拙者は兵庫県民。兵庫県城攻めは16城。
大阪はわずか5城。
やはり身近な大阪府に城攻めしないとと反省して
一覧を入力。

摂津河内和泉どんなに頑張っても広さにおいては
とうてい播磨一国に勝てない大阪連合軍。
兵庫県地域は堀越調べで103城。大阪は104城
遺構消滅が、、、大阪府内104城のうち50城。
エクセルデータも駆使しながら、
原因を歴史的背景とともに分析いたします。


岸和田方面 南河内 は、
古くは南北朝時代、楠木正成さんの戦乱の地。
千早、赤坂城など
関連は9城ありますね^ ^

堺の鉄砲作りにキリシタンに
根来衆。
石山本願寺。
織田信長、豊臣秀吉との戦がありました。

織田信長の息子 織田信孝


滝川一益は、かなり優秀な武将。
伊勢のお城でたくさん名前が上がります^ ^
北畠さんの敵です。

岸和田城は中村一氏も守りに入りましたが、
度重なる根来衆 雑賀衆らの戦いも耐えました^ ^

地図は歴史道 七号 朝日新聞社さんより引用。


信長の石山本願寺攻めにより多くの城がつくられ
石山本願寺派や根来衆勢力も、対抗するように支城も作るようになります。お寺や古墳の再利用が多くみられるのは本願寺派だからこそかもしれません。

昨年世界文化遺産に指定された百舌古市古墳群は、たしかにこの地域^ ^


高屋城(羽曳野市)がっつり安閑天皇陵笑
現代人は宮内庁に阻まれ城攻めできません笑

織田信長が亡くなり、
そのあとは天王山へ。
北摂がざわざわしてきます。
豊臣秀吉が政権を取り、石山本願寺は制圧されます。

しかし、、、秀吉がなくなると形勢がかわります。
徳川家康が台頭^ ^

堺には、本能寺の変の際たまたま来ていた徳川家康が
自刃しようとして 堺衆にとめられ、そのあと
伊賀越えに出発した堺城があります。

堺衆が、いなかったら日本の歴史は変わっていたかもしれませんね。

関ヶ原のあと、有名な大阪の陣があります。


市内は戦闘態勢に。
関連のお城はほとんど消滅。6城。
遺構が残ってるのは茶臼山陣屋 古河藩陣屋 くらいなんで、関連するのは合計8城。
広くない大阪城下は物々しかったでしょうなー。

そんな残ってない大阪府のお城。
半数の51は、以下の通り^ ^
※台場をのぞいてます。


※読みにくい場合は、かにかましらべの
エクセルデータ送ります^ ^
(メールでのご対応になります)
遠慮なくいってください^ ^

戦乱のためのお城
そんな位置づけのお城がたくさんの
大阪でしたー。
宅地化や開発により多くを失った大阪のお城。
今は妄想にてお楽しみくだされー^ ^