最近は、少し体調がすぐれないと、引退と言われたり、過去の写真が公表されるとクビにされたり、鶏の原産地が違うだけで会社が倒産に追い込まれようとしたり・・・。
ストレスの多い社会ではありますが、一人一人のストレスが減れば、こんなささいなことで社会が動揺することもなくなるのだろうと思います。
こういう現象はとても怖いです。
つまり、弱者の側にいると、すぐに抹殺されそうになる。
でも、これを繰り返すと、学校や職場のいじめと同じように昨日までいじめる側にいたのが、いつの間にかいじめられる側にいたりすることになる・・・。
そんな、毎日やるかやられるかの生活って、意味あるんでしょうか?
例えば、体調がすぐれないのなら、みんなで「暫く休んでまた元気になって出てきて下さい」と声をかけ、休養充分で復帰したら「復帰おめでとう!」って言える社会にしたいですね。
それから、公表されたくない写真が出回ったとしても、社会が「そんな辛い時代もあったんだね」って温かく迎えてあげられないのかなぁ・・・。
また、毒を盛ったわけでもなく、ただ単に原産地と違うものを提供しただけで、会社ぐるみの犯罪のように書き立てるのはどんなもんなんだろう?
それよりも、自分の味覚の鈍感さを笑うだけの度量の大きさはないのだろうか・・・。
悪がはびこることはよくありませんが、社会が更生を見守ることができるようなシステムを構築することこそが重要なのだと思います。
真希ちゃんが語ってくれてましたが、「やさしさは伝わっていくものです」という言葉を心にしっかりと持って、まずは温かく迎えてあげることなのではないでしょうか。
それでも更生できないようであれば、社会からの退場を命じられるかもしれません。
世の中、真希ちゃんのような温かい人ばかりであれば、もめ事も犯罪も起こらないのに・・・。