話の話がもしも本当だとしたら。
それから人類史を見た時に見えない存在と人間とのやり取りの軌跡を見る限りだと。
人と存在の関係性を見直す時期に差し掛かってるような気がする。
今までのやり方ではいつもと変わらないと思う。
何度も言ってるからもう耳にタコができてると思うけど。
この世界は人間社会で言う会社なの?
社長がいて(上層部で)方針を決める→下に降ろしてくる→下がそれに従う。
こんな感じで。
神(存在)がいる→神託を降ろせる者に託す→民衆に伝える。
こんな感じのシステムがずっと続いてて。
なんでこんなに一方通行なの?
現場で何か問題ごとが起きた時も同じ。
問題ごとが起きる→直属の上司に伺いを立てる→担当部署に聞くそこで解決しなければ→さらにその上に仰ぐ。
基本的にこんな感じじゃん?会社のシステムって。
いきなり上に持ってかないよね。
存在と話する時もこんな感じで。
間に挟む場合もあるだろうけど。
結局お伺いを立てるような感じでしょ。
太古の昔の人間だってそう。
困った時に神に聞く。
神に聞けるものが身を清めるだの儀式をして。
天にいる存在に仰ぐじゃん。
そしてそれを降ろしてそれをまた実行するっていう感じ。
なんかそういうのが多いなって思ってて。
古い。
ただ。
私も含めて存在の見極めができない人が多いから。
むやみやたらに見えない存在と会話をするっていうのもちょっと考える。
あんた誰だよっていうね。
その存在が本当に安全な存在なのか。
話しても平気な存在なのか。
それがちょっとわからないじゃない。
なんだかよくわかんないけど。
何かの存在と話す人が増えてる。
その人はこの存在は日本の神様の〇〇姫ですとか、〇〇神だとかそう言って不特定多数の人に話すかもしれないけど。
でもそれは本当にそうなのかってことはわかんない。
大天使〇〇とか名乗ろうと思えば誰でも名乗れるじゃん。
しかもその存在の見た目っていうのは統一されてないし。
イラストとかたくさん出てるけど。
本当にそういう見た目なのかもわからない。
その人のイメージなのか、それとも本当にそういう姿なのか、そんなの誰にもわからない。
それと同じで。
名前なんて特に名乗ろうと思えば誰でも名乗れる。
オレオレ詐欺みたいなもんだよね。
自分の息子娘の名前を出して自分の親を騙す。
電話の主が本人かどうかなんてわからない。
だけどコロッと騙されちゃう。
目に見える人の社会だってそうなのに。
目に見えない存在なんてもっと怖いじゃん。
有名な神様の名前とか有名な存在の名前とか有名な天使の名前を出しときゃ。
コロッと信じるって思って存在だっているかもしれないよね。
人間ってちょろいなと思ってるかもしれないじゃん。
だから本当に何かの存在と話す時っていうのは安直にすべきじゃない。
もっと慎重さが必要だと私は思う。
チャネリングとかさ勧めてる人結構多いけど。
簡単に勧めるようなものじゃないと私は思う。
人によっては変なものと繋がってしまったりする場合も否定できなくもない。
そういった時に責任取れるの?って。
そういう特徴がある人はチャネリングに向いてますよ。
あなたもできるんですよ。
やってみませんか?ってそんな簡単に言えるものなのかなって。
いいことの他にリスクも考えないといけないし。
なんで高次元の存在だからって大丈夫だって思えるのか。
私はそこのところがちょっと疑問だったんだよね。
どうしてみんな全幅の信頼を寄せられるの?
みんなって言っても本当に全員ではない。
けれども大多数の人はまさか高次元の存在が、人間に対して良くない働きをする、そんなことするわけないだろうと思ってる感じがして。
安心しきってる感がすごいあるなって。
むしろその安心感が逆に怖い。
なんでそんな風に思えるんだろう?
スピリチュアルが好きだったらなおさら警戒しない?
目に見えない世界が愛で溢れているか、愛だからと言って安全とも言えないじゃん。
愛で溢れてる=安全ってなる?
そもそも何が愛なんだよっていう。
どうすんのさ愛の定義が全然違ってたら。
人間が思う愛と存在が思っている愛に違いがあったらどうするわけ?
絶対に一致してるって言える?
私がここ数年で思っていることは。
存在が話している調和っていう言葉と私が思っている調和っていう言葉に含まれている意味合いが本当に同じかどうかがわからない。
例えば平和を望んでいるって言った場合も然り。
存在が思っている平和と私が思っている平和にもしかしたら差異があるかもしれない。
どういう状態のことを平和って例えているのか。
そこがはっきりしないとね。
何とも言えないよね。
だって存在の思惑って。
結構複雑じゃん?
散々人類に指示とか出してきてるから。
人の耳にとって聞こえのいいような言葉を言ってきたりとか。
表向き場とか表面上とか見てても。
パッと見わかんないような感じで。
だけどよくよく考えるとなんか引っかかるなみたいなことを言ってたりするし。
なんだそれは?っていうね。
そこの❝なんだそれは❞って思う原因をいくつも考えていた。
存在に問題があるのか。
存在からメッセージを降ろした人自体に問題があるのか。
問題って言うのは存在の場合は存在の性質。
どういう性格を持ってる存在なのか。
何を考えているのか。
そこ。
人の場合の問題っていうのは。
その人自体の考え方が偏っているとか。
中には自分で分かりやすいようにするために意訳した結果おかしくなったとか。
自分自身の精神状態が整ってなくてまっすぐメッセージを降ろすことができなかったとか。
あるいは変な存在と繋がってしまっている。
存在の問題点っていうところとも重なる部分があるけどね。
もしくは人間の言葉にしようとすると非常に語弊を生んでしまったりするような内容だった。
もうそうとしか表現できなかった。
高次元の存在が人間に伝えたいと思って伝えてくるメッセージを地球上の人間がわかる言葉にしようとした際、適切な言葉が見つからなくって結果そうなってしまったとか。
人の言葉では表現できないようなことも確かにある。
置き換えることができない。
例えば個人的にはその最たるものは愛っていう言葉じゃないかなって思う。
愛って言うけど人間が言う愛とはちょっと違うし。
これがどう違うのかって言ったら規模って言ってもなんかそれもそれで適切と言ったら適切じゃないような気もするし。
どういう状態を愛と呼びますか?って言った時に。
人間が想像する愛と高次元の存在が言う愛っていうのはなんか性質が若干異なるんだよね。
だけどその違いを人の言葉で言い表そうとするとたくさんの説明とあと置き換えができないものも出てくる。
分かりやすく説明する時に様々なシチュエーションやパターンを用意するんだけど。
これも愛に該当する、でもこれも一見するとそうは見えないけれども違う視点からで見ると愛と言える。
そんな感じで これがそうだよらこれがそうだよって教えてるうちに。
結局うまく説明できなくなっちゃうんだよね。
ごちゃごちゃしてきてしまって。
本当に伝えたいものが伝えられなくなる。
そうすると走るというか説明できないところを抜く、だって言い表せないから。
そうなると中途半端な内容になっちゃうのかなぁ?と。
そこで本当に伝えたいこととの差が出るのかな?とかね。
もしくは伝える側はしっかり伝えたけど受け取り側がまた違うように受け取った。
そして違うように受け取ったままそれをいろんな人に話している。
そういうパターンも考えられる。
だって伝言ゲームみたいなものだもん。
伝言ゲームなんて一番最初に伝えた内容と一番最後に答えた人の内容とまるで違うことがあるから。
途中でいろんな解釈によって全く違うものに変わってしまう。
そういうこともなきにしもあらず。
なので本当に何が原因でそのような内容に至ったのか。
それがわからない。
いろんなパターンを考えてみて。
もしかしたらこうだったのかもしれないと。
でもごちゃごちゃしてることには変わらないから。
いいことばかりではなくって。
もしもそうじゃなかった場合。
そういうこともやっぱり視野に入れて 考えないと。
だから自分の中で。
私が受け取ったものではないけれど。
対策とか色んなことを考えた。
ずっと何で私が受け取ってきたものではないけれどって付け足しているのかって言うとね。
他人の言葉に文句つけてるようなものじゃん。
横から口を出してるようなものでしょ?これ。
余計なお世話ってやつでしょ。
お節介とかありがた迷惑とかそういう部類に入りそうじゃん。
だけど後々大事(のちのちおおごと)になったりするのであれば。
やっぱり見過ごすことはできないよね。
大事(おおごと)になるかどうかは分からない。
分からないけれども。
絶対にない!100%ない!ありえない!ってイレブンナインなレベルで否定できるならしなかったと思う。
でもわずかでもそういう気(け)があるのであれば。
考えておくに越したことはない。
それこそ備えあれば憂いなし。
余計なお世話かもしれないけど。
放っておくことはできなかった。
自分がすごいよって言いたいわけじゃないからね。
何も起きないのがベストなんだよ。
だけども不測の事態も考えとかないと。
最悪のね。
それがもしも本当だったとしたらって考えたらさ。
どうしても無理だったんだよなぁ。
ちなみに私自身のことを優しい人だとかそういう話をしてるわけじゃないからね。
良い人ぶりたいわけじゃないの。
だからあらかじめ書いとく。
その世界線を選んでる人がいるかもしれないって思ったら。
何もしないなんてできなかった。
だってそれほどまでに。
存在たちが話している内容が狂気じみてたから。
そもそもそんなこと言う存在自体やべえ 存在だと思うんだけど。
そんなこと言ってくる存在ってめちゃくちゃ失礼な言い方をするけど。
非常に精神性のレベルが低いと思う。
それこそなりすましとかさ。
そういうケースを疑うよね。
日本の神社でだって同じようなこと起きるじゃん。
知らない間に頭(リーダー/御祭神)がすげ替わってたりとかさ。
そういうこともなきにしもあらずじゃん?
見えないから判断のしようがない。
いい存在であればいいけど。
そうではないものが居座ってる場合だってなきにしもあらず。
だからさ。
存在のことを何でもかんでも鵜呑みにするのって怖いと思うんだ。
また発信してる人が言うことも怖いと思う。
神様(高次元の存在)の言葉を降ろす人が必ずしも答えを言っているとは限らない。
そもそも他人に正解なんて求めるものじゃない。
でも今までが他者の中に答えを見つける。
そういうあり方をしてきたから。
この社会はね。
自分で自分の中にある答えを見つけることがうまくできない人が多い。
それは私も同じなんだけどね。
自分で答えを見つけ出そうとすること、自分で考えて自分はどうしたいのかと 自分で自分の中にある答えを探そうとする。
これが苦手な人がたくさんいる。
それもこれもね。
他人に合わせてきたからしょうがないんだよ。
周りに合わせて協調性を保ってきた結果。
人の気持ちが分かるっていう部分ではいいんだけど。
自分の気持ちを押し殺しすぎて。
自分が思ってることがわからなくなってしまった。
行き過ぎてしまったんでしょうね、これはね。
何事もほどほどが一番なのに。
尖りすぎちゃったんだよ。
飛び抜けて。
そしたら人の顔色を伺う、自分の気持ちを押し殺す、我慢する、周りに合わせる、同じでなければならない、人の気持ちを汲んでその人が思ってる通りに動く、他人のご機嫌を取る、ご機嫌を取っておけばうまくいくから。
有名な大学に入って卒業して大企業に勤める。
これが今までのあり方なんでしょ。
それももうとっくに崩れてきてると思うけどね。
いい大学に入っていい企業に就職するっていうやつ。
そもそもいい大学って何がいいのか私にはわからなくて。
どの辺がいいの?
何に対していい大学って判断してるのか。
私はいい大学じゃなくて有名な名の知れた学校っていうイメージ。
何だっていい大学ならどこの学校だって良くない?
それぞれにそれぞれの学校の良さがあるでしょ。
この大学だけが飛び抜けていいってことはないと思うんだ。
それは企業にも言える。
いい会社っていう表現は力のある企業そういうイメージかな。
東証一部上場とかさそういう感じで。
ステータスみたいな?
そういう感じがする。
だからステータスとか、名の知れたとか、そういうことじゃないじゃん。
いい会社っていうのは。
だからね、どこかずれてるんだよ。
しかもそこにあるのは。
将来安定したいから。
揺るがないものにしたい。
そういうのが強く感じられて。
そこに本当に自分がこうしたいからその会社に入りたいんだっていうのがあんまり感じられない。
中には何か志すものがあってその会社を選んでる人もいると思うけど。
でも大抵が親がどうのこうのとか。
先生からここを勧められてとか。
自分がやりたいことっていうよりも。
見てくれと。
生活の安定。
それが重視されていたような。
私はそんな気がする。
そしてそういうのは続いてきたから。
ずっとね。
それがもう当たり前になってるし。
そうじゃないんだよっていうことがわかったとしても。
長年のやり方が染み付いてしまってなかなか抜けない。
分かっているけれども習慣っていうものはそう簡単には変えられないじゃない。
それと同じことが起きてる。
その年数が長ければ長いほど。
繰り返されてきた歴史が多ければ多いほど。
人の無意識下に染みついて離れない。
だから変わる時は戸惑うし。
納得しがたい気持ち出てくると思う。
今までそのやり方で良かったはずなのに。
突然変わられても困るんだけど。
どうやって過ごして行ったら良いのか分からない。
そうしたら余計にね。
誰かにアドバイスを求めるよね。
でもまだ自分の中でどうしたいのかが分かってないから。
こうしたいんだけどどうしたらいい?ってはなく。
どうしたらいいかわかんないから教えて?
どうして行ったらいいの?
何をしたらいいんだろう?
って迷っちゃう。
ここにしっかりとフォローを入れなきゃいけなくて。
これは物理の世界でもそうだけど目に見えない精神世界も同じ。
ここのところをしっかりフォローしないと。
変な存在に持ってかれちゃう。
それを別の存在が危惧しているのであれば。
しっかりサポートしなきゃだめだと思う。
今までの体制を壊したらそこで「はい 終わり」じゃないんだよ。
そこから先が大事になってくるんじゃん。
時代の転換期とか、今までの流れが変わる時っていうのは。
古いものと新しいものが一気に混ざって。
ごちゃごちゃしてくる。
古いのと新しい流れが混ざる時に本当に必要なものだけが残るようになってるけど。
そこの見極めもしっかり存在は人間をサポートしなきゃダメでしょって思ってる。
それも存在は何にもないまっさらな目でね。
そこに光がどうのとか闇がとうのとかそういうのはいらない。
それこそジャッチっていうのをせずに。
けれども何が良くて何が悪いのかはしっかりと見て。
一見すると矛盾してるようなこと書いてるけどさ。
とても必要なことなんだ。
良いと悪いはしっかりと見ないと。
え?良いと悪いはないんじゃないの?と思いそうだけど。
しっかり良いと悪いはある。
そもそもよく思い出してみてよ。
スピリチュアルに詳しい人だったらわかるでしょ?
良いと悪いはないよ。
でも良いと悪いが存在したらダメとは言ってない。
難しいこと言ったかもしれないけど。
存在はしてないとは言った。
でも存在してないとも言ってない。
全部あるとしか言ってません。
つまりそういうこと。
あるけどない、ないけどある。
こんな感じになっちゃってるから。
この世界の設定そのものが。
すでに矛盾をはらんでるんだよね。
けど確かにそうなんだよ。
ないって言うけどダメって言ってないんだよ。
ありとあらゆるものは存在している。
そしてその存在しているものは全て意味があると。
このようにしか語られてないから。
まあ私は聞いただけなので。
本当にそうなのかわかんないけど。
私はダメとは一言も聞いてないなと。
良いと悪いはないよとは言ってた。
だけど悪いというものが存在してはいけないよとは言ってないし。
それは良いっていうものに対しても存在したらダメなんて一言も言ってない。
光と闇っていうものがあって。
闇は悪だって勝手に思われてるけど。
黒いものが全部悪になるのか。
暗闇にあるものは全て醜いものなのか。
単純な見た目じゃないの?って思っちゃうんだよね。
白ければ綺麗なの?
綺麗なものだったら善なの?
善なるものは本当に光なの?
って私は思っちゃう。
何とも不可思議な世界だよ、ここは。
考察すれば考察するほどに意味がわからなくなってくる。
マジで。
自分自身が何なのかとか。
それは生物学的にもだしスピリチュアル的にもだし。
なんか謎がどんどん増えて行く。
答えのない答えを探してるような。
そんな感じ。
とりあえずこれ以上続けて書いても。
きっとね。
自分でもだんだん。
何を書いてるのかわかんなくなってきそうだから。
この辺でやめとこうと思う。
自分で書いてることなのにね。
何を書いてるのかわかんなくなっちゃうって。
恥ずかしい限りだけど。
まあそういうこともあるよね(^_^;)