なるほど納得。
ずっと“呈する”って何だと思ってたんだけど。
そういう事か。
確かに現してた。
ある意味見えないものを見える化してたとも言える。
“呈す”には示すの他にもそういう意味も含まれているのかなぁ?
あの名前にはそういう意味も込められているのかも知れない。
けれどそれを好ましく思っていたかと言うと何とも言えないし。
やりたいか、やりたくないかの前に。
自分の義務だったって言ってたから。
役割、役目と言ったもの。
決して今みたいな重たい意味ではないけれど。
それでもやっぱり責任は伴う。
でも別にネガティブな感じではない。
その時はそういう時代だったけれど今はそうじゃないでしょう?って。
問われているだけ。
私は私にやれる事を全うしただけって言ってたから。
ただ自分の意志とは関係がなかった。
だけどそれはそういうものだって。
おそらくそういう流れがあったんだろうね。
だから自分の気持ちとは裏腹に決められた事。
そもそも決められたと言うよりも、もう決まってるそんなのに近い雰囲気を感じる。
自分の本心に気付く気付かないの前に。
既にそういうものだった。
だからそうするのが当たり前だと思ってた。
そこに疑問は抱いていない。
引き継ぐ(引き受ける)事は当然だし。
やれるべき事はやろうと思っていた。
それは揺るぎなかった。
ここに不満を持った事は一度もない。
しかし今は時が流れ、
選択は昔より自由になった。
こんなにも自由なのに。
自由の檻に囚われているようだ。
人の悩みは尽きないけれど。
同時に希望もまた尽きていない。
とも言ってる。
こういう事も考えていたのかな?
これは一部の気持ちであって全部ではない。
先にも書いたように全然ネガティブな感じはしない。
むしろ誇りを持ってやってたって感じるから。
やりたくないと思ってた気持ちは否定してないけど(笑)
でもそういう気持ちが全くない方が逆におかしいだろう?と。
様々な事を思うのが普通(当たり前)だって。
それが人だろう?
それはそうだよね。
日本の神様も実在した人間に名を冠してたりするから。
役職みたいなもんだしね。
そうやって繋げて行った。
だから言わんとしてる事は分かるかも。
人だと人の話が分かるから良いよね。
一度も人間やった事がない存在だと。
まあわけ分かんないから。
人間にも分かる言葉(たとえ話とか)にしろよと思っちゃうもん。←おくち(^_^;)
もっと地球に寄せてほしいとか。
地球ベースで答えてほしいとかね。
人の感覚にもっと近づけて話してほしいとかあるある。
不思議だね。