最近手放しつつある、

「頑張る」という美徳。

 

長い付き合いだったな。

 

私は幼稚園くらいから

「人からどう見られるか」を

気にしだした記憶がある。

 

大人が良い反応を示すのは、

「頑張ってる」ことに対してだと

すぐに気づいた。

 

結果が伴えばなおよし。

そうじゃなくても「頑張ってる」

感じさえすれば、好感を

持たれるんだなと思った。

 

特に祖父母はその傾向が

強くて、今でも電話で私が

「頑張ってるか」を確認してくる。

 

だからやりたくないことも

たくさんやってきた。

 

やりたくないことを、自分を奮い立たせて

やるのが頑張る=いいこと なんだ、

といつしか思っていた。

 

それは社会人になって強くなった。

学生のころよりさらに人に評価される環境。

 

ずれてないか、溶け込めているか。

気に入られてるか、諦められてないか。

 

そんな恐れをベースに「頑張っていた」

と思う。

 

いくら頑張ったところで、

地頭の良い人に圧倒されたり、

きれいな顔の人と比べて

自分の醜さに絶望したり。

 

楽しいこともたくさんあったけど、

いつもそういうのがまとわりついてた。

 

それに限界が来たのか、

急に田舎に引っ越したくなった。

 

とんとん拍子に事が進んで、

田舎嫌いの旦那を残してまで

過疎地に引っ越した。

 

ただし、東京での会社の仕事は

辞める勇気が出ず、

中途半端に社員として残りながら

リモートワークすることにした。

 

自然の中で暮らすことで健康さは

取り戻したものの、まだもやもやしていた。

 

皆仕事頑張っているのに、

私は大して価値発揮できていない。

 

そんな罪悪感が最近までずっとあった。

 

でも、最近は変わってきた。

 

だらしなくて、頑張らない自分も

まるごと受け入れられるように

だんだんなってきたから。

 

リラックスして心地よい状態でいることが

最上の喜びだと思えてきたから。

 

 

少しは不安もある。

金銭面とか地震とか事故とか。

恐れようと思えば怖いことはいくらでもある。

 

でも、根拠のない「なんか大丈夫」という

感じはある。

それが宇宙への信頼というものなのかな。


今までの「頑張り」に感謝をしつつ、

少しずつ手放したいと思います。