今回は一部補足入ってます。


相変わらず文章が上手くまとまってないかも(^_^;)








なにをもって悪なのか


なにをもって善なのか

何が悪で何が良いのか

それは誰がそう申した?

誰がそう決めた?

いつからそうなっている?

何を見ているのだ





この世界に決まった結末などない

故に未来は決まっておらぬ

何を信じているのだ






真の答えは己の中だ

己で答えを出せ

今まで見聞きしたもの、自身が持っている概念、観念、全てを見直せ






答えを外に問うな

人類(自分自身)は常に最善を選択している

自分を信じよ

また外側に答えを探すのではない

皆問われているは、どう行きたい(生きたい)か、(自身が)どうありたいかそれだけだ


※補足※

時に自身を振り返って律することが大事で、自分は間違うことがなくて、絶対に正しいと言う話ではない。


正道を行くため、道を外れぬように自分自身を常々客観視し、心のあり方などを確認する必要が出て来る。


その場合には第三者に状態を見てもらうことも大切。

自分自身(個人も)、大きく捉えた人間もすべての人は常に最善を選んでいる。

見えない世界ベースで話してるのでこの世の中のありとあらゆる事象、それは人間の目線で見ると良いと悪いに分かれるものもあるけれど、良いor悪いから離れた部分で話をしている。

そう言う善悪の話をしているのではない。

とか書いてるのに最善って言うてるじゃん!ってつっこまれそうだけど、これに代わる別の言葉がないのです🥲

矛盾してない?!って言われそうだけど、これは比較してるのではないってことや良いと悪いの話をしてるのではないってことは見れば分かるはず💦

地球上にある言葉ではこれらを表現するのには足りない、適してる言葉が見つからない、もしかしたら私が知らないだけかもだけど難しい。

上手く言えません(書けません)ごめん💦💦💦

雰囲気(?)だけでも伝われば良いかなぁと思ってます。。。







気を付けよ、道を選ぶは選ぶ先がこうだからと先を見て選ぶのではないぞ

また他者と同じであろうとして選択するのではないのだ

大切なのは己自身がどうしたいのか

そこだ

己が望むものを見よ

己が真に望むもの、それを選択せよ




※補足※
選ぶ先がこうだからと先を見て選ぶのではない。

分かりやすく書くと、

自分がこうしたいからこれを選択する⇒◯

この先がこうだからこっちを選ぶ⇒☓

こんな感じです。

前もって選んだ先の流れを見聞きして知り得たことでこの先どうするのかを選択するのではなく、本当に自分が望むこと望むものでもって選ぶ。

自分がこうしたい、こうでありたい、こんな風に生きたい、だから私はこの選択をする、その先に本来行きたい世界があるのであって。

これこれこうだから、こう言う世界に行きたくないから、私はこうする、そうするとか、

他者から話を聞いて、このままだと自分が望むものとは違うからこっちを選択すると言うのではない。

本来選択とはそうやって決めるのではないよってこと。

情報を取り入れることは大切だけど自分を見失うしなわないこと。

自分の改善点に気付いて軌道修正するのと、

(分かりやすく“答え”と表現しますが)答えを知ってこのままだとこうなってしまう、それは嫌だからそうなりたくないからこうしようと言うのは違うこと。

意味伝わってますかね?💦

選択の決定打になるものが自分の内側からなのか、外側からの影響で決めたものなのか。

本当にここが重要で、その違いには雲泥の差があると言うこと。


大事なことなので再度書くけど。

どちらも確かに自分が出したもの。

ただ自分が本当にこうなりたい、こうしたいと思って出した答えなのか。

それとも外側から何か情報を取り入れた時に、自分の中から出て来た不安等から出した答えなのか。

後者なら本当はどうしたい?と聞かれている。

その情報(はなし)と自分の内側の思いが一致してるのなら話は別だけど、何となくこっちの方が良さそうだから、みんなが選ぶからこっちとか、こっちに行くと眠りの道に行きそうとかそう言うことではない。

そうではなくて自分によく問う。

“眠り”と“覚醒”と言う言葉に引っ張られるなと。

既に自分自身の中にある知識として入っている情報、既に持ってる概念や観念なんかを見直せ、捨てろとは言わないけれど、一旦横に置いとく、或いは一旦外して物事を捉えることも大切で、

今まで積み重ねて来たものを一度全部疑って確認してみなさい、それは本当にそうなのか?と。

もっと頭を柔軟にして気楽に行きなさい。

気楽は楽観的なって意味ではなくて考え方がガチガチに固まっているように見えるから、肩の力を抜きなさい。

難しく考え過ぎていませんか?と。

そんな感じ。


因みに私に色々伝えて来る存在さんはこの内容を伝えて来た存在さんも含めてよく言うのは我々が伝える内容を信じ込むなと。

どう感じたかそれだけを信じなさいと。

要は自分の直感を信じろと。

だから今回伝えたこの内容を信じなくても構わない。

全く問題ない。

好きにしなさい。

どうするのかは私達次第。

私も書くのどうしようかと思った。

悩ませたいわけではないからね。

でも伝えた方が良いかなって思ったので筆を走らせてる。

それからこれを伝えた存在さん曰く、人は可能性に溢れている。

だから自分はこうであると思い込んだり、自分の成長の範囲を固定させること、自分自身に枠や制限を設けること、限界を決めることはしない。

伝えたものが枷になるのなら初めから信じるな、自身にとって必要だと思うなら受け取ればよい、またすべてではなく必要な部分だけを持ち帰れ。

これはこの存在さんだけではないけれど知り得た情報によって意識が方向付けされることを一番懸念している。

それは望ましくないことだから。←確かにそうだよね。

なので信じなくても良いと伝えている。

そもそも本来、自分自身が一番自分のことを知っていて、行きたい先を指し示すコンパスは自分の中にあるので、外からの情報は自分の位置や状態を確認したり、自分の考えを再確認するなどに使う程度にする。

この話も気付きのきっかけ、参考程度にするだけで指針ではないし、未来を決定付けするものでもない。

基準と言うものがあるとするなら、情報(外側)を基準にして決めない。

基準は自分自身の内側であるとそれを知りなさい。

気付きなさい。

それを伝えたかったみたい。

文章構成が下手くそ過ぎてしっかり伝わってるかな💦

意味が伝わってると良いんだけど(^_^;)

分かりましたかね?(;・∀・)ドキドキ