どんな世界があっても良いし。
どんな世界を生きようとそれはその人の世界。
だから沢山の世界があるのだと思う。
従来のスピリチュアルは誰かの世界を生きようとさせてる、と言うより、そうではないのだけど、そうなってしまっていた。
誰かから話を聞く。
それをそうなんだと思う。
そしてそれを自分の世界に取り入れてしまう。
だから影響されてその世界を生きてしまう。
だけど見えない存在達は言う。
自分を生きなさい、自分で決めなさいと。
だけど結果としてもたらされてるのは誰かの考えをベースにした世界になってしまっていて。
自分で決めてるようで他から得た情報によって判断を下し、本当に自らで答えを出してるわけではない。
どれもこれもほぼそう。
全員ではないけど。
こうした方が良いですよとか、こうして下さいとか、そう言うのに振り回されてしまっているような?
それを自分がどうするか、それは自分で決めて下さいとは言うけど。
単純にただ流れみたいなものを話してるだけなのだとしても。
人はかなり影響を受けて選択してしまってる。
でも本当はそういうことではなくって。
自分で決めなくてはならないし。
というより自分で決められるし。
自分が思う通りに生きていい。
世界って本当はそういうものなんだと思う。
だけどずっと昔から。
どこかの誰かの指示に従って動いてる節があって。
それを実行に移す、その通りに動く、そんな感じじゃない?
それを神託と呼ぶのか、斜めから見たりして言いなりと見る(思う)のか。
どんな見方をするにせよ、それもその人次第。
それを好ましいと思うのか、コントロールされてるのではと思うのか。
それが良いと思うのかそうではないのか。
そういうのもその人次第。
ここにいいとか悪いとかは本来は成立していない。
それは人間が勝手に決めたこと。
存在はただサポートしてるだけだから。
その存在のサポートを善にするのか悪にするのか、どう捉えどう解釈し行動するかは人間次第なんだと思う。
それに確かに見えない存在からのサポートは全員が受けてるんだけど、そのサポートを生かすもそうじゃなくするのも 人間次第だし。
なんならそのサポートを受けずともその人自らの行動次第によっていかようにでも変えられる。
そんな感じがするんだよ。
世界ってそういうもんだよなぁって。
私たちが認識している世界と。
真実(本当)のと言っていいのかな?
真実の世界っていうのはちょっと違うのかもしれない。
世界は変えられないと思っているけれど。
本当は自分次第で変えられる。
但しそれは自分の世界を。
他人の世界ではなくて自分の世界を。
そんな感じがする。
だけど不思議なことに。
世界って言うのは隣接してる。
いろんな人の世界がすぐ隣にあって。
少なくとも影響を受けてるのは確か。
でももしかしたらそれすらも思い込みなのかもしれない。
集合意識すらも作り物かもしれない。
人が意識をするとそれが作られる。
この世界っていうのはあると思うとある。
ないと思うとない。
そういう世界だから。
いらないものをあると思う必要がない。
全部拒否する。
むしろそんなもの初めからなかったって感じ。
ないものはない。
あるものはある。
ということはあると思ってればあるし、ないって思っていればないから。
いろんな人がいらないって思うものすら受け入れてしまうとその世界は出来上がる。
思えば思うほど強く頑丈にはっきりと出来上がるんだと思う。
嫌ならそうではない世界を自分で作り上げる。
そういう事(要る要らないの選別)が出来るのにそれをさせて来なかった。
出来るはずのことをずっとやって来なかった。
だから知らないんだよね。
本当(本来)は出来るはずのことを知らない。
分かっていない。
分かってない人がたくさんいる。
だから事象化(または具現化とも)出来てない。
信じられる要素が少ないからほとんど信じられてなくて。
そんなこと夢か幻だと思ってる。
圧倒的に少ないから誰も信じない。
その信じない気持ちが変えられなくしてる。
出来るものも出来なくしてる。
私はそのように感じた。
世界って本当は何にも決まってない。
行く先も何にも決まってない。
不安が強いから。
(地球は)不安の気持ちの方が現象化しやすいから。
そういうものばかりが生まれたり作られたり引っ張って来られたりしてるけど。
本当はそうじゃないのだと思う。
なんでそんなことが分かるのか。
なんとなく。
これだと分かってるに該当しないかも知れない。
だけど。
人間ってじゃあなんで生きてるの?
なんで想像と創造の力を持ってるの?
どうしてそういうことが言われてるんだと思う?
それって元々出来るからだよね。
これって人間だけじゃなくて全ての存在におそらく与えられているもの。
そのように作ったんだと思う。
全ての存在を。
大元(根源)以外は例外なく。
きっとね。
だから誰だって出来るんだよ。
本当は。
それを上手く使えるかどうかは分からないし。
上手く使えると言うのもどういう形でなのかはそれぞれだと思うから何が正解なんてことは分からない。
誰かの力を借りなくったって自分の意思さえしっかりしてれば変えられるのだと思う。
誰かの力を借りないって言うと見えない存在からのサポートを拒否するとか見えない存在からサポートをされてないとか他人から助けてもらえないとか、一人で生きて行くとか思われそうだけどそういう意味じゃない。←上手く言えないけど。
これは自立ということ。
自分で立って自分で考えて自分で決めるということ。
人はそんな、か弱い存在じゃない。
本当はとっても強いんだと思う。
尊い存在なのだと思う。
素晴らしい存在なのだと思う。
ましてやこの物理の世界であらゆるものを具現化または事象化させることができる。
見えない世界のものを見える世界に引っ張ってくる または持ってくる、それが出来るってすごくない?
三次元世界に持って来れるってすごくない?
でもそうやって人は進化してきた。
あらゆるものを作り出してきた。
イマジネーションまたはインスピレーションの力とクリエーションの力(クリエイティブな力)で。
そうやって世界(社会)を発展させ、進化させ、成長させてきた。
もちろん見えない存在からのサポートも入ってる。
だけどそれでもそれを具現化したのは人間。
肉体(生身の身体)を持って形あるものを作る。
そういうのを生み出せる。
それってものすごいエネルギーとパワーだよね?
そういうことが出来る、それが人間。
だから人間ってすごいんだよね。
よく見えない存在の方が優れてるとか言われるけど。
優れてるとか劣ってるとかそんなものすらないのに。
見える世界だけじゃなくて見えない世界だって変えられる。
だって見える世界に持って来れるんだもの見えない世界のものを。
きちんと現象化させてるんだもん。
全部じゃなくてもね。
だから世界だって変えられる。
自分たちが本当に望むもの。
本当に思うもの。
その気持ちが強ければ。
そしてその気持ちを持ち続けることが出来れば。
絶対に変えられると思う。
何かを三次元の世界に生み出すことだって継続の先にあるから。
継続は力なりってまさにだよね。
本当に継続してるといつか本当に叶う。
きちんとそれは努力として実を結んで結果として現れる。
確かに今は時間がかかってしまうけど。
諦めない気持ちというのはとても大切なのだと思う。
どんな時でもどんなことでも何に於いても。
これは私が思ってる事なので(この世界の)正解かどうかなんて事は分からない。
だけどなんとなく私はそう思う。
なんとなくで語るなよって言われそうだけどね。
でもそのなんとなくって言うのを私は大事にしたい。