感じたことを日々ノートに書くのを何年も続けている。浮かんだままの言葉で書き残したい気持ちはそれを感じた直後にメモする+1日の終わりに全体を振り返ってノートに書くのセット方式。

勉強机の下の収納キャスターがびっしりノートの保管庫と化していて、ずっと紙に書くのはさすがにスペースきっつい・・と思いつつ、書くこと自体はしないと生活がぼやけてしまいそうな、やめることはないだろうと考えることもないくらい自然なものになった。

 

1日の終わりにまとめて書く時間は、安楽椅子探偵のイメージで、革張りの大きなひじ掛け椅子に背中をつけて過ごすような、1日の終わりに立ち止まって振り返る時間、それを確実に確保できる点にとても意味を感じる。全部漏らさず書かなきゃとプレッシャーを感じた時期もあったけど、書いた内容から実際に頭の中で考えて振り返ることが大事だと重心をそっちに置けてからは、気楽になった。

 

書いたものを翌日以降に読み返すことはほぼしてこなくて、ここに関しては迷ってきた。そのよさは想像できつつ、率直に書いた感情に触れなおすのが刺激として強そうに思えて、新しい後悔や失敗に気付いてしまわないか恐れてきたのがある。

ここは変えるかもしれない。現状だと読み返さないつもりで書いてきたから、読み返せるような文字になってない。殴り書きというか流れ書き。

 

あとまとまった期間でみて自分が出てるなと感じたのは、いつの間にか感じたことを書くより、自分の行動の良かった悪かった、こうすべき、そういうよしあしを書く割合が8割方になっていたこと。

報告書?評価レポートかいって、それはそれで意味あるけど、殺風景すぎないか、日記ではないよなって。日常の考え方もそうなってたのだと思う。今は感じたことを言葉にする方向に揺り戻している。

 

もうここまで習慣になると、今まで通り、ただ自然に必要に感じて書いていけたらいい。

ブログを始めようかと考えた時、「日記で文章書いてきたしいけるか」と少し後押しにもなった。

日曜日、ピアノのリサイタルを聴いた帰りに近くの自然公園へ立ち寄った。

やたらにぎわってて野外フェスかと思ったら、レジャーシートに座って楽しげに歓談する声がいっぱい。桜は近所で拝んでたのに、花見という発想は喪失していたことに気付く。集まってお花見してる人ってこんなにいたんだ。

 

自然に囲まれた中を歩くのはすきで、商店街とか繁華街のにぎわいを真正面から浴びて歩くのもすきで、どちらの近くにもいたいって思ってしまう。

人の少ない離れたエリアにシートを広げてる人たちもいて、桜が咲いてないなら自分もこういう場所を選ぶかもと想像した。咲いてたら、悩む。軸足は穏やかな場所に置いていたいのはありつつ悩む。

 

たくさんの木を横目に盛り上がった土の上を歩いた。予想より早くへたった足にたすかる柔らかさ。近所でも林道みたいな場所を普段使う道として通るうちに、土の地面を見ると柔らかい感触が想起されるようになった。

緑のこけがむした大きな木を見ると、トトロの映画が頭に浮かんだ。

あーるくのだいすきー。いーけたらいこうー。

自分の部屋って殺風景だなあと思って、ここ最近冷蔵庫の上にキャラクターのアクスタ(アクリルスタンド)をいくつか買って置いている。

部屋にいて考えが浮ばないとき、VTuberの推し部屋紹介の配信を見た記憶が浮かんで、毎日見る物って毎日感情を呼び起こされる物になるんじゃんと急に大切さを実感した。確かに視界に入るとそこだけカラフルで華があるから、窓から風が入るみたいに気分もちょっと変わって面白い。

 

部屋の大切さを頭で理解するまで忘れていたけど、子供の頃は自分の部屋が欲しくてたまらない時期があった。

人数と部屋数の関係で一人が完全な個室を得るのは難しかったけど、小学校高学年の頃に自分の机が欲しいとねだって父親が寝る部屋に勉強机を置いてもらった。小さな自分の領域。

でも漫画を置くくらいで、特別飾ったりはしなかったんだよな。大学生になってひとり暮らしを始めて自分の部屋を手に入れたあとも同じ。だから、今になってやっと動くだけの興味を持てたんだなって苦さ半分嬉しさ半分感じる。数年前に『男子部屋の記録』っていう色んな年代・職業の人の部屋の写真集を衝動買いして、そういうのもわりと楽しんで見たりしてたんだけどねえ。

人と話す予定がある日は、自分をぴしっと奮起させる浮力の目処が立っていて朝から安心する。

数日前、某所で再就職支援の講座に参加してきた。

就労体験に関する説明会で、講座の後半は各自が気になる企業について紙の紹介資料やスマホから調べる時間だったんだけど、自分は「ホームページなんていつでも見れるから、企業が用意した資料を見たほうが伝わってくるものもあるやろ」と、紙ばかり見ていた。

まあ半分以上はホームページに載ってるパンフを印刷したのだろうと後で気付いたけど、その時はなんだか、賢い選択をしているはずだと、やる気あるみたいじゃないかと、自尊心に浸っていた。


職員さんに「この紙ってまた別の日も見れますか」と聞いてしまったけど、後でも見れるだろうと半ば分かりながらだったし。

質問が浮かんだ瞬間に、やる気あると思ってもらえるんじゃないかというちっぽけな打算が息巻いてしまい、考えを疑いもしなかったことが、後で恥ずかしくなった。人に気に入られたがってたみたい。


でも人と関わると、カーテンを一気に開け放ったみたいに、うそのようにばんっと気付けることが多いなあと改めて実感。

講座の30分前に昼食としてかき込んだ豚丼屋の豚丼が、たぶん山椒を利かせてるような独特のタレが絡んでておいしかった。