メソアメリカ・太陽に心臓を奉げた理由
アステカ文明が容易に崩壊したのは人身御供を奉げすぎたからである
という説を読んだのだが、
たったそれだけの事で文明一つが消滅してしまうような事があるのだろうか。
アステカの歴史は侵略者によって都合の良い形で書き換えられている
自分の推測だけで考えず歴史を追ってみる事にした
古代アステカで人身御供が行われ
心臓が供えられていたのは歴然たる事実である
人間を犠牲にする儀礼をトラミクティリストリといい
心臓は磨きぬかれたトルコ石に例えられていた
戦争はトルトラチノリと言ったがこれは神の液体と焼いた物という意味であり
戦場での死はシチョチミキストリ、花のような死と呼ばれた
確かに戦争で得られた捕虜を生贄として捧げていた事が多数あったようだ
が、そもそも何故心臓を太陽の為に奉げなくてはならなくなったのだろうか
マヤアステカの神話の太陽創出の神話に以下のような物がある
世界に日が無かった時
神々は集まって新世界を照らす仕事をすべきか議論していた
テクシステカトル(月の神)は世界に光明を与えるという仕事を引き受ければ
おそらく称賛を得ることができるだろうと考えまず最初に引き受けた
そしてもう一人皮膚病を患っていたナナウツインという神が推挙により
第二候補として引き受けた
二人は四日間の苦行を続けた後岩で築いた炉に火をつけた
テクトシカルは供物として枯れ枝の代わりに高価な羽根
干草の代わりに金塊
リュウゼツランの刺の代わりに貴石から作った針
先に血を塗って義務的に作った針の変わりに赤サンゴから作った針
最高品質のコパール樹脂を供えた
しかしナナウツインは枝の代わりに三本づつ束ねた九本の緑の葦と
乾草と自分の血を塗ったリュウゼツランの針
そしてコパール樹脂の代わりに
自分の傷口から取ったカサブタを供えただけだった
ナナウツインとテクトシカルの為に他の神々は
山ほど大きな塔を建てた
集まった仲間はその中で四夜苦行を行った
かがり火が四日間焚かれ
供え物の設置場所が壊されたあと、
神々は火に向かって二列に並びテクトシカルにこう言った
「テクトシカル、火に跳び込め!」
テクトシカルは四度試みたが四回ともたじろぎ
十分な勇気を集中する事ができなかった
が、ナナウツインはありったけの勇気を集中し
火に身を投げた
彼はパチパチ火を立て燃えた
恥ずかしくなってその後テクシステカトルも焔の中に身を投げた
神々のうちでもっとも卑しい神は行くべき道を示した。
そしてこの神話が
のちに、太陽の為に人間の肉体である心臓を引き裂くという要求の理由付けにされたようなのである
古代アメリカにおける初期の人身御供はおそらく自発的に行われていた
一人の若者は俗世におけるテスカトリポカの像として受け入れられ
死の直前の一年間特別の尊厳の中心に祭り上げられ
最高の敬意を持って処遇された
彼に遭ったものは大地にキスをし最敬礼をした
昼でも夜でも出歩くのは自由であり
いつも八人の従者にかしづかれていた
犠牲に供される二十日前に
世話人たちは着衣を彼が命を終える時に着る衣装に変えさせ
大切に育てられた四人の女神の名を与えられた処女と結婚する事ができた
最後に若者は天蓋のついたカヌーに乗せられ
妻が同行し低い丘のある場所まで漕いで行った。
そこに妻たちは残され、八人の従者だけが小さく粗末な造りの神殿まで若者についていった
一段めで彼は大事にされ幸せに暮らしていたこの一年間吹いていたフルートを壊し
二段目で別のフルートを壊し
三段目でも別のフルートを壊した
神殿の最上階に行き着くと
そこには神官たちが集まって彼を殺そうと集まっていた
彼らは二人づつ組んで立っていた
若者は手と首を縛って台の上に仰向けに寝かせられ
石のナイフが彼の胸を突き刺して心臓を抉り出し
直ちに太陽に供えられた
若者の死は真実なるもの、すなわち神化された心臓のみが
この世の生命を支える巨星の養分に値するという哲学的な理念に基づき受け入れられる
一般人の心臓はヨリョトルと言われ神化された心臓はヨルテオトルと呼ばれた
初期の段階ではその心臓を食うという行為は行われていなかったに違いない
しかしその後人身御供は定期的暦の訪れに応じて行われるようになる
この辺りの経緯については想像するしかないが
どうせなら太陽も多数の心臓を貰った方が喜ぶのだろうと
想像したのでは無いかと思う
人身御供を行う前
神官たちは神の行った試練と同時期間、四日間の断食を行う事から始める。(ネサワリストリ)
またこれとは別に特別な例として「神を食す者」としてテオクアクエとよばれる
男女の神官集団による一年間の断食であった
もっとも一般的な供物としてはウズラなどの動物の頭部が切り落とされるだけであったが
何よりも劇的で恐れられたのは捕虜となった戦士と奴隷による供儀であった
この生贄は準備期間中に儀礼的な沐浴を行い、注意深く衣装をあてがわれ
特別な踊りを踊るように教わり、
太らされるか、痩せさせられるかのどちらかであった
太ったほうが テクトシカルの化身で
痩せたほうが ナナウツインの化身であるのだろう
彼らは供儀の対象となるそれぞれ特定の神に扮するように
慎重に衣装を着せられた
供儀の技法としては斬首(通常は女性に対して)
槍や矢による射殺、溺死、火炙り、高いところからの投下、銃殺
生き埋めによる餓死や剣闘士との戦いなどもあったようだ
修道士ベルナルディーノ・デ・サアグンの証言によると
このような供儀も行われていたようである
「彼らはいつも石臼のように丸い石の上に捕虜を登らせた
そして捕虜が石の上に乗ると神官の一人が
石臼の紐通し穴から出てきた縄を取り捕虜の腰で縛った
それから刃の代わりに縁に羽根を張りつけてある木刀を与え
また四枚の松の板を与えた。
それで身を護ると共に相手を落とすようにさせた」
とはいえこれも侵略者の証言である事は忘れてはならないだろう
上記の内容については真偽の疑いがあるけれd
普通は華麗な衣装に身をつけた捕虜の所有者と捕虜が
神殿まで行列を作って踊りながら進み一つの神聖な儀式として進んで行った
神殿につくと捕虜は階段の上の供儀の石(テチカトル)の場所まで導かれた
生贄は直ちに直ちに供儀の石に押し倒され
神殿の神官が儀礼用のナイフ(テチパトル)で胸壁を切開した
神官はまだ鼓動のある心臓をつかんで
「高貴な鷲サボテンの実」と叫び
ついでに心臓を胸からもぎとり
太陽の活性化、活力の補給を祈ってそれを太陽にささげた後
「クアシカリ」、鷲の器とよばれる円形に刻まれた容器の中に入れた
今や鷲人間と呼ばれる死体は
神殿の階段を下までばたばたと転がされそこでバラバラにされた
首を斬って脳を取り出し
皮を剥いだ後頭蓋骨はツオンパントリと呼ばれる頭蓋骨の棚の上に並べられたが
それは頭蓋骨を一杯ぶら下げて水平に並べた棹のような物だったという
その後捕虜の所有者達はトラカトラオリと呼ばれる
捕虜の人肉と乾燥トウモロコシのシチューを食べた
その他トラロクと呼ばれる供儀の生贄が集められ
彼らを殺すとその肉にウリの花を載せ
貴族、すべての上級裁判官が食べた。
しかし平民が食べるような事は無く
食べたのは支配者だけであった
一四五〇年から一五一九年にかけて行われたショチヤオヨトル花の戦争は
それぞれの首都で行う儀礼的祝祭に供する生贄の供給を安定させると共に
戦士を鍛錬させる為に行われたとされているけれど
結局は有力な都市国家群の中でこうした理由は重要であったが
勢力の均衡を崩したり、改めて築いたりするために
戦争が利用されていた事の理由のほうが有力であるようだ
世界宗教史7 ミルチア・エリアーデ著
メソ・アメリカの諸宗教ー都市と象徴
人身供犠の実践と道具
マヤ・アステカの神話 アイリーン・ニコルソン

著者: アイリーン ニコルソン, Irene Nicholson, 松田 幸雄
タイトル: マヤ・アステカの神話
という説を読んだのだが、
たったそれだけの事で文明一つが消滅してしまうような事があるのだろうか。
アステカの歴史は侵略者によって都合の良い形で書き換えられている
自分の推測だけで考えず歴史を追ってみる事にした
古代アステカで人身御供が行われ
心臓が供えられていたのは歴然たる事実である
人間を犠牲にする儀礼をトラミクティリストリといい
心臓は磨きぬかれたトルコ石に例えられていた
戦争はトルトラチノリと言ったがこれは神の液体と焼いた物という意味であり
戦場での死はシチョチミキストリ、花のような死と呼ばれた
確かに戦争で得られた捕虜を生贄として捧げていた事が多数あったようだ
が、そもそも何故心臓を太陽の為に奉げなくてはならなくなったのだろうか
マヤアステカの神話の太陽創出の神話に以下のような物がある
世界に日が無かった時
神々は集まって新世界を照らす仕事をすべきか議論していた
テクシステカトル(月の神)は世界に光明を与えるという仕事を引き受ければ
おそらく称賛を得ることができるだろうと考えまず最初に引き受けた
そしてもう一人皮膚病を患っていたナナウツインという神が推挙により
第二候補として引き受けた
二人は四日間の苦行を続けた後岩で築いた炉に火をつけた
テクトシカルは供物として枯れ枝の代わりに高価な羽根
干草の代わりに金塊
リュウゼツランの刺の代わりに貴石から作った針
先に血を塗って義務的に作った針の変わりに赤サンゴから作った針
最高品質のコパール樹脂を供えた
しかしナナウツインは枝の代わりに三本づつ束ねた九本の緑の葦と
乾草と自分の血を塗ったリュウゼツランの針
そしてコパール樹脂の代わりに
自分の傷口から取ったカサブタを供えただけだった
ナナウツインとテクトシカルの為に他の神々は
山ほど大きな塔を建てた
集まった仲間はその中で四夜苦行を行った
かがり火が四日間焚かれ
供え物の設置場所が壊されたあと、
神々は火に向かって二列に並びテクトシカルにこう言った
「テクトシカル、火に跳び込め!」
テクトシカルは四度試みたが四回ともたじろぎ
十分な勇気を集中する事ができなかった
が、ナナウツインはありったけの勇気を集中し
火に身を投げた
彼はパチパチ火を立て燃えた
恥ずかしくなってその後テクシステカトルも焔の中に身を投げた
神々のうちでもっとも卑しい神は行くべき道を示した。
そしてこの神話が
のちに、太陽の為に人間の肉体である心臓を引き裂くという要求の理由付けにされたようなのである
古代アメリカにおける初期の人身御供はおそらく自発的に行われていた
一人の若者は俗世におけるテスカトリポカの像として受け入れられ
死の直前の一年間特別の尊厳の中心に祭り上げられ
最高の敬意を持って処遇された
彼に遭ったものは大地にキスをし最敬礼をした
昼でも夜でも出歩くのは自由であり
いつも八人の従者にかしづかれていた
犠牲に供される二十日前に
世話人たちは着衣を彼が命を終える時に着る衣装に変えさせ
大切に育てられた四人の女神の名を与えられた処女と結婚する事ができた
最後に若者は天蓋のついたカヌーに乗せられ
妻が同行し低い丘のある場所まで漕いで行った。
そこに妻たちは残され、八人の従者だけが小さく粗末な造りの神殿まで若者についていった
一段めで彼は大事にされ幸せに暮らしていたこの一年間吹いていたフルートを壊し
二段目で別のフルートを壊し
三段目でも別のフルートを壊した
神殿の最上階に行き着くと
そこには神官たちが集まって彼を殺そうと集まっていた
彼らは二人づつ組んで立っていた
若者は手と首を縛って台の上に仰向けに寝かせられ
石のナイフが彼の胸を突き刺して心臓を抉り出し
直ちに太陽に供えられた
若者の死は真実なるもの、すなわち神化された心臓のみが
この世の生命を支える巨星の養分に値するという哲学的な理念に基づき受け入れられる
一般人の心臓はヨリョトルと言われ神化された心臓はヨルテオトルと呼ばれた
初期の段階ではその心臓を食うという行為は行われていなかったに違いない
しかしその後人身御供は定期的暦の訪れに応じて行われるようになる
この辺りの経緯については想像するしかないが
どうせなら太陽も多数の心臓を貰った方が喜ぶのだろうと
想像したのでは無いかと思う
人身御供を行う前
神官たちは神の行った試練と同時期間、四日間の断食を行う事から始める。(ネサワリストリ)
またこれとは別に特別な例として「神を食す者」としてテオクアクエとよばれる
男女の神官集団による一年間の断食であった
もっとも一般的な供物としてはウズラなどの動物の頭部が切り落とされるだけであったが
何よりも劇的で恐れられたのは捕虜となった戦士と奴隷による供儀であった
この生贄は準備期間中に儀礼的な沐浴を行い、注意深く衣装をあてがわれ
特別な踊りを踊るように教わり、
太らされるか、痩せさせられるかのどちらかであった
太ったほうが テクトシカルの化身で
痩せたほうが ナナウツインの化身であるのだろう
彼らは供儀の対象となるそれぞれ特定の神に扮するように
慎重に衣装を着せられた
供儀の技法としては斬首(通常は女性に対して)
槍や矢による射殺、溺死、火炙り、高いところからの投下、銃殺
生き埋めによる餓死や剣闘士との戦いなどもあったようだ
修道士ベルナルディーノ・デ・サアグンの証言によると
このような供儀も行われていたようである
「彼らはいつも石臼のように丸い石の上に捕虜を登らせた
そして捕虜が石の上に乗ると神官の一人が
石臼の紐通し穴から出てきた縄を取り捕虜の腰で縛った
それから刃の代わりに縁に羽根を張りつけてある木刀を与え
また四枚の松の板を与えた。
それで身を護ると共に相手を落とすようにさせた」
とはいえこれも侵略者の証言である事は忘れてはならないだろう
上記の内容については真偽の疑いがあるけれd
普通は華麗な衣装に身をつけた捕虜の所有者と捕虜が
神殿まで行列を作って踊りながら進み一つの神聖な儀式として進んで行った
神殿につくと捕虜は階段の上の供儀の石(テチカトル)の場所まで導かれた
生贄は直ちに直ちに供儀の石に押し倒され
神殿の神官が儀礼用のナイフ(テチパトル)で胸壁を切開した
神官はまだ鼓動のある心臓をつかんで
「高貴な鷲サボテンの実」と叫び
ついでに心臓を胸からもぎとり
太陽の活性化、活力の補給を祈ってそれを太陽にささげた後
「クアシカリ」、鷲の器とよばれる円形に刻まれた容器の中に入れた
今や鷲人間と呼ばれる死体は
神殿の階段を下までばたばたと転がされそこでバラバラにされた
首を斬って脳を取り出し
皮を剥いだ後頭蓋骨はツオンパントリと呼ばれる頭蓋骨の棚の上に並べられたが
それは頭蓋骨を一杯ぶら下げて水平に並べた棹のような物だったという
その後捕虜の所有者達はトラカトラオリと呼ばれる
捕虜の人肉と乾燥トウモロコシのシチューを食べた
その他トラロクと呼ばれる供儀の生贄が集められ
彼らを殺すとその肉にウリの花を載せ
貴族、すべての上級裁判官が食べた。
しかし平民が食べるような事は無く
食べたのは支配者だけであった
一四五〇年から一五一九年にかけて行われたショチヤオヨトル花の戦争は
それぞれの首都で行う儀礼的祝祭に供する生贄の供給を安定させると共に
戦士を鍛錬させる為に行われたとされているけれど
結局は有力な都市国家群の中でこうした理由は重要であったが
勢力の均衡を崩したり、改めて築いたりするために
戦争が利用されていた事の理由のほうが有力であるようだ
世界宗教史7 ミルチア・エリアーデ著
メソ・アメリカの諸宗教ー都市と象徴
人身供犠の実践と道具
マヤ・アステカの神話 アイリーン・ニコルソン
著者: アイリーン ニコルソン, Irene Nicholson, 松田 幸雄
タイトル: マヤ・アステカの神話