何、誰とは言わない。


言わないよ。


言わないけれど。


もう何かの誰かの捧げ物の上に立つのは嫌だ。


人だから思うこと。


全ての理を理解している者は何とも思わないかも知れない。


人の姿を取っても。


それは人で在ってもということ。


でも私はそうではない。


だから人ゆえに色んなものに心揺さぶられる。


もう見たくない。


同じことを繰り返さないでほしい。


いつまでやるの?


何度同じことをするの?


もうそれはおしまい。


分かっていてどうしてまた同じことをしようとするのか。


これは人間だけのせいじゃない。


でも人類は思い出す必要がある。


人が持ってる想像の力。


忘れないで。


創造は見えない世界から見える世界に自分の世界を持って来ること。


それができることを。


言い換えれば。


見えない世界でイメージ(想像)したものを見える世界に具現化(実現化)させるそれが創造なのだと私はそのように理解している。


人類にはそういう力がある。


自分たちで世界は変えられる。


世界というのは見えない世界と見える世界どっちも含んでいる。


目に見える世界が全てじゃない。


それから存在に踊らされない。


自分をしっかり持って生きる。


誰かが何かを言っているから。


そう言って、


その者に全てを託すな、預けるな、委ねるな。


誰かというのは有名な者、指導者などの名のある人物、影響力がある人物だったとしても。


絶対ではないし正しいのではない。


自分の中に全て答えがあることを忘れてはいけない。


他者の中に答えはない。


他者が見せるのは自分自身のみ。


しかしその自分自身であったとしても。


これは内面を映しているだけ。


答えではない。


真実は自分の中にあるだけだ。


全部自分がその答えを知っている。


だから他人に答えを求めるな。


自分に問う。


世の中の出来事に振り回されない。


外ではなくて内を見る。


自分を整えよ。


誰かの話に乗る前に自分は一体どうしたいのかそこをしっかり見よ。


誰を生きている。


自分をしっかり生きよ。


自らを律して自らを生き、自らの生(せい)を全うしなさい。


何者かになるのではなく自分自身を生きなさい。


見えぬ存在である前に自身は人であることを思い出しなさい。


そして自身が見えぬ存在であることもまた確か。


人が人を陥れる時代は終わる。


それは長くは続かない。


決して。


いくら引き伸ばそうとももうそれは終わりを迎えた。


流れはもう変わっている。


元々の流れへと。


自分で自分の世界を変えられるだけの力があるなら。


私は自分で嫌だと思う世界を変える。


今までとは違う方法で変える事だって可能。


それは移動または切り替える、持って来る、繋ぐ、引っ張って来る、交換する等とも言えるかも知れない。


思っていることと目に見える世界で起きること、行われようとしていること、それを知る度に、諦めそうになるし投げ出しそうになるけど。


諦めたくない。


諦めないでいる存在がいるし。


諦めないでいる人たちもいる。


嫌になって本当に放り出しそうになったりする時。


めちゃくちゃ言われる。


まーくんにね。←いつもの例の存在さんです。昔“魔王”と呼んでた事があったの(^_^;)だけど“魔王”だとちょっと強面な印象だから“まーくん”にした。


それに元々名前がない存在(多分)だと思う。


個を確立するなら名前を持った方が良いのか?


それで名を持ってるのかも知れない。


“魔王”の“ま”だけど名前に“ま”の文字が含まれているし“まーくん”でも問題ないかなと(笑)


とにかくまーくんから。


諦めんじゃねえ!って。


励まされるから。


諦めません。


文字だけ見ると怒ってるように見えるまーくんですが。


でも怒ってるわけじゃないんだよね。


私も怒ってるように思える時があるんだけど。


だって口調が悪いと怒ってるって思っちゃうじゃん?


でも実際のところは怒ってなかったって事が結構ある。←ガチギレされた事もあるけど。


むしろその逆で励ましてくれてた🍀


だから心折れそうになるけど。


逃げずに向き合いたい。