前回の同タイトルのブログにも書いたとおり。


これは今現在の考え方なので変わることも大いにあります。





地球の次元上昇は人でしか出来ない。


もちろん地球は地球で次元上昇をしてるのかも知れない。


でもそれとは別に地球の表面にいる私達人間は地球に住みながら、地球の自然の一部として地球のスピリットとは別に地球の次元上昇の手助けをする。


人は人で次元上昇をするのだろうなと思う。


それは自らの意識をより本質の自分へと回帰させて行くただそれだけ。


簡単に言うとこんなです。


でも人でなければならない理由はここ地球が物理の世界だから。


物理の世界にいるものじゃないと物理的に次元上昇はできないでしょ。


だから人が重要になってくる。


人って人だけどさ。


目に見えない存在との橋渡し的なものでもあるんだよね。


本当は全ての人がそう。


見えない存在との繋がりを全員が持てる。


ただ今はその能力がうまく使えてない。


だから自分自身にはないと思ってる人が多い。


けれども本当はそういうことではなくて。


みんなが同じように使える。


だから人間っていう生き物は結構特殊。


肉体に宿ってる精神エネルギーは見えない世界のものだし、だけど肉体自体は目に見える世界のもの。


目に見えない存在でありながら目に見える存在として生活している。


命という肉体の活動時間の限界を定めて生きてる。


そして地球は物理の世界の星。


だからその両方を持ってる人間ってすごいよね。


もちろん人間以外の動植物もすごいよね。


ただ動植物と違うのは人間には知性や理性がある。


動物とは違って深く物事を考えられるし感情もある。


もちろん動物だって感情がある子もいるから全部が全部人とは違うと言うのではない。


むしろ人よりも優れてる生き物だっているし。


それぞれがそれぞれに他種族には持っていない特徴や良さを持ってる。


ただそれだけであって別に否定や比較をしているのではない。


これから精神世界を重んじた世界になっていく。


そういう流れがもう来ている。


それが五次元の世界なんだけど。


五次元の世界になったからと言って嫌なことが消えるわけではない。


なんなら五次元の世界になったからと言って三次元の世界がなくなるわけではない。


どの次元も存在はしている。


ただその中のどこに意識を持っていくか。


それによって見えてくる世界が変わるし。


自分の行動も変われば相手の行動だって変わってくる。


ただそれだけ。


正直に言うと私はあまりスピリチュアルっていうものが分からない。


本当に詳しくないから。


ただいろんな情報があって。


自分なりの解釈を含めながらまとめるとこんな感じになったってだけ。


これから書くのは(まだ本題書いてないのかい!ってツッコミはなしで✋)見える形での次元上昇について。


これもまた私の解釈なので他の人と違うかも知れない。


でも物理世界に生きているし物理の世界に当てはめたら、次元上昇ってこういうことなんじゃないの?って私は思ってることを書いてるだけです。


私のイメージなのでこの順番かは分かりませんが、おそらくまず最初に人々の精神面が成長する。


個人的には次元上昇というのは人々の精神性の向上や発達、成長を指している。


同じ精神性でも物質的な豊かさのみを求めてた精神性から、見えないものを大切にする精神性へと変わる。


それで話を戻すけど。


その精神面の成長から。


現実の、物質の世界へ反映が起きる。


これが目に見えた地球の次元上昇だと思ってる。


どういうことかというと。


精神性が高い人は基本的に争い事を好まない。←って私は思っている。


それは物に価値を置かずに、人の心や命に価値を置くから。


心が豊かになってるので他者についても深く考えられるようになる。


だから誰かから何かを奪おうと思わないと思うんだ。


そもそも奪い合いが起きると。


結局戦うことになって誰かが傷付くし。


戦えばどちらかが勝つけど、それでも双方に痛手を追うことになる。


だから戦いのなれの果てって規模によるけど最悪滅亡しかない。


場合によっては地球はボロボロになるし、人々は巻き込まれて混乱や貧困は増えるし。


それに争った結果人々に残ったものって遺恨しかないし。


それはもう既に証明されている。


身近なもので例えるなら兄弟喧嘩、親子関係とか。


そういったものにも似たようなことが言える。


例えば昭和生まれの人が昭和時代または平成の時代に喧嘩して令和を迎えた現在でも解決してない問題があるとかね。


一体いつまで引きずり続けるの?って思うけど、心に残った想いと言うのはなかなか消えないものだし。


もしもこれが国家間での争い事だったとしたら?


より大きな問題になるよね?


これが何を語っているか、皆まで言わなくても分かると思う。


それ(許せない気持ち)を蔑ろにしたり軽んじてるわけではない。


けれども敢えて書くとするなら。


ものすんごーく前のこと、それも自分たちが生まれる前の出来事で、自分の代ではないけれど。


未だに許せない気持ちを持ってる人々がいる。


そしてその当時生まれていなかった者に償いをさせようとする。


きっとここにはそうさせたいわけではないけれども、結果としてそうなってしまう苦しさがあって、更に償わせたとしてもそれでもまだ解決出来ずに残ってる。


償いというものではどうしても代えられない、それほどまでに戦いや争いと言ったものは人の心に苦しみを与える。


結局それはどちらにもマイナスに働くし。


ずっと向き合って行かなきゃいけない。


けれどどこかで区切りを付けることも必要になって来る。


でも区切りを付けることだって苦しさを伴う。


だから争い事って何も残んないんだよ。


兄弟喧嘩や親子喧嘩だけに留まらず友達同士でだって喧嘩の内容によっては根に持つことが起きる場合もある。


ちなみに私は根に持つタイプだったりします(^_^;)


さらに言うと怒りを蓄積させるし、悶々と考えるし、思い出しながら怒りが再燃することもある。


もう過去のことだと分かってるけど怒ってしまう。


昔よりはマシになったけどね。


ボタンのかけ違い、すれ違いで、誤解したまま、ずっと許せなくて苦しい思いを抱えて過ごす人だっている。


それと国同士でのやり取りを同等にして扱っているわけではないよ?


これはあくまでも分かりやすく例えただけ。


それでもとどのつまり何が言いたいかと言うと大きさに関係なく、悲しいことに遺恨だけは消えずに残ってる。


でもそこ(遺恨等のネガティブな気持ち)から発生するものって言ったら。


共存共栄よりもやっぱり許せない気持ちの方が勝(まさ)って。


こんなことをした相手に許せない想いをぶつけたくなるよね。


喧嘩などで個々人の規模ですら許せないことってあるから。


そう言う気持ちは私も分かる。


何よりネガティブな思いって増強しやすいし。


いつまでも残ってしまう。


そういう性質がどうにもあるから。


解消して行くのに時間がかかる。


相手にぶつけたところで解決しないことが分かっていても。


そうせざるを得ない時ってあったりするし。


ほんとやるせない気持ちにさせる。


なので心のケアって本当に大切で。


本当に人の苦しみって解くのが難しい。


だから争い事って本当に何も残らない。


そしてそれ(自分では解決できない苦しい胸の内を)をどんな形で表すのかは分からないけど。


これが戦いの種火になってしまったら。。。


どうなると思う?


その時の戦いで終わらないことがほとんど。


また同じこと(戦い)が繰り返されて。


そしてまた同じこと(遺恨が残る)が起き。


またそれ(許せない気持ちから復讐心が芽生えて)でもって同じこと(争い)が起きる。


それ(戦いや悲しみや怒り)はずっと連鎖していく。


どちらかがやめない限り(やめようとしない限り)終わることがないし。


その場合もしかしたらどちらかが悔しい思いをするかも知れないから、片方だけが悔しい思いをしない為にも話し合うことが大切になる。


それが難しいからと言ってこんなことをずっと続けていたらいずれはどちらも滅ぶ。


だって戦いは双方を互いを傷つけ合うことだから。


色んなものを犠牲にして削って行ってるだけなんだよね。


どんどん減ってくだけ。


精神的にも肉体的にも困憊するし


プラスになることってない。


土地が増えるとか、支配領域が増えるとか。


そういうのはあるのかも知れないけど。


でもそれってどちらか一方が良いだけ。


お互いの利にはなってない。


そういうことが起きると。


片方は良くて片方はそうではない状況になるから。


やっぱりいずれはまた同じことが起きて。


不和になる。


それにそもそもの発端が争いからだと。


鎮火してるように見えてずっとくすぶってて。


いずれまた燃え上がる。


そうやって争いをずっと繰り返してたら。


生存していくことって難しいよね。


だってずっと命を削ってるんだもん。


物ばかりに囚われて。


目先の利益しか考えない。


自分のところだけ良ければそれで良い。


けれども一番大事なのは物じゃないのに。


過去に起きてしまったことを責めたって何にも解決にならないから責めているわけではない。


けどもう同じことを繰り返してはならない。


それが分からない人間ではないよね。


そもそも国だって。


人がいるから国として成り立ってるのに。


誰もいなくなったら何もできなくなるよね。


でも物ばかり重視するっていうことはそういうことじゃん?


物って言ったって物質的なものだけじゃなくて。


目に見えない名声、権力、名誉、ステータスとか、そういったもの。


けれどそういったものって一時的なものであって。


正直肉体を持った今だから満足できるかも知れないけど。


肉体を脱いだ後は全部それらって人間だったからこそ感じられるものであり、ただのエネルギーの塊になったら何の意味もないから。


持って帰ることができるとしたら。


経験だけ。


そういうのに気付き始めてる人が増えてきていると思う。


それよりも大事なことに気付き始めてる。


以前よりは多いと思う。


ちょっとばかりずれちゃったかも知れないから元々の本題に戻します。


先にも同じことを書いたけど。


精神性が高いと物より人の気持ちを大切にする。


自分と向き合うことも多くなるだろうから。


自分を知ることもできるし。


自分を知ると自分も大事にしなきゃいけないんだってことに気付ける。


自分を大事にすると自分に余裕が持てるから本当の意味で自分と他人に優しくできるようになる。


自分を犠牲にするようなやり方で人に優しくすることもなくなるし。


自分を認めて欲しくて人に優しくすることもなくなる。


他人に対して文句もつけなくなってくると思う。


だって自分は自分だし、他人は他人だから。


自分で自分のことを認められるようになれれば、誰かに認められる必要なんてないんだなって気付ける。


よって気持ちを揺さぶらることも少くなるし、声を荒げることも少なくなる。


そういう人が増えれば増えるほど。


気分がよい人が増えて行くし。


その規模が拡大すればする程、地球は住みやすくなっていく。


そして精神性が高いということは。


人の在り方についても考えるから。


在り方と言うのは地球と自然と人と。


自然と程よい均衡と距離感で。


人間というものが如何に地球というこの星に生かされているのか。


そういうことも考えられるようになるだろうし。


それに精神世界についてもきっともっと理解が深められて。


それによって自己の内面だけでなく、自然との関わりや自分以外の人との関わり方も変わる。


それから自然や人、人と見えない存在との関係性も大きく変わる事になる。


これは人の意識が変わるから。


地球全体としても人の行動が変わるので。


目に見えて以前との差が見えてくると思う。


これがうまく説明できないけど(^_^;)


現実的に見た次元上昇なのだと思う。


もしかしたらその一部を書いてるだけかも知れないけど。←他にもあるかも知れない。


人への接し方や地球という星、そこに住まう生きとし生けるもの。


そう言った考え方なども含めて変わっていくので。


今までと比べたら目に見えるものは大分変わるよね。


そして人々の意識が変われば。


くどいけど自分も含めた人に対する接し方も変わる。


この地球っていうものが一つの惑星であって。


自分たちもその惑星の中の一部で。


今は国というものに分かれてるけど。


そもそも地球は一つの星だから。


国境なんてものは本当は何にもなくって。


人種なんてものも何にもなくって。


ただの地球人なんだって。


今は争ったりしてるけど、


本当はみんな同じ人間で。


どこも何も変わらない。


日本人とそれ以外とかそういうのではなくて。


どこの国の人だってどんな言葉を喋っていたって。


みんな同じ星の住人でしょって。


だから何も比べることはないし。


それぞれが尊くて。


愛おしい存在なんだって。


きっと表面的ではなくて心から理解できる。


そんな風に変わることが。


地球の目に見える形での次元上昇。


なのではないのかなと思ってる。


ちなみにね、これだけ見ると。


精神世界を重視した世界の方がいいじゃない!だとか。


物質主義の世界はよくないだとか!そういう話ではないの。


こう書いてるとね、五次元(精神世界をベースにした世界)の方が良さそうって思うけど。


物質に重点を置いた世界は私たちが今経験しているような傾向があるってだけ。


その傾向が強く行き過ぎると当然バランスを崩す。


その結果偏ってしまって排他的になってしまったり。


人や心ではなく効率や見えるものばかりを重視するようになってしまったり。


でもこの物質を大切にする考え方がなければ今の世の中にはまずなってない。


技術も革新しないし文明は発達していないし。


利便性だって向上してない。


本当に昔の地球のまんまだったかも知れない。


生活の水準が低いことだって十分にある。


上下水道とかさ、スマートフォンとか、電気とか電車とか。


ここまでテクノロジーが発達したのは物質を重要視して世界を動かし続けたから。


これはこれで必要だったことなんだと思う。


でも今度はそのバランスを取るために。


目に見えるものだけではなくて。


目に見えないものも取り入れる。


目に見えないものについて考えること。


そういうのが大切になってくる。


見えない世界と見える世界のバランスを取っていく。


そういうことなんだと思うんだ。


どっちかにするのではなくってどちらもあって当然なので。


そのバランスを取ってくだけ。


どちらかひとつにすると当然また偏ってくる。


どちらもあっての地球だから。


どちらの比重も同じぐらいにすればいいだけのこと。


だから三次元が良くて五次元がいいっていうわけじゃない。


物質主義の世界のことを否定しているわけではないし、悪者にしたいわけではない。


これはどちらかがいいという比較ではないです。


今までは今までなりに必要なことだったし、それがないと出来なかったことも沢山あるから、見えるものと見えないものとその両方から良いとこ取りして、上手く付き合って行けば良いと私は思ってる。


ついどっちかにしがちだけど。


そういうことではない。


それをしてしまったらまた同じようなことになってしまうからね。


どちらかを生かすのではなくって、どちらも生かしながら、上手にその間を取って程よい距離感で付き合っていく。


私はそういう方が安心感があるかな。


どちらかにするのなんて難しいし。


やっぱり悪者にしたくない。


悪に見えるものだってそういう存在がいるからそうではないものに気付けるし。


それだったら結局それも物の見方だから。


私は綺麗事って言われるかも知れないけど悪者を生み出したくない。


だって意味があってみんないるだろうし、意味があって起きていることだろうから。


人間の目線で考えるとどうしても理解ができないことも確かにあるけど。


それでもそういう考え方(起きることに意味があること)を私は否定したくはない。


誰だって悪者になりたくて生きてるわけではないと思うんだ。


何かしらの理由がきっとあるはずだと思うから。


賛否両論あるだろうけど私はそれ(全てに意味があること)を信じたい。



だから宇宙文明の話もスピリチュアル界隈では出てきているけど。


宇宙との交流についてね。


でも宇宙のどこそこの星は精神性が発達しているとか文明が地球よりも高度だとか。


だから地球はまだまだダメだねとかそういう話じゃない。


そうやって比較をしているのではない。


地球には地球の良さがあるし、他の惑星には他の惑星の良さがある。


ただそれだけの違いを述べてるだけであって。


比べるものじゃない。


絶対に忘れちゃいけないところだと思う。


違いがあって当然だもん。


地球が高度な文明じゃないからと言って卑下する必要もないし。


今はまだ他の星に比べると精神的に低いからと言うことでショックを受ける必要はないし。


比べる必要はない。


そもそもこの星が良くて地球はまだまだだとか言ってる方がいささか疑問。


それを言ってたら比較してることになるから。


個で生きていくっていうことは比較からの脱却でもあるから。


中には比較しなきゃいけない時もあるけど。


どちらがいいかって思うことは別にジャッジではないし、判断を下すことは大切。


そういう意味で比較をしなくてはならない時はある。


何が正しくて正しくないのか。


確かに間違いや正しいなんてものはない世界だけど。


それでも何が正しいのか、そういう判断を下す場面は絶対にあるから。


この判断基準は全部自分の内側の信念に基づいたもの。


何が正しいかを下す時の判断基準は自分の中の考え方。


信念や心情(想い)といったものになる。


正しいって言うと正義と悪が浮かぶけれども、正しさってきっと正義とはまた違っていて。


正義と悪みたいに悪を必要としていないと思う。


うまく言葉にできないけれども。


自分の中にある強い想い、その中にはきっと倫理観とか、優しさとか、様々なものが詰まってると思う。


その強い気持ちと照らし合わせた時に違和感を感じる、その感覚がおそらく自分の中にある正しさ。


それだったら別に何かを悪にする必要はないから。


全部自己完結で済ませることができる。


なので外側に悪を生み出すこと(誰かのせいにしないこと)をせずに 自分で納得して、自分で責任を取り、自分で対処する。


こういうことなんじゃないかなって私は思ってるんだけど。


自分で書きながらよく分からなくなって来ちゃったよ(^_^;)


話の辻褄が合ってなかったらごめん🙏💦


自分でも、自分で書いてるのに上手く纏められなくなっちゃった(;´Д`)


なのでこの辺で終わりたいと思います。


長々と読んでくださりありがとうございますm(_ _)m










ここからは余談です。←まだ続くの!?ってね。


実は宇宙が重いっていう話もあって。


よく逆で言われたりするけど。


その反対の話だってありえなくもない。


地球が重くて宇宙は軽いみたいな話はあるけど。


宇宙も重いし地球も重い。


これは宇宙の性質の話をしている。


この地球が属する宇宙自体の性質が二元性に分かれていてその極みを行ってる。


だからこの宇宙に属している見えない存在の話を聞いたところで、光と闇の話しかしなくて余計に分離するから参考にならない。


そういう話もあったりするし、そういう見方もある。


なので、もしそういうことがあったとするなら。


地球から変われば宇宙も変わる。


宇宙から地球っていう話が多いけど。


その逆だって出来る。


地球は宇宙からのサポートがあって保ってる。


そういうこともあるのかも知れないけど。


でもその地球だって自立してるぞ!、地球だってやれば出来るんだぞ!と。


宇宙見せてやればいいと思う。


なんならむしろ地球側から宇宙を変えるくらいの気持ちで。


宇宙もびっくりしちゃうね。


そのくらいの気概を持っててもいいんじゃないかなと思う。


この次元上昇の話を聞いて私が思ったことは。


私も人間なんだけど。


人間に向けて思うことがあって。


見えない存在の傀儡になるなって思ってる。


自分たちで変えられることは沢山あるんだよと言いたい。


だからそのために話を鵜呑みにしないこと。


自分でよく考えること。


話す内容の後ろにどんな意図があるのかをよく考える。


これは人であろうと見えない存在からであろうと同じ。


眼光紙背に徹するという言葉のように裏側にある意図をよく見る。


視野を広げる。


洞察力を身につける。


私も視野狭窄になりがちだから気をつけないとなんないんだけど。


下手したらこのブログそのものも偏ってるかも知れないし。


自分自身だと気付けなかったりするからね。


後々読み返していたりすると。


偏ってるなって気付いたりすることもあるから。


人ってそういう所もあるので。


私の個人的な解釈だし。


鵜呑みはもちろん厳禁、役に立ちそうなところがもしあれば。


あるかどうかは分からないけど、あればどうぞお持ち帰りくださいませm(_ _)m


だけど一番大事なのはしっかり内容を吟味することや精査すること、それから自分の中の考えを大事にすること。


なんか変だな、嫌だな違和感があるって思ったらその違和感を大切にしてください。


他にも意見があるかも知れないし。


本当に個人が思ってることだから。


ただの感想なんだよね、これ。


だけど意見でもあるような?🤔


見解とも言える??


日本語どれが今の私の気持ちを表すのに適切なのか分からないや(^_^;)


なので一つのものの見方と言うことで。


こういう人もいるんだなと。


ちなみにこれはひとつ前のブログの続きなので。


このブログだけ読んでもいいけど。


前のブログも読んだ方が分かりやすい?と思います。←自分のブログなのにハテナ付けちゃう私がいる(^_^;)


こういう人もいるんだなってことで。←二度目。






ここからは余話。


読み方はどうぞ。


見えない世界について触れてるけど割と現実的です。


そういう時代の流れになってきているって文中で何回か書いてるんだけど。


これにもちゃんと理由があるよ、


だって世の中の流れがそうなってるから。


個性的な人が増えているでしょう?


だんだんと個人を認める動きが増えているでしょう?


このブログじゃなくってひとつ前のブログで触れてたと思うんだけど。


多様性と言う価値観の押し付けやジェンダーについて法で決めること。


これらについても少し触れた。


日本人はもしかしたらこれは私の勝手な解釈なので違うことも大いにあるんだけど、もしかしたら決まり事がないと上手く動けなくなってしまってるのかも知れないなって。


その現れかも知れないね。


これから色んなことが変わっていく。


様々な在り方が変わるので。


戸惑うことも多くあると思う。


そこに天災が入ってくると余計に混乱するかも知れないけど、


天災について見えない世界での在り方は私は本当によく分からないから言及できない。


いらないものをそぎ落とすために浄化が起きてるとか。


調整するために必要だとか。


そういうのもあるのかも知れないけどね。


けれどそういうのがはっきり分かっていればこういうことだよって言えるけど。


今のところ私には全く分からないのでなんとも言えませんが。


ただ一つ言えることは。


地球はそういう(天災ありきの)場所であるということ。


そして今現在の人間に限らず、人類はいつも自然と共に生活していたということ。


人は自然を受け入れて、自然も人を受け入れ、その距離感と均衡を保ちながら双方を助け合って生きてきた。


人は人だけではなくて自然と共に生きてきた。


今現在は人間が中心で人間ありき。


人間の方が顕著。


けれどもそういうことではないよね。


だって人間だって自然の一部なんだもの。


それが何を意味しているのか。


分からないなんてことはないはず。


それらを含めて生きていれば。


天災についての考え方も変わるよね。


だって私たちはその自然と何ら変わらないんだもの。


そして天災も自然の摂理だし。


それこそ原点回帰をして。


自然と人の関係性。


自然に対する昔の人の想いを思い出す。


どんな気持ちで大自然と接していたのか。


何を考えていたのか。


便利な世の中になった今現在の私も含めた人は自然との在り方をもう一度考え直さなければならない。


SDGsと言ってるけど。


これもまた本来はそのような取り組みをせずとも、またこのようなテーマを挙げずとも出来ていたはず。


こうやって何か取り組むべきテーマや指標または目標を持ってきたり、定めたり掲げたりしないと動けなくなってしまっている。


そこが一番の問題かも知れないね。


もちろん全員がそうとは言ってない。


でもこのようにテーマがないと動けない、取り組めない。


これってちょっと厄介だと思う。


だってこれを例えるなら。


お手洗いを使う時に、次に使う人のこと、つまり他人のことや掃除してくれている人のことを思えば綺麗に使おうと思う。


けれども汚く使う人もいる。


だから綺麗に使ってくださいって張り紙が貼られる。


言われないと綺麗に出来ないって?


ましてや張り紙があっても汚く使う人もいる。


言われないと分からないし、言われても分からない。


これって、、、。


どのように感じます?←突然の問いかけ(^_^;)


由々しき事態だと私は思う。


こういったところも人類が向き合わなければならない課題。


そしてこれは一人一人の意識の問題だから一人一人の課題でもある。


そのように私は捉えている。


これからの時代はこういう細かいところにも気が付く人が増えそう。


気になる点が沢山出てくるかも知れない。


だからもしかしたら場合によっては細かいところを見るのも大事だけど、人によってはそれが苦痛になるかも知れないから、ある程度割り切ることも必要になってくるかも知れない。


全部を見てたらきりがないし。


完璧に何かを整えるなんて難しいから。


多少穴(気になる所)があっても大まかに出来ていればOKくらいの気持ちで。


寛大に、自分を責めずに、そんな自分も認めて許してあげることが大事かも。


気が付けばどんどん長くなっていくからこの辺りでやめます。


拙い文章を、しかもこんな長い文章を、最後まで見てくださりありがとうございました。


お疲れ様でございますm(_ _)m


目を休めてください。