江戸最初期の脇差の姿 | 彫きぬ雑記帳

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山口県山口市の刺青処、日本伝統肌絵芸術の彫きぬこと衣笠新太郎のブログ
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江戸時代最初期に造られた脇差というのは比較的寸法が短く、
概ね一尺二、三寸以下が多く、中には一尺未満のものもある
その割に身幅が広いがっちりとした造り込みが特徴なのだ

ところが未だに、『ちょっとみじかいなぁ』などと
この寸法を短くて貧弱であると捉えている人が多い

一尺五、六寸の脇差は安定期に入ったあとの
落ち着いた江戸時代の登城用に決められた脇差の寸法であり
実用の戦国時代には、咄嗟に抜き易い小振りの脇差や寸延び短刀が盛んに用いられていた
なにせ、己れの命が懸かっているのだから

鎬のない平造も、刃の通り抜けが良いので南北朝の騒乱時代から、
このような「短い平造が」実用武器として重宝されていたのである

もちろん、鎬(しのぎ)のある物も多い
その鎬線を張らして棟への肉を削り落とし、刀身断面が菱形に近い物が、より実戦的である
鎬の張った物は平造よりも頑強であるのは理解できるはず








去年晩秋に銀座で購入した武蔵大掾藤原忠廣
銘ぶりから寛永二年八月頃の作とわかる

歴史上は、慶長からは江戸時代であるのだが
まだまだ、安定に向かっている世の中とは言えなく
当時はまだ戦国時代の続きであるのだ

関ヶ原の合戦があったり、大坂の陣があり
また寛永期には島原の乱もあり
慶長、元和、寛永はまだ殺伐としていた時代である

🐶とっつあん、刀の話しになると熱が入りますね
仕事も熱を入れてくださいね

🐱もちろん仕事のスイッチはONです
今宵もこれから土曜日の残業に入ります