人車軌道、というと豆相や帝釈が比較的有名ですが、茨城県笠間市にも1915大正4年~1930昭和5年まで僅か1・4km程度の路線が存在していました。この笠間人車の凄い所は地元有志による復元活動が大変盛んな事です。現存しない車両を資料を基に復元し、実際に多くのイベントで走行させるなどしていて、その情熱には驚かされます。  今回でイベント参加は4回目ですが、いつもより細かい箇所を中心に見てきました

まずは今回敷設したレールから。大阪製鐵のjis6kgレールです。枕木側からボルトが出ていて、レールを載せた後に角座金とナットを付けるだけで締結出来るシステムです。こんなに沢山ある新品の軽レールを見るのは中々新鮮ですね

一方、車庫に使われているのは60×30のc型鋼です。6kgレールに接続する時はc型鋼を上から被せてリレーラーの様に使います

 

別の場所に有った高取鉱山(県内の鉱山)のレール、エキサイティング異形継ぎ目になっていますねw。細い方は6kgレールですが問題は太い方のレール、頭部幅30mm底部幅55mm高さ66.5mmという微妙な寸法です。摩耗した形跡も無いので元々この寸法だった様ですが、どこの規格のレールなのか気になります。

 

 

 

 

肝心の人車です。塗装してある人車は数年前に製作された車両で、無塗装の方が最新作です。新しい人車は細部、材質ともにかつての人車をより正確に再現しています。

足回り。両車ともNKS永瀬工場のボールベアリング外メタル式チルド車輪です。実際の寸法と永瀬工場のカタログを参照すると車輪径305mmの型番BB99と思われます。軸距離920mm(もしかして914mm?)です。

ブレーキてこは車両両端に有り、どちらからも操作できます。制輪子/ブレーキシューは木製で、お客さんが乗っていない状態なら反応良く停止出来ます。満員状態でスピードを出していた場合ではすぐに止まらないでしょう.........。

 

車体詳細。大まかな寸法は共通しています。全体的に曲線が多い車体なので、設計製作も難しかったそうです。現代の日本人にとってもやはり狭いですが所要時間も短かったのでそれでヨシだったのでしょう。

 

その他

 実際のどの様に運行されていたのか、メンバーの方々から教えて頂きましたが、やはり当時から危険な物であったそうです。車夫が人車を後ろから押す関係で前方不注意になりがち、死亡/大けがといった事故の記録も多く、ついには地元住民から人車軌道撤去の請願も行われています。後に人車から内燃に動力転換しますがモータリゼーションの到来でバスに敗北しています。

 また線路を延長する、車両を増やす等の“野望”も色々聞かせて頂きました。今後の活動にも注目すべき鉄道です