山陰・山陽パワースポットめぐり(その3) | 放浪の旅日記

放浪の旅日記

足の向くまま、気の向くまま出歩いた記録です。

島根県最後は日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)から。

朝から日御碕神社というのも何か違和感がある。日御碕神社は”昼を守る”神社である伊勢神宮に対し、”日の本の夜を守る”神社といわれ、日御碕は夕陽の鑑賞スポットでもあるので、夕方に参拝するのが素直かも知れない。
因みにこの先の日御碕灯台付近は、夕陽を眺めるカップルが多く集まる。

社殿は同一平面上に建つのではなく 、山の地形を活かし段差を設けて建てられている。
$放浪の旅日記-日御碕神社門
色鮮やかな朱塗りの楼門をくぐるとその先に下の宮と称される「日沈宮(ひしずみのみや)」が建っている。御祭神は天照大御神
$放浪の旅日記-日御碕神社
六間四方、入母屋造に唐破風の向拝を付し高欄付きの縁を廻らせた大きな拝殿、その後方一段高いところに本殿を配している。

日沈宮の斜め後ろにある石段を上った先に、別称上の宮と呼ばれる神の宮が建っている。
神の宮の御祭神は神素盞嗚尊。
$放浪の旅日記-日御碕神社上の宮
日沈宮と同様式の入母屋造だが、三間四面と規模は小さく蔀戸も正面のみである。
訪れたときは本殿が改装中でシートで覆われていた。

出雲市駅前に宿をとったので、素通りしてきた出雲大社に戻る。

出雲大社は60年に一度の大遷宮ということで賑わっていた。
まぁ、出雲國一の宮でもありますし...。
出雲大社と深刻された社標が目立っている。正式には「いずもおおやしろ」と読むそうです。
$放浪の旅日記-出雲大社参道

今年は伊勢神宮も式年遷宮でした。神宮のは同じ宮を隣に新築して神様を遷宮するというものですが、出雲大社は本殿の屋根などをリニューアルする間、仮殿へ祭神の大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)よく言う”だいこくさま”を遷座させ、完成後に復帰するというもの。
神社の改築では珍しくない事ですが、大々的にアピールするのは資金集めなのでしょうか....。

参道を進んで行くと拝殿に出る。拝殿の後方に瑞垣に囲まれた本殿がある。
$放浪の旅日記-出雲大社拝殿
出雲大社の拝殿は注連縄が小さい方(いわゆる大社造りの堂宇)。巨大な注連縄が架かっているのは神楽殿。間違われる方が多いようです。
$放浪の旅日記-出雲大社本殿
脇に回ると本殿が見える。葺き替えられた屋根が真新しく思えた。我々は荒垣内に居て瑞垣越に本殿を見ているが、更にその内側に玉垣があるので、本殿の全容を伺うことができない。
拝殿の西側、荒垣を出たところに神楽殿が建っている。
$放浪の旅日記-出雲大社神楽殿
注連縄が巨大なせいか、こちらの方が人気があるみたい。
バスツアーなどにある正式参拝はここに上がって参拝するようです。
$放浪の旅日記-大注連縄
シンボル的な大注連縄。この注連縄に賽銭を投げ込む人が多かったからか、金網が張られてあった。
参道の甘味処でしばしの休憩の後、長浜神社へ向かった。

参道の先に長い石段がある。
$放浪の旅日記-長浜神社石段
上って振り返るとこんな感じ。

石段の上に随神門が建ち、門をくぐるとひっそりとした境内が広がっている。
$放浪の旅日記-長浜神社随神門

長浜神社は「出雲国風土記」の「国引き神話」が残る神社である。
国引き神話を簡単に言うと、綱をかけ海のむこうから土地を引き寄せ縫い合わせた国土生成の話である。
故に国引きの神「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」を主祭神として祀っている。また、布帝耳命(ふてみみのみこと…大国主神の祖母)と淤美豆奴命(おみずぬのみこと…大国主神の祖父)を配祀神に祀っている。

長浜神社の拝殿は神明造風だが横方向にかなりの大きさである。
$放浪の旅日記-長浜神社拝殿


本殿は大社造の立派な建物である。
$放浪の旅日記-長浜神社本殿
出雲大社があれほど賑わっていたのに対し、参拝した時は我々の他に一人のみと、何とも寂しさを感じる。しかし、社殿をはじめ見応えのある神社だった。

ここが山陰の最後で、高速道路を利用し山陽側へ移動した。

つづく....。