ランチ後の腹ごなしを兼ねて、、、
 
近鉄奈良駅の目の前、
奈良交通の駐車場にて、
またもやレンタサイクル♪
 
ここから半日勝負なので、
機動性を重視して、、
 
電動サイクルをチョイス。
 
 

志賀直哉といえば、
小説の神様。
 
かの芥川龍之介が、
「志賀さんのような文章がどうすれば書けるのか」
と、夏目漱石に尋ねたら。
 
「上手く書こうと思わず、思ったままに書くから
ああなるんだろう。俺にもああいうのは書けない」
と、答えたという。
 

 

 

 

唯一の長編小説、

「暗夜行路」を書き上げた、

2階にある和室の書斎。

 

 

 

隣にある客間。

 

床の間のフレームには、

かつて谷崎潤一郎が購入し、

後に直哉へ譲られた「仏像」。

 

谷崎のもとで直された手と足を、

直哉は彫刻家に頼んで外してもらい、

手足がなくなった仏像を

「大変よくなった」と言って、

床の間に飾っていたそう。

 

この客間に宿泊した小林多喜二に

宛てた手紙には、

 

「作者はどういふ傾向にしろとにかく

 純粋に作者である事が第一条件だ」、

と記している。

 

先の芥川と漱石の直哉論にも

通じる「正直な」まなざしが

伝わってくるエピソード。

 

ちなみに。

 

後に、行方不明になっていた仏像が、

来館者の情報を元に発見されたことが、

数年前、ニュースになっていますよ。↓

 

谷崎、志賀所有の仏像、書き込みから所在判明

 

 

 

1階にある、

洋式の書斎も素敵。

 

「北向き書斎」にも、

彼なりのこだわりがあるのかも。

 

この家は、直哉本人が設計して、

壮年期の13年間を過ごした場所。

 

多くの文化人たちと芸術を論じ、

幼い子供たちの家庭教育を行い、

家族の絆を育んだそう。

 

その思いが、随所に感じられる。

 

 

 

広い台所。

 

右の木製ドアは冷蔵庫。

左は、奥の食堂とつながる

カウンター兼シェルフ。

 

大正14年築だと思うと、

ずいぶんモダンな造り。

 

 

 
食堂につながるサンルームには、
直哉を慕って、多くの文化人が集い、
「高畑サロン」と呼ばれたそう。
 

 

 

 

床のタイルや、

壁のデコレーションなど。

 

 

 

 

「直哉の窓」と呼ばれる、

子供の部屋をつなぐ窓。

 

直哉の家族への視線は、

とてもやさしい。

 

勉強部屋の床がコルクだったり、

お庭にプールをつくったり。

 

寝室や台所には、

庭で遊ぶ子どもたちと

つながり、見守るための

窓が配置されていたり、と。

 

もう、見所が多すぎて、

めまいがしそうです(笑)。

 

 

 

 

435坪の敷地に134坪の

数寄屋(すきや)作りの建物。

 

って、スケール的には、

ほとんど旅館規模のお屋敷!

 

「住んでみたい家リスト」

を作るとしたら、現時点で、

ぶっちぎりナンバーワン!

 

憧れます。

 

直哉が手放してから時が経ち、

歴代のオーナーが手を加えて

変更されていた部分がかなり

あったらしいのですが。

 

当時の写真や、客人たちの証言を基に、

復元するプロジェクトにも紆余曲折、

さまざまなご苦労があったようです。

 
HPに詳しい経緯が掲載されてます。

(つづく)