私は形なき者に体(たい)を与え
声なき者に声を与え
名もなき者に名を与える
※名付けると言う意味ではない
そう言った事をしていた
名は体を呈するとおり
呈する→示すと言う意味
本来は“表す”と書くみたいだけど「呈する」と言われ「呈」の漢字が浮かんだのでそのまま採用
そのままの意味だ
分かる者には分かるだろう
私が何者なのか
しかしそれは重要なことではない
私が何者かを知った所で
それは何の意味もないだろう
ただ私が何者であるかそれだけだからだ
重要なのは伝える者が何者かを知ることではない
また何の話をしたという事でもない
大切なのは聞いている者がその者であるという事だ
今はそなたに向けて話している
そなたがそなたである事を私は望む
今私が思っている事はただそれだけ
何者でもないそなたをそなた自身が大切にせよ
では問題と行こうか
以前にも伝えたとおり
初めから出来た者などいない
かくいう私も信じ難かった
幾度間近で見ようと
実際に自らが体験しようと
なかなかに信じられぬものである
しかしそこに私の“信じる”、“信じない”は関係がない
私の気持ちとは別に
私にはそれをやらなければならなかった
そういう義務があったのだ
そこからは逃れる事が出来ない
それは決まっていた事だったからだ
やるべき事をしなければならない
それが生き延びる為の手段だからだ
与えられた事をやるしかなかった
それ以外の道があればそうしていただろう
しかし私にはそれ以外の道がなかった
なぜなら私はその為にいたからだ
これは信じる信じない、出来る出来ないの話ではなく
やるしかない
そういう世界だ
私はこの力を何とも思わない
この力があったからと言って
争いがなくなったわけではなかったからだ
この力を欲しいと思った事もない
我々はただ普通に過ごしていたかった
朝が始まり、昼を迎え、夜になり、また朝を迎える
ただのその当たり前の日々が送れる事
それだけで十分だ
戦いたいわけではない
場合によってはそう言った事も必要になるだろう
しかしそれは望みではない
守る為とはいえ無傷とは行かない時もある
争いからは何も生まれぬ
ゆえに戦いたくないのだ
普通に暮せればそれで十分
それで良いのだ
その普通というものが尊いのだ
平凡で良い
何の変哲もないその日常が良い
何か多くを望まない
毎日朝起きて自然を感じ
自然の中で過ごしながらまた次の日を迎える
これだけで十分だ
私は私として生きる
それだけで十分だ
何者かになりたいわけではない
私でいたかった
私という存在でいられる事
他の者たちと共に支え合いながら暮らし生活していく事
その淡々とした日々がいかに幸せか
瑣末(さまつ)と思われる出来事さえも
どんなに愛おしいか
どんなに美しいか
それを私は忘れない
今でも覚えている
普通で(いるこそ)よいのだ
特別なものなど持たずとも
そのままで十分に特別なのだぞ
代わり映えのない毎日
そう見えているその日々さえも
よく見てみよ
よく感じてみよ
己(おの)が未だ気づかぬ発見があるかも知れぬぞ
さて話を変えようか
これもまた以前に話したことではあるが
この世界は変わっている、特殊な場だと言ったがそれを覚えているか?
信じる力、思いの強さの話を覚えているか?
今こそそれを存分に使え
前にも言っただろう?
地球は三次元でありながら多次元的な要素を含んでいる星だと
うまくまとめられないので次のブログに移る(^_^;)