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レイモンド・チャンドラー


CBC代表取締役 堀太郎のブログ

ついついまた読んでしまいました。


清水訳から多分6、7回目だと思いますが。(村上訳で3回)

へら鹿マロイとフィリップ・マーロウの奇妙な友情…みたいな物語。

今回も大いに細部を楽しみながら読みました。



チャンドラーの孤独なダンディズムや、都市的なシニシズムの静謐な美しさは、生前あまり理解されず、彼の没後にその評価が飛躍的に高まったようですね。


そして村上春樹のように、本格的にチャンドラーの衣鉢を継ぐ作家が現れた。


なぜかアメリカには、「チャンドラーらしい」作家はいません。


数名の“固茹で系”と言われる作家はいましたが、その世界観においてチャンドラーには遥かに及ばないクズばかりなのはなぜか。。。


もともと、村上の「羊をめぐる冒険」はチャンドラーの「長いお別れ」の構造をベースにして書かれたんですね。


孤独、痛切なほどのモラリズム、まるで双子と思われるほど読後感が似ています。

彼はチャンドラーのエピゴーネン的な人なのかもしれません。


あの「大いなる眠り」は、一体いつ訳してくれるんだか。


ロバート・B・パーカーっていう愚か者が続編らしきものを書いているらしいが、これだって、真のエピゴーネンである(?)村上が書くべき!



ちなみに、今回再読しながらいろいろな音楽を背景に読んでみました。

やはりJazzかなと思い、エバンスあたりが合いそうな気がして試してみましたが、意外にJazzはピンときませんでした。



たまたまipodが鳴らしたシベリウスがとてもフィットしてたので、その後サラステ指揮、シベリウスの全シンフォニーを聴きながらこれを読み終わりました。

これはかなり楽しかった♪

シベリウス特有の、厳しいまでに研ぎ澄まされた清冽さと底に湛えられた熱さ。

それと、チャンドラー(村上)の、孤立的な「自我」を文学的に追い込んでいく、そのモラリスティックな手法とがフィットしたのはあながち不思議じゃないと思います。









AccuRadio再び

photo:01


ランチタイムにAccuRadioで音楽聴いています。
http://www.accuradio.com/

iPhoneからブログ書くことも初ですが、果たしてうまくいくかな?

以前にもAccuRadioについて書きました。あらゆる音楽ジャンルのチャンネルがここには詰まってる。

そしてそれぞれの可視化が見事。
ジャケット見てるだけで楽しいです。

これにSNSがくっついてたら結構凄いことになるのでは?なんて思います。

主にJAZZとクラッシックのチャンネルを楽しんでいますが、JAZZチャンネルだけでもめちゃくちゃ多くのジャンルに分かれてます。

年代、楽器別、作曲者別などなど、などなどなどなど……なにしろJAZZだけで70以上チャンネルがある⁈⁈

最近はもっぱらComposersのチャンネルを聴いています。

Bird&Dizとかエリントン、Beatlesやモンクの下に、な、なんとWayne Shorterがあるんです!!!やった~!

これ、最高です。
ショーターの「宝庫」と言える名曲群を、本人のも含めあらゆるプレイヤーの演奏で聴けてしまうんだから。
これを至福と言わすして何と言おうかぁ‼

これが無料なんだから世の中変わったよね。。。(しみじみ)

…だが気をつけないと、画面にリンクしている、AmazonやiTunesからそのCDをどんどん買いたくなるw

さて、写真はAccuRadioのiPhone画面。

2002年のヴァンガードジャズオーケストラですよ、宮嶋さん!
なんと“ESP”を演ってる‼‼‼

これがまたなんともかっこいい…

ああ、また欲しくなった。。。

しかし、なんとも罪なサイトですね。


iPhoneからの投稿

Wayne Shorter①


この演奏は、Wayne Shorterの“Over Shadow Hill Way”です。

さきほど、久々にウォーキングをした際に、彼のイエテボリライブのブートレグを聴いてこれを書くことにしました。
①となっていますが、②はないかもしれません(笑)

この映像は、フランスのTVですが、ショーターはヨーロッパで絶大な人気があるようですね。
これのブートレグ版のDVDを持っています。

ぼくはショーターマニアですが、typicalなJazzファンとはちょっと感覚が違っていると思います。
さらにそれらJazzファンと、袂を分かつのがこの2001年以降のショーターユニットに対する感じ方なんですね。

いわゆるJazzファンの人たち(相当マニアックな…または超詳しい人たち)は、モードまみれのショーターを何故かあまり評価しないんですね。

ぼくがこよなく尊敬する“Jazzの玄人”である村上春樹も、どうもそんな感じです。(やれやれ…)

その人たちはほぼ、ショーター初期のVee-Jayの3枚がいい、あるいはメッセンジャーズの頃がいいと言うんですね。マイルスBandに入ってからの彼を、無条件に好きだと言ったJazzマニアにはほとんど会ったことがない。。。

まして、この最近のユニットに至っては、むしろ悪口の方が多かったですね。
ぼくにとっては、“奇跡”のユニットなんだけど。

もちろん初期と言われる時代も素晴らしいですよ。しかし、ぼくには、“Speak No Evil”“JuJu”であり、マイルスの“ESP”“Nefertiti”や“Sorcerer”といったモードの最前線を切り開いたショーターこそがショーターである、と言った観念が刷り込まれているのです。
“Infant eyes”はぼくにとって永遠の音楽です。

マイルスは、ショーターの天才なしにこの時代の先駆者となり得ないことを知っていたから、彼をメッセンジャーズからヘッドハントしたわけです。

初期の3枚も、ぼくにとっては、今のショーターと同じmysteriousでアバンギャルドな魅力に満ち溢れている。

その土台の上に、“Native Dancer”そして、95年の“High Life”などの新しいJazzのパラダイムが展かれる様を見て来ました。

“High Life”の中にある、“Maya”の神がかり的なソプラノソロなんか聴くと、自分がどこにいるかわからなくなります。

そして2002年。長らく病んでいた頚椎のヘルニアで痛む身体と、他に精神的痛みも抱えていたぼくは、友人に誘われて「東京Jazz」の会場に、ショーターの新しいユニットを観に行ったんですね。
味の素スタジアムでした。

暮れゆくスタジアムの片隅で、ショーターの演奏が始まるのを見つめていました。
多くの参加Jazzミュージシャンも舞台のそでに集まり、真剣にその演奏を見つめていました。

最初はやっていることがわからなかった。
フリーのプラットフォームの上で、“何か”が起こっているようではありましたが。

韜晦に満ちた不思議なフレーズの断片を、テナーやソプラノで繰り出すショーター。
(まるで呪文!)

それに鋭く応える、当代一流のリズムセクションによるインタープレイ。
何かを待つようにセンシティブに応酬を続ける、ダニーロ・ペレス、ジョン・パティトゥッチ、ブライアン・ブレード。。。

そしてその時それは始まりました
 
その瞬間、もうそこにはなにも存在していなくて、時間さえなくて、

ただ永遠への入り口に、彼が立っているようでした。
音は命の暗喩であり宇宙であり ・・・。

気が付いたら号泣していました。
身体と心の痛みも忘れ、スタジアムの片隅に泣きながら座っている自分がいました。 

この時の曲が、この“Over Shadow Hill Way”です。

この個人的体験が、いわゆる「Jazzファン」との間の溝をさらに広げちゃったのかもしれません。

事実泣いてたのはぼくだけ(笑)だったみたいです。

すぐ後ろの席から「ショーター迫力ねぇよな~…」などという会話が聞こえて来たりして。
これは典型的Jazzファンの声かもしれないけどね。

その後時間を経て、身体と心の痛みも癒えました。

でもショーターを聴くたびに、この時のことを思い出します。

音楽が、いや人生がこの上なく特別なものになった瞬間を思い出すんです。


WS①を終わります。
やっぱり②はないかも。。。