正直体操の全日本も頭に入らない状態が続いていて、かつなんか涙が出てくるというか…台湾大会このテンションでみれるのかなと不安になるのも…

これ、永田さんが高山さんにベルト取られた直後の精神状態と似てるわ。ハァ。でも詳しくは後編で語りますが、その数日後に予測不能な行動を起こしてすべてぶっ飛んだわけですが…

しかも過去と違って年齢とコンディションのことを考えて「次」の機会が用意されるのか不安なわけで…

 

 

 

さて、前半は前回のブログで書けなかった部分について語り、後半ではじゃあ、今回は今後内藤さんが再びメインストーリーに返り咲くことはあるのかということについてどんたくのカード等の予想を含め2回に分けて記事を書こうと思います。またまとまりのない文章になるかも知れませんがお付き合い頂ければと思います。

 

 

1年間防衛できる人いる?という防衛ロードではあった

 

正直、今回の防衛失敗は自業自得だと言われても仕方ないかもしれないし、強引な世代交代ストーリーの巻き添えになってしまったという見方もあると思います。ただ、後者の場合かつての踏み台問題(※1 )の再来にもなりかねず、それが果たして良いことか悪いことかはこの時点ではわかりません。しかしながら新しい時代に向かっているのは確かなことであり、現世代がどれくらい抗って泥臭くしがみつくか。そこに注視していくしかない。つまり現世代応援組には辛い展開が続くかもしれないけど立ち向かっている本人たちはもっと過酷な状態に置かれるわけだからもっともっともっと力強いエールを送って応援するのみだと言う事ですね。

 

さて、ここからが前回の記事に載せられなかった部分の話題になります。

正直根塊内藤さんがベルト落としたのはモクスリー戦をタイトル戦にした自業自得だとも厳しく言うならあるのかも知れませんが、それにしても6日に両国で防衛して12日にまた、ってめちゃくちゃ過ぎない?とは思うところでした。ただ、全日本のマットでは中嶋選手の大晦日に宮原選手相手に防衛してその3日後にまたタイトル戦やって防衛してることを考えると不可能なことではないのですが…

ここ数年はまあせいぜい年4〜5回防衛戦が行われれば良いという感じだったわけで、何故急にこんなハイペースになったのか理由はわかりませんが(ということにしてください。)

仮にこの下に書くタイトル戦スケジュール(推測含め)を見るとゾッとするのも無理ないわけで

 

 

4月29日 レスリング火の国鹿児島(鹿児島)▲

5月4日 レスリングどんたく2024(福岡)◯

5月12日 RESURGENCE(カリフォルニア)◎

6月9日 DOMINION(大阪)◯

6月16日 NEWJAPANSOUL開幕戦(札幌)▲

7月1日 FORBIDDENDOOR3(ニューヨーク)◯

7月5日 NEWJAPANSOUL最終戦(東京)▲

8月30日  capital collision (ワシントン)◯

(◎画定 ◯濃厚 ▲もしかして)

 

これはあくまで現時点で発表されているビッグマッチを書き出したに過ぎないので、その時点でベルトを持っている選手の格によっては後楽園ホールで防衛戦も十分にあり得るし、棚橋社長が掲げてる地方でのタイトル戦…過去には秋田や新潟などでIWGP戦が行われたこともありますからーがある可能性も否定できないわけですから。

 そう考えると内藤さんが1年間ベルトを保持するのはいずれにせよ、無理があったわけではあります。たからモクスリーに渡して誰かが取り返すのが理想の形ではあったのでしょう。じゃあそれは誰なのか?というのは正直今の時点では予想できません。何故なら日本人選手とは限らないから。ただ確かなことはここでベルトを取った選手が主役になることで勢力図に大きな変動が起きることでしょうか。

 

 

IWGPベルト流出は思っている以上に「重罪」

 で、ここで何故あなたは内藤さんが取り返すとはっきり書かないのかとツッコミが入りそうですが、先に言っておくと内藤さんがこれをやらかしたのは実は今回で3回目。

 

  • 1回目(2009年)IWGPジュニアタッグ→ヤングバックス戦で防衛失敗、TNAに流出→TNAでリマッチもベルと取り戻せず、そのままCMLLに参戦、12月に帰国後はヘビー級転向で翌年のイッテンヨンでIWGPヘビー級タッグ王者に。
  • 2回目,(2018年)IWGPインターコンチネンタル→クリス・ジェリコ相手に防衛失敗→翌年リマッチで奪還

 

今回は流石に表立っては態度を示さないとは思いますが「何やってくれたんだ内藤」と内心怒っている関係者もいることを考えると易易リマッチを組むことはないと思います。

ということを考えると別な方法論で再生ロードを考える必要があるわけですよ。

では、それはどういうものが考えられるのか。具体的には継ぎのブログで語るのでここでは簡潔に書きます。

 

「モクスリーへのリベンジと、IWGP再挑戦は別腹にすべき」

 

ということで後編に続きます。

 

※1 

2005年1月、当時新日本プロレス社長だった草間政一氏がその当時のエースの永田裕志選手に契約更改の席で「棚橋、中邑の踏み台になってくれ」と告げた、それとは別に柴田勝頼選手との契約更改の場でも「永田、天山には君らの踏み台になってもらうから」と話したらしいが、真相は果たして?