止観の訓練をしていると、少しづつ「もうひとりの自分」の姿が見えてきます。
止観と言うのは、一瞬の心の動きを写真撮影したように留めて、つぶさに観察する手法です。
人から誉められた時、どのように心が動いたか。
人から批判された時、どのように心が動いたか。
相手が期待通りの結果を出してくれなかった時、失敗した時、成功した時、
約束を破られた時、さまざまな事態の時に、どのように心が動いたか、
心を心でよく観るのです。
かつて学校で、「人間はだれも平等で、いかなる差別も受けてはいけない」と教わり、
その通りだと頭では理解していました。
しかし、心の中の動きはどうでしょうか。
私を認め、誉めてくれる人は親しくなろうとし、
私を認めず、批判する人は私も認めない。
助けてくれる仲間には幸せを願うことができますが、
競争相手は不幸な目にあっても構わない、
むしろ不幸な目にあってほしいとさえ思ってしまいます。
もっとひどいのは、犯罪者に対する思いです。
もはや人間としても認めない気持ちになります。
「罪を憎んで人を憎まず」という格言も頭だけの理解で、
心は頭の理解とは無関係に動いていきます。
これを差別する心と言わないでなんと言うのでしょうか。
私を批判する人も、犯罪者も、全ての人を平等に愛することができる心を
育んでいこうと思います。
ナイチンゲールやマザーテレサに一歩でも近づくように。