上手く書けてないかも知れないけど最近気付いたこと。


私が他人様が見ている目に見えない世界の話を聞いた時に感じた違和感。


どこにその違和感を感じたのかを主人にしてた時に気付いたことがあった。


それを今回は書いて行こうかな。


もしかしたらよく分からないかも知れないし、日本語がおかしいかも知れない。


誤字脱字などがあったらスルーでお願いしますm(_ _)m




主人は見えない世界のことに理解はあるけど、あんまりスピリチュアル的なことが好きではないから頻繁に話さないんだけど。


ある日見えない世界ことを話をしてる時に主人から、


何でそんなことが分かるの?


どうやってそれを知ったの?


自分で間近で見て来たの?


自分で体験したの?


何でそうだと言えるの?


ねえ、どうして?


何を言ってるのか分からない😥と言う顔をされて私は狼狽えた。


そして心の中で思う。


え、なになに?


何でこんな反応されるの?!💦


そんなに変なこと言ったっけ?


と固まった。


それと同時に発見があった。


ふと思う。


あれ?とね。


そして自分と主人に対して、


おいおいマジか、そう言うことか!と一人納得しましたとさ(^_^;)


本当に分からない人は人によるけどこう言う反応になるんだろうねぇ。


懐疑的な反応になるしそうだよね、疑問に思うのが普通だよねぇ。


証明してほしくなるよね。


確かにそう言う気持ちも分かる。


だが諦めろ、証明しようとして出来るならそうしてる。


けれど直ぐ様それが出来ないから困るんだわ。


ってのは置いといて。


そして私自身に思ったのは。


おや、待てよ?と。


じゃあ私は“何で違和感を持っている”んだ?と


“何で違和感を感じる”のだろう?


”違和感がある“ということは自分の中にある”何か“と違うから違和感があるんだよね?


って気付かされた。


じゃあその“何か”とは一体なに?


その違和感の源流はどこにあるのかと自分の記憶を辿るけどどこにも見つからない。


あまり記憶力が良い方ではないけど、さすがにこう言う変わった話なら忘れない。


でも誰かから聞いたとか、教わった記憶が全くない。


でも確かに自分の中にあって存在している。


これは“既に知っている”とかの域じゃない。


そう言うものじゃない。


それは分かる。


たとえるのなら生まれたての赤ちゃんが呼吸の仕方を誰に教わらずとも出来るようなもので。


極々自然に自分の中にあったもの。


だから誰から教わると言うより自分の中に既にあったからいつからなんて分からない。


私の頭の中ではこんな声が聞こえて来て。


私が覚えてないだけ、忘れてるだけで、実はどこかで知ったんじゃないの?って声もあったけど。


どうしたって、そう言う話じゃないからそれは違うと感覚的に思った。


じゃあなんだ?と聞かれると分からない💧


でも今思えばその”何か“あったから、


私は目に見えない世界のことを話す他人様の話を聞いて、


それはそうだねと思えたり、


それは何か違うのでは?とか自分の中で識別することが出来たんだなって。


それを主人を通して初めて知ることになった。


私は特殊な能力はないけど。


私って何者なんだ?って思っちゃったよね💦


※私がすごいとかそう言う話ではないです。


でも私が今まで引っ張られずにいたのはそう言うことが理由だったんだとようやく気付けた。


私の中にあるこの”何か“について、


更に幼少期、子供の頃からあったの?と主人に聞かれたんだけど。


子供の頃の記憶なんてほとんど覚えてないから分からないとしか。。。💧


言い方を変えられて、


じゃあ物心がついた時?とも聞かれたけど。


物心がつくっていつ頃のことなのか私にはよく分からなかった💧


マジでどの時期?!


それに先にも書いたように子供の頃の記憶ほぼないからなぁ。。。💧


そもそも考えたことがないからいつからなんて分かるわけがない。


頭に浮かべたことがないものをどうやって認識するの?


考えもしないものをいつからあるってどうやって分かるものなの?


責めてるわけではないけど逆に聞きたくなるよね💧


私が全然答えられないから、


その感覚を自覚したのはいつ?とかも聞かれたけど。


正直言って分からないとしか💦


寧ろ今回主人の反応で、


私って変わってるんだなって改めて気付けたくらい全然疑問に思わず過してたし、


そもそも“何で分かってるのか”と言う“それそのもの”について考えたことがなかった。


私は見えない世界について聞いたもの等を自分の中でよく考えれば誰でも同じように分かると思ってた。


だってそのくらい違和感があったから誰でも気付くと思ってたんだもの。


だから敢えて自分自身について考えて来なかった。


なので分からないとしか答えられなくて。


そっかと最終的に主人は一人納得してたようだけど。


分からないものは分からない。


これは主人の場合だけど、本当にスピリチュアルなことが分からない人には、意味不明でしかないんだなぁって改めて知ったし。


こう言う風な反応になるんだなぁって勉強になった。


それと今まではあらゆることについて自分自身でしっかり考えたら、みんな分かること(分かるもの)だと思ってたんだけど。


どうやらそうではないらしいって気付けた。


勝手に分かると思ってたから相手に対してごめんねって思った😣


自分の思い込みで人を見てたなって。


失礼なことしてしまった。


※私がすごいんだぞってことではなく、単純に私の考え(みんな分かってると思うし、分かるはずと言う思い込み)を相手に押し付けてたからごめんなさいってことであって、そこに他意はないので変な勘繰りしないで下さいね。




最後に。


違和感と言うのは自分自身が聞くことや見ることについて、本来の状態(元々の状態)を分かってるから分かることであり、感じるものなんだと言うことが理解出来た。


それはきっと自分の真なるもの(本質の自分、魂、心と言ったもの)の中にないものだから違和感を感じるんだと思う。


これが心や魂と言った部分ではなくて、脳みそ的な”理解と言う意味での捉え方“だと、その人(相手または自分)の中にない“情報”や“知識”として“疑問と言う形での反応になる”んだろうなと思う。


正直に言うと困惑したし衝撃を受けたけど面白い気付きだったし、よい発見といい体験をしたなぁと思う。


主人には感謝でございます。