幕張ベイストレッチ教室の鈴木先生の教わったところによると、福沢諭吉は「帯患健康」(無病息災ではなくて有病息災という感じでしょうか?)というようですが、私も腰痛や咽頭炎にびくびくしながら、なんとかそれを防ぎつつ順調にドイツでの仕事を続けています。旅行期間は3月11日から18日までですが、11日の夜遅くホテルについて17日の未明にホテルを出発してやっと18日に成田に帰り着きますので、ドイツには6泊するけど、昼間は5日間しかありません。こういうのを6泊5日というのでしょうか。その5日間は朝から晩まで調査活動に従事することになります。GEI(ゲオルク・エッカート・インスティテュート)という国際教科書研究所と古くから続く教科書出版社の古文書保管室を訪問して調べ続けています。毎朝ホテルでたっぷりの食事をよく噛みながらゆっくり食べて出かけ、昼食抜きで夕方まで資料取集を続けています。長年探し続けていた貴重な資料や予想外の発見もしました。同分野の研究者から貴重な話がたくさん聞けました。それを16日の夕方まで続けていて、17日の未明にはホテルを出発して成田に向かいます。今日15日は朝から夕方まで、Westermqann古文書保管室で、関連するすべての文書の閲覧と撮影を終了しました。ここがやはりHansafibelの本拠地でした。書写の蔵書や手紙や写真も含めて、膨大な資料が整理されて保管されておりました。Hansafibelとその地方版だけで600冊ほどありました。その全部に目を通して、必要なページを撮影しました。ここは公共の図書館ではなく私有の資料室だから撮影の管理は厳しかったです。まず、1冊すべてのページの撮影は許可されませんでした。どれも許可を受けた必要箇所だけです。この写真を使って出版するときは必ず事前の了承を取るように言われました。が、管理しつつ研究するVerena Kleinschmidt(ヴェレーナと発音するのでしょうか?)さんが厳しいけれど親切で、小さな疑問にもいちいち答えてくれました。ハーケンについてもこれが明瞭に描かれているFibelがみつかったので質問しましたら、これは船乗りが使う特殊なハーケンではあるがこれがハーケンであるといってくれました。これも辞書だけで確定できなかったことの一つです。100年前に出た教科書の著者の蔵書や出版社内部の教科書が含まれているので、鉛筆書き次回修正メモが書き込まれていたりしました。そのうちの一つにスカートの下から長い下着が見えているのを咎める指摘がどこかからあったらしく、それが1929年版に鉛筆で書き込まれていました。1931年以降はその部分が不自然に修正されたものが増えましたが、よくよく見ると、まだ下着がのぞいたままになっている部分がある本があったり、どこにもその修正がされていないものがあったりしました。私は、600冊ほどのすべてに目を通しましたので、著者や画家や出版実務者や営業マンの息吹が見えてくるようでした。結局、古文書室だけで撮影した枚数は2000枚ほどになりました。そして、ついに井上が回想しているようなHansafibelが1冊も出版されていないことを確認することができました。日本人のすべてが井上の回想に基づくと推測されるハンザフィーベル像を受け入れていると思いますが、今回の調査でその訂正をすることができます。小さな事のようですが、新しい考えや方法が受け止められたり、それをヒントに新しいものが生まれたりすることの機微にかかわる大事なことだと思います。この点で井上赳を責める必要は全くないと私は考えています。たぶん井上はHANSAFIBELを見ただけで購入することはなかったのではないかとVerena Kleinschmidtさんは想像していましたが、その可能性は多分にあると思います。井上自身の分厚い紀行文を見ても、井上が調査を計画し大量の教科書を注文していたのはベルリンであって、ハンブルクには予定外でいわば偶然に観光半分で立ち寄っていますので、購入するに至らなかったのではないかとも思います。あるいは、一目見ただけで学ぶべき点を看破してそれで満足したのではないかとも思います。あるいは、入手して日本に持ち帰ったのだけれど、ハンザフィーベルについてものを書く際にいちいち確認しなかったのではないかと思います。そういうことは、戦前の著書にしばしば見られる現象です。あるいは、敗戦直前に戦争責任を逃れるために文部省で大量の文書を数日にわたって焼却したそうですが、特に米国とは敵対していたドイツのものは真っ先に焼却された可能性があります。いずれにしても、井上が戦後になって盛んにハンザフィーベルの回想記を書いている際には、井上の手元にはハンザフィーベルがなかったのだろうと、今はほとんど確信しています。でもそれは、井上がハンザフィーベルからほとんど開眼や悟りともいうべき衝撃的な学びをしたことに何千倍もの意義があるのであり、かつ、細部の勘違いはあっても、大事なことは学べるのだということも含めて、あるいは、有名人や功績者が語ることの細部には不正確な点があり、それも、人間の行為につきもののことであるということなどが、この一点からうかがうことができるように思います。長く書きすぎました。昨夜はほとんど寝ないで、収集した資料の整理や、こちらの関係者に渡す文書を作成して、そのまま朝食を済ませて古文書館に向かったので、今は興奮した寝不足状態です。これから少し静養して、明日の早朝からのGEIでの撮影に臨みます。撮影するフィーベル30冊ほどを選んでいるので次々に撮影するだけです。その中にはベルリンの教科書「ベーレンフィーベル」もあります。ヒトラーが登場する第三帝国時代の小学高入門国語教科書もあります。GEIでは全頁の撮影が許されていますので、数千枚の写真を撮影することになります。32ギガのメモリーを三つと、長時間使える電池二つがあり、GEIでは電源も使わせてもらえるので、充電しながらの撮影ができます。今回も緊張と興奮と充実のドイツ滞在です。首藤