兵達の夢の跡 | 潤景彩華

兵達の夢の跡

みなさん、こんばんわ。

5月も下旬、ちらほらと蛍が見られたという情報が

聞かれるようになってきましたね^▽^。

 

fanも、今週末は源氏ボタルの撮影に行ってきますね。

掲載できるものが撮影できたらいいなと思っています。

 

今回は、新府城跡(しんぷじょうあと)からお送りしますね。

 

新府城は、甲斐の武田信玄の息子、勝頼が築城した城で、

当時、甲斐の都、府を甲府から韮崎に移そうとして、築城された城でした。

 

とても立派な城で、山城の建築技術に優れる武田氏が築城した城の特徴が多く見られる城だったそうです。

 

1581年、長野県から織田、徳川軍と争い、敗戦が続き、

武田家は拠点である甲斐まで引き返し、1582年の甲州征伐(こうしゅうせいばつ)にて、

織田、徳川勢が甲斐に攻めて来た時には、まだ新府城は未完成で、

ここでは、戦えないと判断し、新府城を焼き、この地を離れたそうです。

 

撮影日は 2024年04月07日です。

 

兵達の夢の跡(つわものたちのゆめのあと)

 

兵はつわものと呼ぶそうです。

松尾芭蕉が平泉で読んだ 夏草や、兵どもが夢の跡 は、

かつて栄華を誇った源氏(源義経)が奥州藤原氏を頼り最期を平泉で迎えて、

栄華を誇った跡が草むらだとことを読んでいるそうです。

 

新府城も、甲斐武田氏が都を甲府から韮崎に遷都する夢の形だったのかもしれないですね。

 

桜の向こうに断崖があり、この断崖は七里岩と呼ばれ、新府城はこの上にあります。

手前の石垣も新府城の一部だったのかもしれません。

後日調べて分かったことですが、未完成の状態で、武田氏自身の手で焼いてしまった城ですが、

この地が甲斐の都をゆかりある韮崎に移すという夢の跡のような気がしました。

 

昨年はここをぼんやりと見ていただけだったのですが、

桜は美しいのに、なぜかそこはかともなく悲しい赴きを感じたのも、

甲州征伐があったからかもしれません。

 

(Data)

カメラ:Nikon D750

レンズ:TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD

焦点距離:135mm

露出:±0EV 絞り:F8 シャッタースピード:1/160sec 感度:ISO 100

露出:マニュアル露出 ホワイトバランス:晴天

ピクチャーコントロール:風景

フォーカス:マニュアルフォーカス Raw