さあ、今日も一日が終わろうとしています。
今日は「生きているうちのお墓参り」と称して実家に行ってきました。(^O^)
人はいつ死ぬかわかりません。まして高齢の親ならなおさらのこと。できるだけ時間のある週末は会いに行くようにしているのです。
死んでからお墓にお酒や、お菓子を持っていっても喜ぶ顔は見られませんから、生きているうちに喜ぶ顔を見たいと、いつのころからか両親の好物を買っていってあげるようになりました。
始めの頃は「なにも買ってこないでね。そんなにお金を使わないで。」などと遠慮をするので、「死んでから持ってきたって意味ないから生きているうちのお墓参りよ。」と、かまわず果物やお寿司やおさしみなどを運び込んでいましたが、今ではすっかり喜んで「まあ、こんなにありがとう」と言ってくれるようになりました。(o^-')b
今日も、「そんなにちょくちょく来ないで大丈夫だからね。何かあったら連絡するから」と言いながらうれしそうにお茶の準備をするのでした。
今日の話題は「うちの子供たちのすばらしさ」でした。
私: 彼らは素直、誠実、ハート力の持ち主だからウソだらけの現実に生きる
のはとても大変なんだよ。
親: ふーん、彼らは律子のところでなにしているの?
私: 「私のところでは、自分が自分であっていいということを学ぶんだよ。今ま
ではみんなに合わせられない自分は落ちこぼれだと自信を失っているか
らね。
スミレはスミレ、バラはバラで生まれてきているのに、無理やり「今社
会で価値があるのはゆりだから、ゆりの花になるように努力しなさい」な
んて言われて、自分はそれができないから、だめなんだって思う子が多い
んだよ。
学校も親も「ゆりの花」に価値があると思っていればなおさら孤独
になってしまうよね。
親: 律子のところでは理解できても、また社会に出たら彼らは生きていけなく
なっちゃうんじゃないのかい(?_?)
私: 大丈夫。自分に自信ができてしまえば、人と自分の価値感はみな違って
当たり前だという理解ができているので、自分を責める自分がもういなく
なるからね。
親: ふーん
私: それにね、彼らのようにすばらしい魂の持ち主がどんどん生まれてきてい
るから、これからは彼らの時代になっていくと思うよ。(o^-')b
彼らがそんなにしゃべらないのは、心でわかってしまうから。言葉はむや
みに使わないかもね。
それから魂の話になっていった。
母親は細胞または神経が自分の感覚を持っていて、死んでしまったら何もなくなってしまうと思っている。(*_*)
以前心臓手術をしたときに、「心臓が止まった」という医者の言葉を聞いたあとで」意識がなくなったときのことを思いだし、その後気づくまでまったく何も覚えていなかったのだから、死んだらそれとまったく同じ状態だと主張している。
(?_?)
「スウェーデンボルグ」の「霊界探訪」や、「ヒマラヤ聖者の生活探求」などの本から説明しても突拍子もないように感じられることはすべて「信じられない」と言って聞こうとしないので、話はそこまでになった。( ̄ー ̄)
人の一生で経験することは限りがあるけど、その人の生きてきたそのプロセスにこそ、その人の学びがあるのだから、母は母の思うことが真実なんだろう。
「中村天風」の本にわかりやすく「無限の力につながっている人間」について書いてあったのを思い出して、次回母親に持ってきてあげることになった。
お互いにこの人生で親子になったのも何かの縁でしょう。(*^▽^*)
できる限りお茶を飲んだりしながら、思い残すことなく時間を使おうと思っている。(o^-')b