先日、新宿の朝日カルチャーセンターで

高橋源一郎の講座を受講した。


タイトルは「一億3000万人の為の歎異抄」

高橋さんが歎異抄を訳した本と同じタイトル。


本の内容や書いた理由、今、歎異抄を読む理由を

話してくれた。


良かった。

講演を聞いて、素直に良かったと思うこと

は少ないが、この講演は良かった。


色々、興味深い話、面白い話があった。

やっぱり、作家はすごいなとも改めて思った。


一つだけ、自分の言葉で紹介。



今、流行りの言葉として、

コスパ、タイパが使われている。


経費の節約としてコスパ。

時間の節約としてタイパ。


それは、

あらゆる無駄や無意味を省く考え方。

でも、無駄とか、無意味とか、

大事じゃない?


本だって無駄だよ。古典も無駄だよ。

日時生活で役に立たないよ。

源氏物語を読んで役にたったって

思えないじゃん。


でも、無駄だから豊かじゃない?

無駄な物がたくさんあるから

豊かな物があって、豊かな生活がある。


人との会話もそう、

何気ない雑談に意味はない。

でも、その会話で動く心がある。


世界は一通りではない。

60億人いたら60億人の世界があり、

その分だけ豊かな世界がある。

コスパやタイパの世界だけでない。


それに関連して、

最近、ネットニュースでバズった話を聞いた。


「20代、何もして来なかったやつは社会で生きていけない。30になっても社会で役に立たない。」


それを聞いた会社の偉い人事の人も


「まさにそのとおり。つまり、20代にいかに頑張るかで人生が決まるんだ。」


そう答えて、さらに


「語学やるとか、資格試験とか、会社で頑張って仕事をして、昇進昇給するとか。30までにそういった努力をしないと、社会で役立つ人間になれない。そんなやつはそもそも友達もいなくて、例え、友達がいてもそんな奴らに付き合ってくれるのは同じように20代何もしてこなかったようなやつだけだ。」

そういう回答で、論争が起きている。


あほらしいと思う。
これも今の社会のコスパの意識を
すごく反映したもの。

でも考えてみるとおかしなこと。
そんなことをやっても、
最後に死んじゃうんだろう。
全部無駄じゃん。 

20代で一生懸命頑張っても、 
それでお金をもらって頑張って。
最後死ぬと。 

一緒じゃん。

って僕は思うけど。
なんか変だなと思ったの。

だって、僕は20代全部、
実は何もしてこなかったから。 

まさに僕だと。 
僕、19から30まで肉体労働をやってて。 
で、本もほぼ読んでなかった。 

ほぼ20代全て 無駄。

でもね。 僕多分。
 その20代があったおかげで作家になれた。
と、思ってて。 

作家ってものを書いたりするよね。 
それって、じゃあ高校や大学の授業の知識
が役に立ったかというと、

役に立たない。 

じゃ、何が役に立つかって言うと。 

すごくリアルに、
20代を何もしなかったのが一番役に立った。 

うん。つまり、何もしない、という時間
があったので、あとはもう何が起こっても
平気になったの。

あの感じ。 つまり。 

もしずっと何かしてたいたら、
ずっと何か続けていたら 、
何もしないってことは怖くなる。

人間は意味を求めるから。
無意味や無駄をなかなか受け入れにくい
社会だから。

何もしないことは怖いんですよ。みんな。 

つまり、それまでずっと何かしら有益なこと
をしているよね。学校行くとか。 会社に役に立つとか。結婚して子供生まれるとかもそう。

でも何もしない、ということをしていると
と不安になる。

無為の時間が受け入れられない。

例えば、 具体的に言うと
スランプになりますね。作家が。 

って書けない。 怖くない?
今まで充実してた人は? 
でも、僕は 怖くないんですよ。
10年スランプだったから。

そういう、 つまり、
危機に対応できるようになってる。 

だから、無駄とか無意味 というものが
実は必要だと、僕はそう思います。