☆ 岩波文庫の『金葉和歌集』(川村晃生、柏木由夫、伊倉史人校註)を参照した
☆☆ 各和歌に対して、上記本を片手に自分なりに適当な訳をするので、間違っていても悪しからず
☆☆☆これを読む前に是非、『金葉和歌集』(岩波文庫)を買いましょう!!
257
神無月 しぐるるままに 暗部山 したてるばかり 紅葉(もみぢ)しにけり
十月、時雨が降るにつれて、暗部山(鞍馬山のことらしい)の木々は、葉の下が照り映える程に紅葉したことだ。
メモ:時雨は紅葉を促す。この歌でも時雨が降って、美しく紅葉したと詠まれる。「もみぢす」は紅葉すること。「暗」部山とした「てる」の明暗の対比。
258
しぐれつつ かつ散る山の もみぢ葉を いかに吹く夜の 嵐なるらん
時雨が降り、一方でまた、散る山の紅葉した葉に、どうして吹きつける夜の嵐であるのだろうか
メモ:時雨によって紅葉が散った。夜の嵐がどんなに強く吹きつけたところで、葉は既に散ってしまって意味がない。岩波文庫『金葉和歌集』注では、「ただでさえ紅葉が散るのは惜しいのに、という気持を含んで嵐に対する恨みを詠んでいる」としている。
259
山川の 水はまさらで 時雨には 紅葉のいろぞ 深くなりける
山中の河川の水は増えないで、時雨によって紅葉の色が深くなることだよ
メモ:時雨は降るが、水嵩は増さず、葉の色が濃くなるだけである。深くならない水位と、深くなる色の対比。
260
神無月 しぐれの雨の ふるたびに いろいろになる 鈴鹿山かな
十月、時雨が降るごとに、色とりどりに紅葉していく鈴鹿山であるよ
メモ:「時雨が降るごとに」とあるので、時雨によって着々と紅葉が進んでいると思われる。紅葉途中のものから色深くなったものまで、様々な色の木々によって山が色づく絶景。想像するだけでも楽しい。「ふる-なる-鈴」の縁語に着目すれば、「振って様々な音が鳴る鈴ではないが、鈴鹿山では十月になると時雨が降るたびに山が色とりどりに紅葉していく」などとも訳せるか。
所感
😀時雨は紅葉を促す景物として詠まれる傾向にあるのだろう。また、当時、紅葉は好意的に受け取られ、故にそれを促す時雨も悪くは捉えられていなかったかもしれない。例外的な258も、時雨が紅葉を散らすが、眼目は、嵐への恨み言にあり、時雨の評価も相対的には悪くない。
😢和歌って難しい。正直よく分からない。