すげー。


なるほど。


やっぱそうだったんだな。


と納得することもあれば。


ある見方に傾いてたかもなぁと気付いたり。


でも自分の内側を探ると傾かせたかったっけ?と見直すきっかけにもなった。


今の自分自身が一体何を思っているのかを再度知ることが出来て良かった。


どこに向かいたいとか。


どこに行きたいとか。


本当はどうあってほしいのかとか。


過去に私が他者に見せてはいないけども吐露した存在やこの宇宙、源について書いたものの中にそれ繋がる欠片が詰まってる。


考えはいつも更新されて行くから都度方向性は変わらずとも内容(中身)は一新されてく。


真ん中、中心点、零次元?(高いとか低いとかそういうのがない)、0ポイント、どこでもない場所、ニュートラル地点。


良いとか悪いとか。


光とか闇とか。


そう言うのとは違うところ。


でも今現在言われてるスピリチュアルのほとんどは光に戻る話。


光が良くて、闇は悪い。


アセンションは良くてディセンションは良くない。


目覚め(目醒め)は良くて眠りは良くない。


だからそれをどうにかするのには眠り側の意識を変えるためにと動いてる。


でもそう言うことでもないのだと気付く。


この世界はなんと言うか不可思議だなぁと。


過去の自分が源について不自然さを感じていて。


この宇宙そのものを、存在を不信に思ってた。


確かに源は愛なのだろう。


見たことはないけど。


その愛とは光りなのだとよく聞く。


ならきっと光りなのだろう。


その源から全て生まれたのなら。


全ては光りであり愛なのだろう。


それは悪や闇であっても。


それは分かる。


けれどもいつも。


光は闇を悪とし消そうとする。


調和と言いながら不調和を許さない。


光も闇もどちらもあるのが当然なのに。


光が全てだと言わんばかり。


元々源が光りなら光りが全てと言う気持ちも分からなくもない。


でもそう言う意味で伝えて来てるとは思えなかった。


これは全部外側に見たもので。


私自身が受け取ったものは闇をよく見よと言う言葉。


闇は怖いもの、汚いもの、良くないもの、穢らわしいものと言う最悪のイメージしかなかったから毛嫌いしてたし遠ざけてた。


でも自分自身は闇が深いし。


光側ではないなと言う感覚で。


疎外感はあった。


でも調和って何かを排斥するものじゃない。


そう言うのを思った時にいじめられていた頃の感覚を思い出して苦しくなって。


闇に対して怖いものと言う印象があったけど。


この闇について、要らないものとして見られていたり、恐れの対処としてだけで見られていたのなら。。。どうなんだろう?と考えるように。


置かれている環境や立場や考え方は全然違うけどね。


でも何だか寂しく(淋しく)なったの。


それに悲しくも。


闇を除け者にしちゃうの?と。


なんで?って。


光って優しいイメージがあったから。


どうして闇にいじわるするの?


なかよし(ともだち)にはなれないの?


なんで倒そうとしちゃうの?って光について思ってた。


向こう(闇)がいじわるして来たからと言ってやり返すの?と。


私も除け者にされるの嫌だったから。


もしも除け者にされる、されているのだとしたらそれはどうなのだろうかと。


疑問だった。


なんか私が思ってたの(思ってた光)と違うなって。


それでこの世界を観察するようになった。


それとは別に闇については夢でも何度も見ていて。


最後の夢では光と闇の王様が出て来て。


光と闇の王様に問われるんだよね。


光と闇の王様たちが持ってる珠を差し出されてこれをどうする?と。


私が今いるこの場所は光と闇のちょうど真ん中のようなところ。


どちらももうやめたいことがあって。


その解決策を探してた。


その答えを私は出せないまま起きちゃったんだけど。


そう言うこともあって闇について考えるようになった。


カードリーディングで闇について聞くことも多かったし。


純粋な闇は正直綺麗だと思うこともあった。


闇と言われてるだけであって光りってのはこういうところなのかも知れないなと。


でも私自身生きてると人から影響を受けるし他者の話を聞くと確かに光の道に進みがち。


けれどそれは闇を排除するだとか、闇は悪で光が正しいから光りに戻すと言うことではないのだけどね。


ここが上手く言葉に出来なくて詰まる。


光ありきで闇はなしではない。


だけど現状説明するのに光と闇と言う表現になってしまって。


これどうするのが(文章に起こせば)良いんだ?と悩み中。


まぁメモ書きだからこんなもんだよね。



私は光とか闇とか言い出すとわけ分からなくなるから私は私ということにしてる。