考えてみたら、わたしにとって野坂昭如はかっこいい大人の代表だった。


それは、かつて、朝まで生テレビで大島渚とマイクでどつき合うことができてしまうことであり、


マリリンモンローノーリターンや黒の舟歌などのブルースを歌えることであり、その声感であり、


そういや「蛍の墓」も。ブルージーだが、やたら饒舌な私小説「死小説」の著者であることに因る。


ブルージーでとぼけていて、装うことよりこだわってしまうことに、美味いより不味いに対して饒舌になり、そういった鬱屈と言っていいかもしれないものを悪びれず、そうでしかないと表明すること。


野坂昭如のCDを愛聴してきたけど、小説は背表紙だけ、古本屋で眺め、なんとなく読むタイミングがなく、今週、はじめて読んだのだ。


焼け跡世代と、自ら名乗るのは、戦後の駐留軍に対する、愛憎塗れうろうろする日本人を横目に、


結局はかなわない敵というものに相対しながら生きつなぐしかない、それを拡大すれば、死には結局かなわないという思想でこの本は出来上がっているのかもしれない。





それはまあいいとして、時には振り切りすっ飛ばすような、時にはところどころ淀むような文体のリズムが野坂昭如の喋り方と同じように、すごくいい。読書が楽しいのは、こういう時間感覚の喜びも一要素だなと思う。