スピリチュアルって。
変な癖付いてるのかも知れない?
特に肉体を脱いだあとの世界。
そもそも。
肉体を脱いだあととか。
生まれて来る前とか。
そう言うことじゃないし。
精神世界って肉体の有無関係なしに今現在とも大分密接に関わってる。
変な癖のひとつに地獄とか天国があるけど。
これはいつから言われ出したんだろ。
これはひと昔前だと思うけどあの世と言われるものの在り方がどうにも引っかかる。
そもそも。
天国と地獄って。
なんで分ける必要があるの?
どうして裁かれねばならない?
それは生前に悪いことをしたから?
その罪を償うため?
罪があるなら罰があるのは当たり前?
亡くなったあとに生まれ変わってまた人間をやるのも。
自分に足りないもの、履修不足のものをやるため?
でもそれらって本当にそうなの?
誰から聞いたの?
この神秘の世界(スピリチュアル)ってそう言うものだっけ?
地球は学びの場と言ったり、遊び場と言ったり、はたまた流刑地と呼ぶ人もいて。
様々な言われ方をしてる。
誰がどんなことを目的として、またどんな目線で見るかで地球に限らず、それは人でも物でも存在でも、時には出来事すらも様々な意味合いに変わる。
だから存在している全ての存在、それは人間も動植物もありとあらゆるものを含めて色んな見方があるのは当然。
それぞれがそれぞれに見てるものが違うのだから致し方ないこと。
でも唯一変わらないのは。
根本にある原理原則。
色んな想念により様々な世界が生まれようとも。
仕組みは仕組み自体を動かさない限り。
また根本的に変えようとしない限り変わらない。
不変である。
その不変のものを変えられることができるのか、できないのかは不明だけど。
基本的にはいじれないと思う。
それはそう言うものだと決まってるようなもので。
あなたがあなたであるように。
私が私であるように。
唯一無二。
、、、のような気がしてる。
正しいも間違いもないけど。
だけどそれでもこの宇宙には。
誰にも変えられない真実があって。
その基礎となるものをベースに創造と想像がある。
だからどうしたって適切か不適切かと言うものは出てくる
間違いも正しいもないと言いながら。
確かに真実ではない誤りがこの宇宙には存在してる。
本当ではないものが本当のフリをして。
誤りに数%の真実が入ることでね。
これを正すとか正さないとか。
そう言うことではなく。
誤りはいずれ露呈し元の道へ必然的に戻って行く。
どこまでが真でどこまでが偽りか。
綺麗に混ざっていてすんごいことになってると思う。
こうも綺麗に混合してると解(ほど)いて行くのも一苦労。
しかも人の意識の深くに当たり前のものとして横たわっているから。
意識せずとも深い部分で気付かずにそれはそうなんだと既に思ってしまってる。
でも本当かどうかを自分で確かめる必要が出てくる。
それを知っているのは。
本来の自分自身。
魂よりも遥か深い部分で繋がっている。
核(本質)たる自身が。
※魂は核となるその一部を含みながら同時に繋がる為のものだと私は思ってるのでこんな書き方になってる。
魂のその先。
人間としての意識は心を通して魂と繋がり、魂を介して本質を感じる。
魂の先に本質の私が拡がってる。
人の世界と魂と精神世界。
魂は自分は何者であるかと言う情報を持って来る為と人として生きた時間の体験や経験を記録し保存し保管する為のツールでありながら、本質との繋がりを持ったものであり本質と繋がるゲートのような役割を私は担っていると思う。
他の人が認識している魂と私が持ってる魂のイメージとは全然違うかも知れない。
私は魂を自分の本質だとどうしても思えなくて。
だから魂への道とか。
魂に従って生きるとか。
全然しっくり来なくて。
思ってることを書くとこんな感じ。
でも正直見えない世界のことなんてよく分からない。
一人一人に真実があるから。
ただそれでも見えない世界の、なんて書いたら良いのか難しいけど見えない世界全体をたらしめている為の土台は不変だと思う。
根源が根源であるように。
一人一人真実があろうともね。
見えている、触れるなど形ある世界の方が特殊。
そもそも見えない世界がデフォ。
こっちの物理の世界の方が後から出来たようなものだと思う。
でも確認してはないから実際のところなんて不明だけど。
私にはそうとしか思えないんだよなぁ。←なんでか分かんないけどね。
ひと昔前とスピリチュアルへの認識って変わって来ていると思う。
でもそれらの影響を今現在も受けてるし。
先にも書いたように変な癖が付いてる。
要は歪んで伝わってる。
一部は合ってる、でも他はん?って思うことが多い。
けれど生きてる人間には確かめる術がないから。
言いたい放題、やりたい放題、し放題。
それの積み重ねによって。
人類の無意識の領域でそれはそうなんだと誤った認識が定着。
けれどもそうではないことを伝える人も確かにいる。
何者かが人類へ施したスピリチュアルの洗脳を解く人が。
ちなみに私はスピリチュアルについて分かってないのでよく観察し考えてたら気付いたタイプ。
どうにも違和感しかないから。
でも気付いてる人多いと思う。
この世界は目に見える世界だけが現実ではなくて見えない世界も密接に関係していること。
だから引き寄せの法則ってのを使ってるんじゃないの?
宇宙の法則とか認知しやすいようにわざわざ呼称があるし。
この世界(見えない世界)の仕組みを理解してそれを実生活に取り入れより豊かな人生を歩みたい。
これは本質とはズレてはいるけど。
見えない世界と見える世界が連動していて、ぴったりくっ付いた世界であると認識してるからやってることだよね。
見えない世界は単純に夢物語やおとぎ話、亡くなったあとに行くだけの世界じゃないってことも段々と理解して来てると思う。
生まれる前の世界だとか肉体を脱いだあとの世界だとか。
そう言う簡単な言葉で片付けられない領域の話だってことは私が説明せずとも重々分かってるんじゃないのかな。
アセンションとかそういう話をしてる時点でスピリチュアルが単純明快なものじゃないってことは理解してると思う。
でも本当はものすごくシンプルなんだけどね。
けれど現状複雑化してる。
人の感情や思考もあって。
あとスピリチュアルへの誤認。
特別視する傾向とか。
崇め奉る感じとか。
目に見えない存在に全幅の信頼を置くとかね。
おかしなことにスピリチュアルの知識を持つ者、スピリチュアルの知識でもって豊かさを手に入れた者、特別な能力を持ち活動している者、神と呼ばれし者に仕えて行動をしている者等全員ではないけれどこう言った者に覇権があって、それを知って憧れて人々はスピリチュアルの道へと進むことが多い。
それで知らない人より知ってるから得意げになるの。
可愛いと呼べる範疇ならまだマシ。
それすら飛び越え人を見下し、自分が他人よりも優っている、自分の方がすごい、自分の方が上と勘違いする痛々しい人も中にはいる。
この時点でスピリチュアルの本質とは大分かけ離れているけど。
そもそもスピリチュアルって現実を良くする為にあるようなものじゃないじゃない?
確かに見えない世界の仕組みを使って現実の世界で願い事を叶えられるけど。
そう言う話じゃないじゃん。
確かに叶えることは出来るし物理の世界に適応出来ることなら基本的には何でも可能だと思う。
さすがに物理の法則を無視した願いは難しいと思うよ。
やっぱり人間にはやれることとやれないことがあるし。
制限があるのがこの地球であり三次元(人間)の世界だから。
アニメや漫画等の二次元の世界のような一瞬で違う場所に移動するとか、手から火を出すとか、飛びたいって思うだけで空を飛ぶってなど物理的に難しいことは当然不可能。
夢があって良いとは思うけど。
いくらスピリチュアルでも無理なものは無理。
それこそ現実をよく見ないとね。
気持ちはすんごく分かるけど。
※ちなみに夢を持つなって話じゃない。
でも何か願いを叶える為、現実を良くしたいが為にあるわけじゃないよね。
もちろんそう言う使い方も出来るから。
それをやりたい人はやれば良い。
もしかしたら現実が良くなることで自分に余裕が出来て、自分を見つめる時間を作ることが可能になり、より一層自分らしく生きれるかも知れないから。
確かに順序は逆ではあるけどそう言う可能性は否定出来ない。
ただ人の意識の段階がどこにあるのか。
我欲だけなら。
難しいかも知れない。
勝ち組や負け組と言う考え方、人より優位に立ちたいなど。
権威や肩書きと言った目に見える栄誉とか名声や揺るがない確固たる地位や立場と言ったものを人は欲しがるから。
今までがそうだったし。
そう言うことがずっと継続され積み重ねられて来たから。
そう言うものやことが素晴らしくて素敵だと思ってる。
なので現実を良くすることをメインに考えるスピリチュアルって個人的には怖い。
自分は他人とは違うんだ、特別なんだと言う傲慢さや差別的な意識などを持たないということを否定できない。
またその逆に従来の社会の在り方は競争させ評価され比較の中で自分を確立させて来たから比較癖が抜けきれてないから劣等感に苛まれることも否定できない。
あの人はできているけど自分はできない、でもそれだと苦しくてツライからこの人よりはまだマシだと見比べて心の平穏を保とうとする人もいるかも知れない。
そうなると結局のところどちらも優劣を生む要因になる。
この世界って勝負なんてしてないし勝敗なんてないの。
誰かが優れていて誰かが劣っているとか。
そう言う話じゃないじゃん。
でも人間の意識の段階はそこに気付けるまでに到達している人とそうではない人に未だに分かれていて。
気付ける人と気付けない人のここの開きが大きい。
以前よりは気付けない人は少なくなって来ているのかも知れない。
それでもこの開きの幅は広ければ広い程差を生む。
これについて個人的に思うことは。
きっと今現在のスピリチュアルはこの差を埋めるような流れになって来てるのだと思う。
それは物理では難しいから。
見えない世界側からのアプローチ。
集合意識(集合的無意識/集合想念)を介して人々の潜在意識に働きかける。
いわゆる響き合いを利用したもの。
音叉を鳴らすと遠くの音叉が鳴るように。
それは私も思ってたから。
考えることは一緒。
実を言うとある存在から教わったんだけどね。
時々出てくる口が悪い存在で手厳しい。
否が応でも現実を見させる。
現実逃避しても構わないけど現実逃避したところで何にも変わらないまま、そのまんまの状態がただ続いて行くだけとか。
確かにそのとおりだけど。
それでも言い方ってものがあるじゃん?
ドギツい言葉をサラッと涼しい雰囲気で浴びせて来るし耳に痛いことをズバズバ言って来る。
酷いよぉあんまりだよぉ
悪魔!鬼畜ってなることも多々(^_^;)
なので魔王と呼んでる(;´∀`)
いつか大魔王になるかも知れない?
誰が大魔王だ!って声が聞こえて来そう?😅
と脱線したけど。
後に知る百匹目の猿現象と言うものがあるそうで。
それを起こすことで意識の段階を上げようとしてるのだと思う。
誤解を生み兼ねないからあんまり上げるとか下げるとか使いたくないけど、上が良いとか下が良くないとかそういう話ではない。
何だか今のスピリチュアルって全部ではないけれど。
気付いた人(覚醒した人)だけが○○出来るとかそういう話が多いじゃない?
私はそのように感じてるのでおかしいなって思って今それらについて自分が思ってることを記録として書いてる。
でも本当は気付いた人の意識が他者の無意識下に働きかけるから。
覚醒者だけがどうのって話ではないんだよね。
二極化とか多極化とか言われてるけど。
これもこれでね。
個人的には頭にハテナ。
言いたいことは分かるけど。
覚醒したとて眠ってる人が消えるわけじゃないし。
うまく説明出来ないけど。
無意識下で繋がってるなら。
眠りを含めた世界も大きく自分たちの世界に関係してるって私は思うけどね。
覚醒して五次元意識で生きる、他の意識層の人とはさようならってことにはならないと思うけど?
そもそも眠りの世界と言うものを作り出してる時点で。
その世界は存在し続けるし。
世界の在り方ってそういうことじゃないでしょう?
私はこの両極端な感じが和らいでほしいし。
眠りと目覚めって言う捉え方も無くなれば良いと思ってる。
既にこの時点で分かれてるもの。
でも分けるものじゃないと言うか。
分ける必要がないと言うか。
本当は同じでしょ?
状態を見たら違うかも知れないけど。
でも一緒じゃん。
ワンネスだとか調和とか。
しょっちゅう聞くけど。
覚醒した者(五次元意識で生きる)だけが集う調和ってなんなんだろうね。
言ってることとやってることに矛盾と乖離があって気持ち悪い。
※私が意図を誤認や誤解、曲解してたら申し訳ない。
だから何がしたいのか。
ぜーんぜん分からない。
こう言うところが改善されて見直されて行ったらより生活しやすくなるんじゃないのかなと私は思ってる。
眠りの世界があるということは。
その影響は五次元意識に移行しようとも少なからずあるし。
いずれはそこに向き合うことが必要になる。
後回しにしてる場合じゃないよね。
今までの流れ見てるときちんと向き合っ来なかった感じがするし。
でもそれももうおしまい。
スピリチュアルのこの流れって多分そういうことなんだと私は思うんだ。
しっかり向き合う時が来た。
そうさせたのはみんな。
本当は違うってこと分かってるから。
すんげー面白い。
これからごちゃごちゃして来ても。
それには見向きもせずに。
ただ自分の信念に基づいて行動するだけ。
そう言う意味では他は知らないって言葉がピッタリ。
何故ならスピリチュアルは個人の精神世界の探求だから。
でもそれが最終的には全体のものになるけれど。
それでも一人一人の体験や経験はその人だけのもので、他の誰もその人になることは出来ないように。
自分の精神世界を自分一人で探求してく。
それがスピリチュアルだと私は思うので他は知らない。
それぞれが自分の望むままにすれば良い。
誰かと一緒に足並みを揃え、歩幅を合わせて進むことはしなくても構わない。
それを目的としてるのであれば話は別だけど。
さてこの世界はどのように変化変容を遂げるのか。
どんな姿を私は見るのか。
楽しみ。