2022年12月17日けん玉長崎県大会に

 

私、来賓で招待されました。なんで来賓?


それは
私がまだ20代で学童保育の指導員をしていた頃。
4年生の男の子がもった
たった一つのけん玉から

こんなに大きな大会が出来た。
そんな思い出話を少しだけ。

 

 

 


第一章 エジちゃん4年生の春
 

むかーしむかし
インターネットも携帯電話もない

30年も前の話

 

 

たまたま学童保育所にあった

ひとつのけん玉

子ども達はひとめ見たら

「このお皿に乗せるんでしょ」

「この尖った所に刺すんでしょ」

「簡単にきまってらぁ!」


「そんなのよりサッカーやろうぜ

そんなのよりゴム飛びやろうよ」
と誰も興味を持ちませんでした。


私も同僚も
「ただの昔の遊びでしょ?」
と興味はありませんでした。

 

 

そんないつもの学童保育所の中で

ひとりのおとなしい男の子が

けん玉に興味をもちました。


 

男の子の名前はエジちゃん。

コツコツひとつのことをするのは好きだけど
あまり人と話をするのは好きじゃありません。




おもちゃ箱にあった
ひとつのけん玉を見つけて
ひとりで遊んでいました。





失敗してもあきらめないエジちゃんは
1日かけて、3つのお皿には乗りました。
ですがどうしても尖った所に玉が刺さりません。



2日目もけん玉向かうと

「スコン!」

と軽快な音とともに玉に刺さりました。


 

「やったっ!」

 

 

毎日続けていると

連続で2回入る!

連続で3回入る!

と少しずつ上手になっていきます。

 

 

 

1人が遊んでいると

「私もやりたい」となるのが学童保育。

せっかくだから何個かけん玉を買うことにしました。



 

 

第二章 日本けん玉協会



数個のけん玉を買うと

中には「けん玉の技表」という

一枚の黄色いカードが入っていました。

 

 

 

エジちゃんと私、そして数人の友達で

「中皿ってどれ?」
「ひこうきってなんだ?」

「灯台ってなに?」



学校の図書室にも、市営図書館にも
けん玉の本は見当たりません。


6年生の男の子が

「ここに電話したらいいんじゃね?」
とカードに書かれた番号に

電話をかけてみました。



・・・
 

 

 

トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・ガチャ

?「もしもし、こちらけん玉協会です」


子「もしもし、けん玉のひこうきって
なんですか?」


?「ひこうきは右手で玉をもって、剣を回して刺す技ですよ」


子「剣を回す???剣を回すんですか?どう回すんですか?」

?「左手で剣をパッと離して回します」

 

子「パッと離すんですか?どういうことですか???」

?「えーっとね、こうしてあーして・・・」

子「???????
ありがとうございました。」


・・・ガチャ。

 



・・・



どうやら、玉をもって尖ったのを刺すらしい。
もっている棒は剣というらしい。
まわす?パッ?どういうこと?
とりあえず言われたようにやってみよう。

 



見たこともない
完成形もわからない中で
6年生のかけた電話内容だけが頼りです。



ある子は勢いがつきすぎて
棒が自分の顔に当たったり。

またある子はブンブンふりまわして
玉をカーンとぶつけたり。

みんなで試行錯誤と
工夫をしながら




「どうやらこういうやり方が一番近そうだぞ」





みんなが考えた方法で
コツコツ練習をするエジちゃんと仲間達と私。

 


すると

「サクッ!」

っと爽快な音とともに

 

 

「やったっ!」

と跳ね上がるエジちゃん。

 

 

 

1人が成功すると
立て続けにみんな成功するのも学童保育。

あちらこちらから

「サクッ!サクッ!サクッ!」
私も
「サクッ!」

飛行機


けん玉カード

 

 

第三章 全日本少年少女けん玉道大会

 


またある日
今度は大人の私が電話をすることに。
 

トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・ガチャ

?「もしもし、こちらけん玉協会です」


私「もしもし、ふりけんがどんな技なのか教えてもらえますか?」


?「ふりけんは右手は剣をもって飛行機の要領で玉を離して、一回転させて剣先に刺す技ですね」


私「えーっと???ちょっとゆっくりお願いします・・・」

 


 

 

・・・


 

またある日

トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・ガチャ

?「もしもし、こちらけん玉協会です」


私「もしもし、日本一周ってどんな技でしょうか?」

 

 



 

・・・

 

そのまたある日

トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・ガチャ

?「もしもし、こちらけん玉協会です」


私「もしもし、日本一周は出来るようになりました。次の世界一周を教えてください!」





 

・・・

 

 

それからまたの日

トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・ガチャ

?「もしもし、こちらけん玉協会です」


私「もしもし、灯台ってどんな技でしょうか?」







 

・・・

 

その次の日も、その次の日も

毎日、毎日電話をしていました。

 

 

 

 

 

 

そしてとある日

トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・ガチャ

?「もしもし、こちらけん玉協会です」

 

私「もしもし、はねけんってどういう技ですか?」


?「大分に全日本けん玉道大会の実行委員の方がいらっしゃるのでそちらの方をご紹介しますね。」

 

 

 

 

 

※当時を振り返ってみると

たぶん電話の相手は
「日本けん玉協会の会長の奥さん」
だったとおもいます。
その節は大変面倒くさい相手をありがとうございました。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

さっそく全日本けん玉道の方に

トゥルルルルル・・・トゥルルルルル・・・ガチャ

?「もしもし、亀田です」



亀田さんに今までの経緯を全部話して

はねけんの技を聞こうと思ったら


 

亀「来週、そっちにいきますよ。

いやいや、旅行みたいなもんだから
お礼もなんもいらんですよ」

 

九重山麓 風の丘オーナー 亀田さん
※こんな怖い顔しか写真もってなかった。すごくやさしいおじさんです。

 

 

 

 

 

 

 

第四章 けん玉の名人

エジちゃん5年生の夏の朝。
北小クラブに亀田さんが来てくれました。
電話をしてから一週間後。
ほんとにありがとう。



 

亀「じゃあ、さっそく、はねけんだね」



スッ
フワッ
スチャ

スッ
フワッ
カチャ

 



亀「これがはねけん」
子・私「わぁああああああああ!!!」

 




 

私たちがしている「けん玉」とは

何もかもが違いました。


けん玉の音も

玉の動きも

剣の持ち方も

 

なにより、
その立ち姿がとてもキレイでした。






そのあとも
一回転飛行機

 

 

さか落とし

 

灯台とんぼ返り

 


 

私たちのもっている同じけん玉なのに

目の前では魔法のような

信じられない技の数々を見せてくれました。

 

すっかり私たちは

目の前のおじさんに夢中になりました。




 

 

子ども達からの質問と

手ほどきを受けているうちに

すっかり夕方になりました。

 

 

亀「今度、けん玉大会が大分であるからエジちゃん参加しなよ」

エ・私「参加します!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

第五章 文部科学大臣杯

 
大分大会は前日に練習会、当日に本戦。
 
参加者は
子どもが20人くらい
大人が10人くらいの小さな規模でした。
 
 
 
しかし、問題が。
当時、学童指導員の給料が7万円くらい。
大分で一泊するには私はギリギリ。
エジちゃんの分はとてもじゃないけれどありません。
困った私は
 
 
 
 
 
 
 
 

そうだ!
カンパしてもらおう!

 
 
 
 
 
 
 
長崎県内の学童関係者が集まる
【長崎県学童保育連絡協議会総会】に
(およそ600人くらい)
エジちゃんをつれて参加させてもらい
※写真は名古屋市学童保育連絡協議会さんのをお借りしていますが、こんな感じです。
 
 

 
総会の壇上で休憩時間に
「大分のけん玉大会に参加するのでカンパをおねがいします!」
 
 
 
 
お偉い方々は目がキョトン
 
 
 
 
エジちゃんに
けん玉の技を披露してもらい
エ・私「カンパおねがいします!」
 
 
 
なにがなんやらわからない表情の皆さん。
どうやら必死なことだけが
伝わって、カンパを頂きました。
※あとで学童の先輩達から
ものすごく怒られました。

 

 

 

 

 

 


私と同僚の車に

エジちゃんとエジちゃん応援団4人

を乗せて大分に。
(当時は色々と緩い時代でした)



気合満点の
エジちゃんは出発当日に盲腸で入院・・・ナント・・・

と、、、とりあえず行こう




 

 

到着してみると

文部科学大臣杯
全日本少年少女けん玉道
選手権大会
大分県九州予選会

 
 
これも後々わかったのですが
北海道から沖縄まで地区予選を行い
その代表者同士で日本一を決定する
その九州予選でした。
 
 
 
 
 
 
 

第六章 けん玉の達人

 
エジちゃんの盲腸で
私もエジちゃん応援団もポカーンとしていると
 
 
亀「そうかー、エジちゃん盲腸かー。
そしたら、キミたち明日の大会でちゃいなよ」
と応援団4人がご指名。
 
 
急遽試合ということで
練習会で必死に練習!
でもけん玉はそんなに甘くない。
(翌日の試合は全員予選敗退。)
 
 
 
・・・
 
練習会の夜、
大人達で集まって交流会があるというので
私と同僚も参加させてもらいました。
 
 
 
そこで見たのが
想像を絶する
けん玉の奥義をぶつけ合う
大人同士の戦いでした!
 




 

先行が宇宙遊泳一回転飛行機を見せると

 

 
 
 
 
後行はうずしお灯台さか落としで応戦

 

 
 
 
 
おぬし、なかなかやるな。これではどうだ

 

 
 
 
なんのなんの・・・それがしはこれで・・・
いやいや、こちらはこれが・・・
なんのなんの・・・いやいや・・・
 
 
とけん玉の達人同士が
お互いに錬磨し合う姿でした。
 
 
 
 
 
 
 
私はそれまで一番難しい技は
黄色いカードに書かれている技だと思っていました。
けん玉の底の見えない奥の深さに驚きました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その場でお友達になってもらったのが
けん玉達人の多田さん。
後で聞いたら小学校の校長先生。
朝礼でけん玉の技を披露してるらしい。
 
 
 
 
「長崎の子ども達に多田さんの技を見せてください!」
と懇願して
 
 
 
それから
毎年、けん玉長崎県大会に来ていただいて
子ども達の前で「達人技」を披露してもらっていました。
左:奥さん 中:多田さん 右:私
 
 
 
 
・・・
 
達人同士の戦いが終わると
お酒を交わしながら
次回のけん玉大会を検討していました。
 
 
 
 
 
亀「せっかく長崎から来てくれたんだから、来年は長崎でやりましょう」
 
多「いいですね。わからないことは私たちが手伝いますから」
 
他「意義なーし」
 
私「やります!お願いします!」
 
 
 
 
 
 

第七章 第0回長崎けん玉大会

 
すっかり
けん玉の奥の深さと
面白さにハマった
エジちゃんと私たち。
 

しかし、長崎県内でけん玉をしているのは
エジちゃんと私たちとおじいちゃんおばあちゃん。
 
 
これでは大会は開けません。
けん玉の面白さもわからなければ
けん玉をする人もいません。
 
そこでエジちゃんと私たちは
けん玉の普及活動をすることにしました。
 
 
 
よその学童に回って
エジちゃんや私が技を披露して
持ち方に姿勢を手ほどきして
少しずつ草の根運動。
 
 

けん玉に詳しい人を見つけて
けん玉の技の練習会を開き
けん玉の審判が出来る人をみつけ
 
 
北九州から子どもを連れてきてくれた学校の先生。
福岡から審判をするためにやってきてくれた学校の先生。
大分から、達人技を見せにはるばる来てくれた多田さん。
最後まで面倒を見てくれた亀田さん。
審判の仕方や大会規定など教えてもらいながら
 
 
エジちゃん5年生の冬。
3つの学童が集まって
けん玉大会を開くことが出来ました。
 
 
 
 
 
 

第八章 エジちゃん

年が明けて

長崎県内で
協力してくれる学童クラブも増えていき
第一回けん玉長崎大会が出来るようになってすぐ
 
エジちゃん6年生の夏。

約束していた

文部科学大臣杯
全日本少年少女けん玉道
選手権大会
長崎県九州予選会


 
 
 
北小クラブからの参加はエジちゃん。
 
 


予選会では
圧倒的な強さでエジちゃんが
勝ち進みます。
 
 


トーナメントを勝ち抜き
ついに決勝戦。

あと一勝で九州1位!
東京の日本一決定大会に進めます!
またカンパをおねがいしなきゃ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
決勝の対戦相手も6年生の男の子。
試合はお互い一度も失敗をしない互角の展開。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
数百人いる会場。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

聞こえるのは
審判の声とけん玉の音だけ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
技が成功しても
会場の人は身動きひとつとりません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
心臓がドキンドキンと
とてもうるさかった。


















 
 
 
最後の技もお互いが失敗をせず
審判「タイム競技に移ります」
 
タイム競技は決められた技を順番に行い
最後の技を成功させるまでの時間を競う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
審判「両者構えて。用意!
 
  はじめ!」
 
 
 
 
開始して数秒後、
エジちゃんの前にいた
副審判がエジちゃんの前に手を出しました。
 
 
 
 
 
 
私「なんだろう。どうして手を出してるんだろう」
 
 
 
 
 
 
 
エジちゃんも
副審判の手をチラっと見ていますが
一体なんの合図かわからないので
技を続けるしかありません。




 
 
副審判はさらにグッと手を伸ばし
強くアピールしているのですが
エジちゃんも私もなにもわかりませんでした。
 
 
 
 
 
 
対戦相手よりも速く
圧倒的な正確さで
全ての技をおわらせたエジちゃん。
それから数秒遅れて、対戦相手がおわりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
勝ったのは対戦相手でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
副審判が手を前に伸ばすのは
技の失敗を表すものでした。

エジちゃんは
技の静止が甘い
という判定でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
権威ある大会で例外はありません。
副審判は声に出して
教えてはいけないのでしょう。
 
 
私がもっとちゃんと勉強しておけばよかったと後悔しました。
エジちゃんにも応援団にも申し訳なかった。
 
 
 
 
 
 

最後に

始まりはたったひとつのけん玉でした。
誰かと競いたいわけでも
大きな大会で優勝したいわけでもなく
 
「けん玉っておもしろい」
 
それに気がついた男の子がいただけでした。
 
 
 
 
 
それが今はこんなに大きな大会になって
私も来賓なんて偉そうにしちゃって。
 
 
 
 
亀田さんや多田さんや色んな大人たちが
「けん玉っておもしろいだろ?」
って子ども達や私に教えてくれました。
 
 
 
 
 
勝ちや負けは大事なことじゃない。
 
けん玉が好きな人同士があつまった。
けん玉がおもしろいって思う人がたくさんあつまった。

 
たったけん玉ひとつで
亀田さんとも
多田さんとも
たくさんの人と友達になれた。





いま、キミたちの周りにいる子は
敵じゃないんだよ。
 
けん玉がおもしろいって思う仲間なんだよ。
 
大事なのはきっとそういうこと。
 
 
 
 
 
 
おしまい
 
 
 
久住呂 敦子