ぐんま百名山ブログをご覧いただき、

ありがとうございます。

前回ブログに続いて、『下仁田九峰』。
今回は、「下仁田御岳山」登山口の、
すぐ向かい側に登山口がある「蛍山」354mへ。
(※登ったのは、2022年2月下旬です。)

広々とした「ほたる山公園」の駐車場からスタート。


この駐車場は、少し高台にあって、
ここから下仁田の街並みが見渡せます。


駐車場の奥に「蛍山」への登山口。
何も書かれていない不思議な石柱があります。


前回の「下仁田御岳山」と同様に
『下仁田九峰』登山口の標識^^
「小太郎山」とも呼ぶようです。


登り始めてすぐに、このお堂が見えます。


お堂の前の立派な石柱、『御神木 お菊の杉跡』。
「約418年前、この場所でお菊捕まる」・・・。
  

「お菊」の供養塔が祀られたお堂です。


お堂の脇には、こんな供養塔も。
「龍神供養塔」。


このお堂は「悲願道」という名前のようです。

戦国時代末期に、

現在の甘楽町にあった国峰城の城主、

小幡氏に才色兼備の侍女「菊」がいたが、
周囲の嫉妬で無実の罪を着せられ、

無残に処刑されたとの「お菊伝説」。
この場所は、お菊が国峰城から逃げ出し、
捕まって連れ戻された場所、、、ということかな?


お菊伝説のお堂をあとに、登って行きます。
  

しばらくは平坦な杉林の中。


左に切れ落ちた場所が見えてくると急登に。


山頂への最後の急登。
  

あっという間に「蛍山」の山頂に到着(^O^)/。


山頂は樹々に囲まれて眺望は良くありません。


下仁田九峰「蛍山」、354m。
「九峰会」製作の山名版。


山頂には『下仁田九峰』の立派な石柱。
「小太郎山」、通称「ほたる山」、登記上は「小山」。
  

山頂から、木々の間に見える山々、
左は「下仁田御岳山」、正面の奥は「稲含山」?


『下仁田九峰』とは、いつ誰が名付けたのか。
現在の下仁田町で登山と言えば、
「妙義山」や「荒船山」、「物語山」などですが、

それらは「9峰」には含まれていません。
 

おそらく『下仁田九峰』は、昭和30年の大合併前、

今より狭かった時代の「旧下仁田町」の範囲にある、
主に信仰の対象の山々だと思われます。

 

さらに遡ると・・・・、
「稲含山」や「大山」のある栗山村や、
「兄倉山」や「藤山」がある吉崎村などと、

「旧々下仁田町」が合併したのが明治22年。

そのため、『下仁田九峰』が名付けられたのは、
この明治22年から昭和30年の間、と勝手に推測(笑)。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。