友達と会う約束の時間まで、
一人でゆっくりしています。
昨日のコメントを、
やっと読ませていただく事が出来ました。
そして!
昨日の資源ごみではない箱の理由。
いろいろなご意見を、
ありがとうございます。
とてもいい勉強になりました。
私が大阪の阿倍野区に住んでいた時には、
ごみの分別がありませんでした。
(今はどうなんでしょうか…)
自治体によっても、
当然違うと思いますが…
ごみの出し方によって、
その人となりや、
もしかしたら、
知性が出るのではないかなぁ…と、
病気になってから気付きました。
ごみは極力出ないに越した事はありませんが、
出してしまったのであれば、
せめて処分の仕方などは、
綺麗にしたいなぁと、
思ったりするのです。
そんなふうには本当にお恥ずかしい事に、
この歳になるまで思った事がない私でした。
もちろんめちゃくちゃなことを、
してきた訳ではありません。
仕事が出来なくなり、
ゆったりとした生活をしていく中で、
私がやっと気付けた事のひとつです。
先ずごみは出したらおしまいではなく、
きちんと回収していただくまで見届ける事。
そしてどの人に見られても、
恥ずかしくないようなごみ袋の中身…
透明袋から透けて見えるごみを見て、
家族のいろいろな、
物事に対する意識の高さなどが、
分かってしまうんではないかと。
いつも美しいごみの出し方をしているのを、
ふと思い出しました。
ごみの入った袋なのに、
美しいのです。
毎日出るごみ。
美しく最後まで、
感謝の気持ちを持ちたいです。