今日一部で話題にしている人がいた朝日新聞の記事です。
うちも朝日だ、と探してみた。内容は芸能欄かな。もしかしたら昨日の夕刊なのかもしれない。(北海道は夕刊がない)
「新聞記者の文章術」というタイトルのコーナーらしい。「『音楽』を書くこと3⃣」となっているからシリーズなのかな。
音楽・舞踊担当の編集員、吉田純子さんという方の担当記事だ。
よく見つけたな。確かに最後に羽生結弦が結びとして出てくるのだけど、見出しは「シルヴィ・ギエムインタビュー」なのに。
インタビューをしたときに「言ってもいないことを書かれる」という不満の声を聞くことがある。それはライターが意図して嘘を書いたわけではなく、聞き手が言葉の向こうにある相手の心の感触を正しくとらえられなかった時に起こりがちである。
音楽家やダンサーは、音や身体という特殊な「言語」で魂を表現して生きているのだから、そうした営みへの理解とリスペクトが不可欠だ。
記者の良心ですな。この記者さんの記事を目にしたことがあるのかもしれないけど意識しことはないです。インタビューを受けたアーティスト本人でなければ、吉田さんの理想がなされているのかはわからないですよね。
2009年9月に掲載されたというシルヴィ・ギエムのインタビューからの記事が添えられている。その中で最も強く受け取ったのであろう言葉がそのまま書かれている。
「自身が、自分に対する一番厳しい批評家であること。常に自分で人生を選択し、変わっていく自分に責任を持つこと」
私はバレエのことはまったくわからない。そんなんでもギエムの名は知っているほどのビッグネームだ。
私が何も知らなかったギエムさんの簡単な経歴もあげられている。
ずっとバレリーナなのだと思い込んでいた。体操からバレエに転向。そうか、それがあってのあの身体能力か。
史上最年少の19歳でパリオペラ座のエトワール。
23歳でバレエの世界を去って、50歳で引退するまでダンサー。
ええ、そうだったの?エトワールはたった4年で、クラシックの舞台から出ていったのか。
「自分だけの踊り」を模索した唯一無二の芸術家だそうです。
この言葉をギエムさんが語るときの、「そっとため息をつくように、しかしよどみなく一気に語る前の静かな間を、よく覚えています。ほんの数秒だったと思うのですが、あの時は永遠につながる時間のように感じられたものです」と振りかえる。これが吉田さんがいうところの、言葉の向こうにある相手の心をの感触を正しくとらえるということなのだろう。
「口調やテンションの変化、身振りも含めたたたずまいに心を研ぎ澄ませ、この人の本心を宿す言葉はどれか、どう補えばそれが伝わるかなどと自問する」というインタビュアーとしての基本に立とうととしたときに、このギエムさんとのインタビューが、そのときの言葉とそれを発したときの本人の姿の記憶が、思い起こされるということなのだろうか。
15年も前のインタビュー。ずっとそれが心にあるのか。
それほどに、鮮烈な言葉だったのだろうなあ。
しかし、このギエムさんの言葉って。私にはあるひとりの人物しか浮かんでこないんだが。羽生結弦っていうんですがね。
だって自身が自分に対して一番厳しいんでしょ。
そして、選択ですよ。今一番新しく印象的な言葉じゃないですか。
そして経歴も似てるね。19歳でエトワール、と金メダル。羽生さんだって23歳で連覇したらすぐプロ転向も考えていたかもしれない。(過去にオーサーに対してそう言ってたこともある)
クラシックバレエの古典的な舞台と、競技フィギュアを、同じような場所ととらえれば、その歩みはとても似ているのね。
そして変わっていく自分に責任を持つ。たぶん羽生さんも、フィギュアスケートのための選択をしていくと言いながらいろんな挑戦もしていくのだと思うよ。
だから2年前、羽生さんの引退会見(引退じゃないんだが、プロ転向なんだが。すでに相手の真意を正しくとらえていなくないか?)のときに、このギエムさんの言葉がよみがえったそうだ。
羽生さんの「新たな挑戦」という時のやや強い語調から、この人は「引退=体力の限界」という世の中のステレオタイプと闘っているのだと思いましたーーって、あなたがそのステレオタイプなんじゃないですか?
羽生さんがプロというステージに一段上がったときに、引退という言葉を使う、一般的なひとたちの感覚こそが、羽生さんが打ち破りたいものだと思いますがね。
あ、いかん。引退という言葉に対しては私自身がナーバスなのかもしれん。あんたわかっちゃいなーーーい!と叫びたくなるもんね。
でもこれは2年前のことだろうから。今の羽生さんの立ち位置をこの人はちゃんと把握しているかな?
このあとコラムに書いたそうだ。
「競い合いから解放された先の未来に待っている、スポーツと芸術が真に豊かに連なる領域の存在を、羽生さんがいつか証明してくれると願う」
いつか…… つい先日証明されたと思うよ。
あのRE_PRAY最終の宮城公演の2日間は、まさにスポーツと芸術の真に豊かに連なる領域そのものでしょう。これを世に見せるために、競技フィギュアのくびきから放たれたのだから。
本人がいつ終わってもいいような悔いのないものを残せたと言ってるんだから。
どうか現在の羽生さんをよく見てください。まさしくあなたの願いがかなえられていますよ。
そしてきっと、まだまだ自分に厳しくて、また選択してさらに進んでいって、もっと変わっていくんだろうなあ。
夢の領域がもっと広がっていくよ。
それししても、シルヴィ・ギエムというバレエやダンスのレジェンドを語るときに、羽生結弦の名前がついて出てくる。
そういう領域にいるのだな、と改めて思った。
私たちは「自分だけのスケート」を模索する唯一無二の芸術家を見続けることができている。
この奇跡をありがたくも大切なものにしたいです。