私の毎日のように体験している差別について今日は書こうと思う。

差別、と言ってもいろいろある。

黄色人種、アジア人だから。

小さいから。

女性だから。

いろいろだ。

だが、それだけではないと私は経験から知っている。


私の職種は接客業である。

私に鬱憤をぶつけてくる人は一定数いる。

私に対する苦情ではなく、会社に対する苦情をアジア人の私ともう1人の小さい男性はダントツで受ける。この国の中年男性はほぼない。


この国の首都でバスに乗っていた時。

クソアジアンはバスに乗るな!と叫ばれた。


コロナ禍の際は酷かった。

お前らがコロナを作ったんだ!お前が死ね!と何度言われたことか。



仕事帰り、地下鉄の中でアジア人をバカにするフレーズ、チン シャン ションと言われ笑われる。



私はそれを黙って聞いたりはしない。

大抵、それが起こるのは人前であるから聞き返す。

私が反応するとは思わずに発言している事が多いのだろう。さらに私のテンションはマックスである。怒り狂った訳のわからないアジア人は、想像できないのだろう。そして私を擁護する人は一定数いて、仕掛けてくる奴らはその場を離れる事が多い。その後助けてくれた人に丁寧に礼を述べる。その数分前の怒り狂ったアジア人と普通に話せ礼を言うギャップに周りの人は引く。それが私の日常である。


だが、これは海外にいるアジア人だから起こる差別ではない。日本にいる知り合いも、今海外ではシラミが流行ってるからと一時帰国した際に私に直接アルコールスプレーを吹きかけてきた。アルコールでシラミが死ぬのかは明らかではないが、あまりにも無知で失礼だと感じた。この一件で私は彼女と友達をやめた。今も全く連絡は取らない。


また違う人もフランスではこういう風邪が流行ってるらしいから、と私と会うのを辞めた人もいる。ちなみに私はフランス在住ではない。


南アメリカでジカ熱が流行ったときも私をバイ菌扱いして来た人がいた。因みにその当時私が住んでいたのは東南アジアであった。


差別は無知と分別の無さから起こるものである。

国外だけに限らず、隣の市の人を訳のわからない理由で書き下ろす人も知っている。


私の知る限り、差別をする人は間違った己の正義を頭と要領の悪い方法で表現しているに過ぎない。迷惑この上ない。


差別を受ける側としては、気にしてはいけないと思う。だが、受け流せる程簡単なものではないのだ。その日一日中嫌な気持ちは続くし、その場に行けば思い出す。なので私はくだらないストレスをんたしにぶつけてくる人を許さないのだ。