私はかつて、宗教嫌いでした。
「宗教なんて支配者が、人の心を縛り付けるために利用しているものだ。」
「平和を求めるはずの宗教が宗教戦争を起こしているのは信じられない。」
「宗教とはただ単に儀式を行ったり、お題目を唱えたりしているだけ、そんなものが何に役に立つというのか。」
「宗教には論理性が全くない。ただやみくもに信じろという。そんなものが信じられるか」
このように思っていました。
しかし、世界を見渡すと大部分の人たちが生活の中に宗教が溶け込んでいます。
しかも、2000年以上も前から基本的な部分は変わらず受け継がれてきているのです。
もし、そのような宗教が本当に私の考えているようなものであるならば、とうの昔に消滅していることでしょう。
2000年以上も作法や儀式は変わってきていても「信ずるもの」は変わらないというのは大きな意味があるのではないかと思うようになりました。
宗教は嫌いだから宗教は受け入れないと言っているのは、
例えば、りんごを食べたことがない人が、「りんごのように赤いものはまずいに決まっているから食べない方がいい。」「私はりんごなど嫌いだから絶対に食べない。」といっているようなものです。
そこに気がついたとき、宗教というものに興味が湧いてきて勉強するようになりました。
どのようなものでも勉強を始めるとその奥の深さが分かってきます。
まだうわべだけの、ほんの浅い知識でしかありませんが、本当の意味が分かってきました。
こうして私は宗教嫌いではなくなりました。
多くの宗教嫌いの方は、かつての私がそうだったように「食べず嫌い」なのではないでしょうか。