人類館事件を書いたが、差別を感じるか、
感じないか、差別されていることさえ、感じ
ることができず、無感覚に過ごすと言うこと、
生きるということを、少し考えてみたいのだ。
明治、それ以前からあったのかどうか、わたし
は 専門家でも研究家でもない、けれど、生ま
れ落ちたとき、私たち奄美のにんげんは 本土
を差して、内地と言っていた。おそらく沖縄でも
同じだったろうか。北海道の方も本土を内地と
呼ぶかと聞いたが、それとは異なるニュアンス
があるかもしれない。
本土人をナイチンチュ、
ナイチッチュとも呼んで居る。
社会の仕組みの中で、すでに沖縄、奄美を
差別し、一段下の人間たちと見下す仕組み
がいつの間にか沁みついて、それを不思議
ともおかしいとも思わなくなった。安倍総理
などが沖縄がいくら反対しても辺野古建設を
強行して、まるで 沖縄の民意に取りあおうと
しない姿は、自分たちより低い位置にいる
集団、に対するあからさまな反応ではないか。
秋田など、イージスアショアの配備をはじめか
らやり直すところまで 退いたのには、沖縄県
と秋田県とに対するスタンスの違いが歴然と
ある。
おきなわけんは 一段、低い民だから、
何を言われても気にする必要が無いのだ。
次に、山之口獏さんについて触れたい。