困惑の現実に直面したとき、その現実を引き起こした犯人さがしを始めて、
責任者を責めたくなるときがあります。
「お前のせいでこうなってしまったのだ!どうしてくれる!」という思い。
いままでの私は、責任者に責任をとってくれということは、
至極あたりまえのことと思っていました。
しかし、よく考えて見ますと、自分では困惑の現実を引き受けきれないので、
事態の収拾を「犯人」に押し付けることによって、
自分は安全地帯に避難していようという心の状態が見えてきます。
人を責めることによって、自分を被害者の立場に置き、
優位に立ちたいという心の表れでしょう。
相手は確かに「犯人」かもしれません。
しかし、困惑の事態に一番困惑している人ではないでしょうか。
相手の方は、同じ時と場を共有し、縁あって出会いをいただいた自分と同じ人間です。
相手を責めることが最善の行動とはとても思えません。
相手を責めるのではなく、困惑の現実をいっしょに引き受け、
自分にできることはなんでもさせていただこうという気持ちで接していけば、
困惑の現実もより早く解消されるのではないでしょうか。