実は、骨折よりも前から、

誰のために、何のために自分を生かし、仕事をしていくのか?を改めて考えさせられる伏線はさらに前にあったことに気付きつつあります。


4月前半に台湾に行き、彼らの親切さに心を洗われている自分がいました。

台湾に行ったことはあったし、そういう感想も聞いたことはあったし、そもそもイタリアを始め旅先の親切に助けられることもたくさん経験し、自分自身「困っている人がいたら助けよう」という気持ちがあり、

過去には、道で片足を踏まれて動けなくなっていたカエルを植え込みに入れてあげたり、落ちていた小鳥を側道に避けたり、道に迷った人に出来る限り親切に対応したりしたことがありました。


ただ、自分のなかには「困っている人を助けたい」というよりも、正確には、それを見て見ぬふりをすることにモヤモヤ感というか、強い抵抗感を感じるのです。


それがいわゆる「罪悪感」なのか、いまの自分では断定できないのですが、

遡って行けば、姉を見捨てた母や父に対する「復讐」や「怒り」とその時に何も出来なかった「残念さ」から生まれた「正義感」なのかもしれない、とも思います。

出会った相手を放置するのは罪、というような感覚。


そして、以前認識した自分自身のテーマとして「強く、優しく」があります。


今日も病院の受付に「後からエレベーターに乗ってきた人が先に降りて先に受付をした」ということがありました。


いい歳をした男性でした。


独身か、ご家族があるか分かりませんが、「余裕がないんだな」と思いました。


そう、みんな余裕がないんでしょうね。


自分を守るだけで、あるいは自分とその家族を守るだけで精一杯、、、


私の出会った上司や医師も、彼らなりに部下や患者に対し、自分が出来る精一杯のことをしているのかもしれませんが、それにしても私からすると

あまりにも小さく弱いままである。


「立場が人をつくる」という言葉がありますが、そう考えると、その前に「志が人をつくる」があると感じます。


では、改めて私の志はなんなのか。


「強く、優しく」からもう一歩踏み込む時期が来ているような気がします。