10/25(日) ハンブルク・ブレーメン 晴れ時々曇ったり雨が降ったり、7-13℃。

 

【今回のお題】

◯なぜ「川の港町」が、巨大な世界貿易都市になれたのか?

◯ナポレオンも手が出せなかった!?「自由都市」の独立を守った秘密とは?

◯職人と商人の『こだわり』が生んだ奇跡の景観〜伝統を紡ぐ赤レンガと路地裏の秘密〜

 

【1】行程

昨夜のハンブルクのエルベ川河口付近の風景

 

ホテルの室内に設置されているハンブルクの街並み風景パネル

 

ホテル室内。寝室部屋とトイレ・シャワールームはちょっと離れていました。

 

ホテルの朝食ブッフェ。サーモンとニシンがやはりうれしい。

 

 8:25 ホテル出発。この日、ハンブルクは hella hamburg halbmarathon(ハーフマラソン)大会。交通規制があちこちで発生。

本来は2026年6月28日に開催される予定でしたが、ヨーロッパを襲った40度近い異例の熱波による危険性を考慮し、ランナーの安全のためにこの日(10月25日(日))へ延期されたのでした。

 

◯港湾施設「セント・パウリ・ランドゥングスブリュッケン(St. Pauli Landungsbrücken)」

◯旧エルベ・トンネル(Alter Elbtunnel / St. Pauli Elbtunnel)

◯エルプフィルハーモニー・ハンブルク(Elbphilharmonie Hamburg)

◯聖ニコライ教会跡(Mahnmal St. Nikolai )

◯ラートハウスマルクト(Rathausmarkt / 市庁舎広場)&ハンブルク市庁舎(Hamburger Rathaus)

◯聖ペトリ教会(Hauptkirche St. Petri)

 

 9:50 ハンブルク出発。

11:15 ブレーメン到着。レンタカー返却。荷物をコインロッカーに預ける。

◯豚飼いと彼の群れ(Schweinehirt und seine Herde)

◯聖母教会(Kirche Unser Lieben Frauen)

◯ブレーメンのマルクト広場(Marktplatz)

◯ブレーメンの音楽隊(Die Bremer Stadtmusikanten)像

◯ブレーマー・ラーツケラー(Bremer Ratskeller)※レストラン

◯ローラント像(Bremer Roland)

◯聖ペトリ大聖堂(Bremer St. Petri Dom)

◯ブレーメンの穴(Bremer Loch)

◯ベットヒャー通り(Böttcherstraße)

◯「ロゼリウスの家(左)」と「グロッケンシュピール(仕掛け時計)の家(右)」

◯聖マルティニ教会(St. Martini Kirche)

◯シュノーア地区(Schnoorviertel)

15:30 ブレーメン中央駅着。

16:48 ブレーメン中央駅発 (4分遅れ)。ICEでヴッパータール中央駅へ。

19:30 ヴッパータール中央駅着 (17分遅れ)。DBの近郊各駅停車路線S8でデュッセルドルフ中央駅へ。

19:37 ヴッパータール中央駅発 (12分遅れ)。

19:58 デュッセルドルフ中央駅

 

 

【2】ハンブルク(Hamburg)各所の紹介

ハンブルク関連地図

 

 8:25 ホテル出発。この日、ハンブルクはハーフマラソン大会(hella hamburg halbmarathon)でした。交通規制があちこちであり、昨日停めた地下駐車場から市内を抜けられるか不安になりました。スタート地点は、まさにホテル近くのレーパーバーン(Reeperbahn)だったのです。

 

 地下駐車場からの出庫方法も不慣れ。たまたま前方を外国人客の一行が歩いていたので、見よう見まねで対処できました。

 昨日停めた際、入り口で「おもちゃのような小さなプラスチック製の赤色コイン」をもらっていました。 

① それを駐車場入り口のタッチセンサーにかざすと、閉まっていた通行人用の出入口ロックが解除され、その中に入れます。 

② 先に進むと料金精算機があり、先程の「赤いコイン」を投入すると料金が請求されます(昨夜18:00過ぎ〜今朝8:00過ぎまでの駐車で、「1日の最大料金」と書いてあった20€を請求されました)。支払うと、また別の「赤いプラスチック製コイン」が出てきます。 

③ 車に乗って進むと、またバーの下がった出口に出くわします。そこに設置されている「コイン投入機」に先程の赤コインを入れます。無事出られました! 

 

 

◯港湾施設「セント・パウリ・ランドゥングスブリュッケン(St. Pauli Landungsbrücken)」

 まず、昨夜ゆっくり見られなかった港風景を見ることにしました。

ハンブルクを代表する歴史的な港湾施設「セント・パウリ・ランドゥングスブリュッケン(St. Pauli Landungsbrücken)」 を高台から見た景色。川はエルベ川。チェコ共和国やドレスデンの方から流れてきています。

 

 

◯旧エルベ・トンネル(Alter Elbtunnel / St. Pauli Elbtunnel)

同上からの景色。左側の建物が、エルベ川の下を通る歴史的な海底トンネル 「旧エルベ・トンネル(Alter Elbtunnel / St. Pauli Elbtunnel)」。内部には車や歩行者を地下へと運ぶ巨大なエレベーターが設置されています。1911年に開通したこのトンネルは、対岸の港湾地区で働く労働者のために作られたものです。

 

◯エルプフィルハーモニー・ハンブルク(Elbphilharmonie Hamburg)

同上からの景色。コンサートホール 「エルプフィルハーモニー・ハンブルク(Elbphilharmonie Hamburg)」 。地元では親しみを込めて「エルフィ(Elphi)」と呼びます。

・ベースとなる茶色いレンガ造りの建物は、1960年代に建てられた「カイシュパイヒャーA(Kaispeicher A)」というココアやコーヒー豆の巨大な倉庫。その上に約1000枚の湾曲したガラスパネルで構成された新装部分が乗っています。カッターの刃や波のようなギザギザした屋根は港町ハンブルクの水面を表現しています。

・ステージを360度すり鉢状に客席が囲む構造で、どの席からでもステージが近くに見えるよう設計されています。日本の音響設計家・豊田泰久氏が音響を手掛けました。

・レンガの旧倉庫とガラスの新建築のつなぎ目にあたる8階(地上37メートル)は、一般に無料開放された展望フロア(プラザ)になっています。地上からは、「チューブ(The Tube)」と呼ばれる全長82メートルの湾曲したエスカレーターに乗ってプラザへ上がれます。

 

 

 さて、街の主たる場所はハーフマラソンコースに当たるので、諦めつつブレーメンに向かおうと道を進むと、何やら立派な教会の傍を通りかかりました。すぐに路上駐車可の場所に車を停めました。幸いなことにその道路はコースから外れている幹線道路でした。

 

◯聖ニコライ教会跡(Mahnmal St. Nikolai )

・1874年に尖塔が完成した当時は、高さ147.3メートルの教会で世界で最も高い建造物でした。

・第二次世界大戦中の1943年、ハンブルクは連合国軍による大規模空襲に見舞われました。この尖塔は空襲の際の「爆撃目標(目印)」にされ、教会堂は壊滅的な被害を受けました。

・戦後、崩壊を免れた尖塔と一部の外壁だけをあえてそのままの状態で残し、現在は「反戦と平和のための記念碑(マールマール)」として保存されています。地下は空襲の歴史を伝える博物館になっています。

・現在は、尖塔内部にガラス張りのエレベーターが設置されており、地上76メートルの高さにある展望プラットフォームまで登ることができます。

 

 

◯ラートハウスマルクト(Rathausmarkt / 市庁舎広場)&ハンブルク市庁舎(Hamburger Rathaus)

(左)ハンブルク市庁舎、(中奥)聖ニコライ教会跡、(右端)聖ペトリ教会 (パノラマ撮影)

 

• ハンブルク市庁舎

・高さ112メートルの尖塔と、青緑色のロマネスク・ルネッサンス様式の屋根になっています。

・1897年に完成し、現在もハンブルク州議会や市長室として機能しています。部屋数はバッキンガム宮殿より多い647室あります。

・時計のすぐ下には、ハンブルクの街のシンボルである「3つの塔を持つ城」が描かれた赤と白の紋章が刻まれています。

・時計塔の左右、窓と窓の間に配置されたニッチ(くぼみ)には、かつてドイツ(神聖ローマ帝国など)を治めた歴代皇帝たちの彫像(ブロンズ像)が並んでいます。正面全体で20体の皇帝像が配置されています。

・時計の下、皇帝像に挟まれた中央部分に小さなバルコニーがあり、国賓が訪れた際や特別な記念式典の際に、市長や賓客がここから広場の市民に向けて手を振ります。

 

市庁舎1階の内部(パノラマ撮影)

・網目状の天井の石の梁が交差するところには、ハンブルクの歴史的名士たちのメダルが彫刻されています。

・丸柱には、ハンブルクの歴史で重要な役割を果たした人物や、伝統的なギルド(職人組合)を象徴する装飾がなされています。

 

ハンブルク市庁舎の中庭と「ヒュギエイアの噴水(Hygieia-Brunnen)」

・中央の噴水の一番上に立っているブロンズ像は、ギリシャ神話に登場する健康と衛生の女神「ヒュギエイア」です。その足元には退治されたドラゴンが横たわっています。これは当時の人々を苦しめた「コレラという病魔」を象徴しています。

・この噴水は、1892年にハンブルクで8000人以上の犠牲者を出した「コレラの大流行」の終息を記念し、犠牲者を追悼するために1895〜96年に造られました。

 

 

◯聖ペトリ教会(Hauptkirche St. Petri)

・1195年に初めて文献に登場するハンブルク最古の教会です。現在の建物は1842年のハンブルク大火で焼失した後に再建されたものです。

・大火の際、奇跡的に焼け残った1342年製ブロンズの「ライオンの頭のドアノッカー」が、現在の正面玄関の扉に残っています。触ると幸運が訪れるとも言われます。

・高さ132メートルの塔には、123メートルの位置まで544段の階段で登ることができます(エレベーターはありません)。窓から市庁舎やアルスター湖を一望できます。

 

 9:50 、いよいよ車でハンブルクを出発しました。11:15 ブレーメン駅前に無事到着し、レンタカーを返却しました。毎度の通り、鍵をダッシュボードにしまい、スマホのアプリから返却完了の操作をするだけで終了です。手荷物をブレーメン中央駅のコインロッカーに預けて、旧市街に向けて歩きます。

 

 

【3】ブレーメン(Bremen)という街

ブレーメン関連地図

 

• 『ブレーメンの音楽隊』の聖地

 グリム童話で世界的に有名。ロバ(Esel)・イヌ(Hund)・ネコ(Katze)・オンドリ(Hahn)が重なっています。
ブレーメンの音楽隊 : ヴァルト - 通販 - Yahoo!ショッピング@yahooショッピングHPより。

信号機の青色マークにも使われていました(赤色は、普通に見かける歩行者と自転車でした)。

 

• ドイツにある「3つの単独都市州」の1つ

 正式名称は「自由ハンザ都市ブレーメン」。ブレーメン市とブレーマーハーフェン市の2つの自治体から構成される、ドイツで最も小さな連邦州です。都市が単独の州になっているのは、ベルリン、ハンブルクとここ。

 

• ドイツ第2の港湾都市

 ハンブルクと同じく中世の「ハンザ同盟」の主要都市。現在はメルセデス・ベンツの巨大工場や、航空宇宙産業(エアバス社)の拠点としても発展しています。
 

•「ベックス(BECK'S)」ビールの故郷

 緑のボトルの有名なドイツビール「ベックス」の発祥の地で、川沿いに巨大な醸造所があります。
 

• ヴェーザー川沿いに発展した街

 ハンブルクのエルベ川に対し、ブレーメンは「ヴェーザー川」(ハーメルンの方から流れています)沿いに開けています。川沿いのプロムナード「シュラハテ(Schlachte)」にはビアガーデンやレストランが並びます。

 

 

【4】ブレーメン(Bremen)各所の紹介

◯豚飼いと彼の群れ(Schweinehirt und seine Herde)

• 中世の時代、このゼーゲ通り(Sögestraße)を通って豚たちが街の門から放牧地へと追われていました。通り名の「ゼーゲ(Söge)」は「豚(Sauen)」を意味しており、その歴史的な由来にちなんで1974年に彫刻家が作りました。角笛を吹く豚飼いの男性、その傍らにいる牧羊犬、数頭の豚と子豚たちで構成されています。ドイツでは豚は「幸運のシンボル」とされています。

 

 

◯聖母教会(Kirche Unser Lieben Frauen)

• ブレーメンで2番目に古い教会

 11世紀に建てられ、隣のブレーメン大聖堂(聖ペトリ大聖堂)に次ぐ、街で2番目に長い歴史を持つ教会です。もとはロマネスク様式で建てられ、のちゴシック様式の三仏堂(3つの身廊を持つ構造)へ改築されました。
 

• 特徴的な非対称の塔

 中央にそびえ立つ尖塔は北塔です。かつて南塔もありましたが、1944年の空襲で焼失し、現在の非対称な姿のままになっています。
 

◯ブレーメンのマルクト広場(Marktplatz)

毎年10月後半に開催される伝統的な秋祭り「クライナー・フライマルクト(Kleiner Freimarkt / 小さなフライマルクト)」が行われていました。ブレーメン中央駅の裏手(メイン会場)で行われる「ブレーマー・フライマルクト」は1035年から続くドイツで最も古い市民祭りの一つです。が、ここ旧市街のマルクト広場では、懐かしい雰囲気の屋台やメリーゴーランドが集まる「クライナー(小さな)の部」が同時開催されています。

フィンランド名物のサーモン料理の屋台「フラムラックス・ヒュッテ(Flammlachshütte)」。木の板に生のサーモンを固定し、薪の直火(焚き火)の熱でじっくりと豪快に焼き上げるフィンランドの伝統料理です。

ブレーメン州議事堂(Haus der Bürgerschaft - 左奥)、伝統的なギルドハウス「シュッティング」(Schütting - 右側)

 

 

◯ブレーメンの音楽隊(Die Bremer Stadtmusikanten)像

・1953年に彫刻家によって制作されました。ロバの両前足を両手で握って願い事をすると、その願いが叶うという言い伝えがあります。

・下から順にロバ、イヌ、ネコ、オンドリが重なっています。人間から役に立たなくなったと見捨てられた動物たちが、新天地「ブレーメン」を目指して旅をし、途中で泥棒の家を見つけてみんなで重なり合い、大声を上げて泥棒を驚かせて追い払うという、童話のクライマックスの姿を表現しています。

 

 

• ゴシック様式の古い市庁舎(右側)
 濃い茶色のレンガ造りの部分は、1405〜10年に建てられた市庁舎の中で最も古いゴシック様式の部分です。窓の間には、中世の皇帝や選帝侯たちの彫刻が飾られています。
 

• 新市庁舎(左側)
 少し明るい石造りの建物は、20世紀初頭(1910〜13年)に拡張された新市庁舎(Neues Rathaus)です。

 

 

 先程のサーモン料理の屋台「フラムラックス・ヒュッテ」も良かったのですが、小雨が降ったり止んだりして寒いので、中のレストランに入ることにしました。

 

◯ブレーマー・ラーツケラー(Bremer Ratskeller)※レストラン

1405年の市庁舎創設と同時に造られた、ドイツで最も古いワイン酒場・セラーの一つです。地下には白いアーチ型の円天井(大ホール)が続いており、中世の雰囲気がそのまま残されています。ここには世界最大の「ドイツワイン」のコレクションがあり、奥の「ローズセラー(Rosekeller)」という特別な部屋には、1653年物のドイツ最古の樽ワイン(リューデスハイム産)が今も眠っています。

 

• 手前のフライパン:ブレーメン風クニップ(Knipp)
 ブレーメンとその周辺地域だけで食べられるローカルな郷土料理です。豚肉や牛肉にオーツ麦(大麦)、スパイスを混ぜて作った穀物入りのソーセージ(ひき肉)を、フライパンで表面がカリカリになるまで香ばしく焼き上げています。付け合わせのドイツ風ジャーマンポテト(Bratkartoffeln)がたっぷり添えられ、さらに右側の小鉢に入ったアップルソース(Apfelmus)を、お肉につけて甘じょっぱい味のコントラストを楽しみながら食べます。


• 奥の白いお皿:白身魚のソテー(Matjes=ニシン=のポテト添え)
 北海に近いブレーメンは魚料理も名物です。皮目をパリッと焼き上げた大ぶりの白身魚のフィレが、丸ごとの小粒ポテトや炒めたインゲン、キノコなどの野菜の上に乗せられています。特製のソースとの相性も抜群です。
 

 

◯ローラント像(Bremer Roland)

• 街の「自由」と「独立」の象徴
 1404年に建てられました。神聖ローマ皇帝シャルルマーニュ(カール大帝)に仕えた伝説の騎士ローラントを表しています。中世のブレーメン市民が、教会(大司教)の支配から脱して「都市としての自由と独立、貿易の権利」を勝ち取ったことを証明する記念碑でした。
 右手には正義の象徴である裸の剣(デュランダル)を掲げ、左手には神聖ローマ帝国の「双頭の鷲」が描かれた盾を持っています。この日は、祭りの演出なのか、青いハートマークが重ねられています。

「ローラント像が街を見守り続けている限り、ブレーメンは自由な都市であり続ける」という言い伝えがあり、もし戦争などで像が壊れてもすぐに身代わりを建てられるよう、市庁舎の地下には「予備のローラント像」が今も隠されているという伝説があるとか。

 

• 足元にいる「うずくまる男」
 像の足元(柵の中)をよく見ると、小さな男がうずくまっています。これは、かつてブレーメンに土地を寄付した「エマ伯爵夫人」の伝説に登場する「足の不自由な男」を表現していると言われています。

 11世紀、ブレーメンの近くにエマという心優しい伯爵夫人が住んでいました。彼女は富を人々のために使いたいと考え、市民のために広大な土地(現在の「ビュルガーヴァイデ」というお祭りやイベントが開かれる広場)を寄付しようとしました。

 しかし、彼女の義理の弟ベンノ(Benno)は、土地をただで市民に与えることに大反対しました。そこで彼は、姉の寄付を邪魔するために次のような無理難題を突きつけました。「日の出から日没までの間に、1人の人間が歩いて(這って)囲むことができた広さだけの土地なら、寄付してもいい。ただし、歩く人間を選ぶのは私だ」。ベンノが選んだのは、街で見かけた「足の不自由で歩くことができない男」でした。彼はこれで寄付される土地はごくわずか、あるいはゼロになると確信してニヤリと笑いました。
 ところが、選ばれた男は市民のために命がけで挑みました。彼は足が動かないため、腕の力だけで必死に地面を這い、1日中かけて信じられないほど広大な土地を囲ってみせたのです。ベンノの予想に反して、この男の驚異的な努力のおかげで、ブレーメンの市民は非常に広い放牧地(現在の市民の憩いの場)を無料で手に入れることができました。
 市民は、自分たちのために奇跡を起こして「自由な土地」をもたらしてくれたこの男を英雄として称えました。そのため、街の「自由と独立」を象徴するローラント像が建てられた際、その偉大な功績を永遠に忘れないための象徴として、男の姿を足元に刻みました。

 

 

◯聖ペトリ大聖堂(Bremer St. Petri Dom)

• 789年にシャルルマーニュ(カール大帝)によって最初の木造教会が建てられたのが始まりです。その後、火災や崩壊を経て再建が繰り返されました。二本の尖塔(高さ約99メートル)を持つ構造になっています。

•ファサードの中央の大きな丸い窓は、ゴシック建築を代表する「バラ窓」です。ここから差し込む光が、聖堂の内部を照らします。
• 入り口(ポータル)の上部には、金色の背景にキリストや聖人たちが描かれた美しいモザイク画が施されています。
• 大聖堂の左手前に建っているブロンズ騎馬像は、ドイツ帝国を統一したプロイセン国王ヴィルヘルム1世の像です。

• 右側の塔(南塔)は、有料で265段の階段を登ることができ、上からは世界遺産のマルクト広場やブレーメンの街並みを一望できます。
•大聖堂の地下(鉛の部屋:Bleikeller)には、偶然の乾燥環境によって自然に風化した数百年近く前の本物のミイラ(乾燥遺体)が安置され、公開されています。

三連構造の身廊

 

主祭壇(アルター)

 

 

◯ブレーメンの穴(Bremer Loch)

 マルクト広場(州議事堂の前あたり)の地面に埋め込まれているユニークな募金箱です。

 私たちが入れた時は「KREIH NICH(泣くな=オンドリ)」でした。でも、これをやっている観光客を他に見ることはできませんでした😅。

 

• コインを入れると鳴き声が響く
 中央にある細い隙間にコイン(ユーロ硬貨)を落とし入れると、地下から「ブレーメンの音楽隊」の動物たちの鳴き声が響き渡る仕組みになっています。


• どの動物が鳴く?
 入れるコインの種類やタイミングによって、ロバ(ヒヒーン)、イヌ(ワンワン)、ネコ(ニャーオ)、オンドリ(コケコッコー)のいずれか、あるいは一斉に鳴き声が聞こえます。


• 文字の意味
 蓋の中央には、この地域の古い方言(低地ドイツ語)で以下のように刻まれています。
    • KREIH NICH(泣くな=オンドリ)
    • JAUL NICH(吠えるな=イヌ)
    • KNURR NICH(唸るな=ネコ)
    • SEGG I AA(イーアーと言え=ロバ)
    • DOH WAT RIN IN'T BREMER LOCH(ブレーメンの穴に何か入れてくれ)
 

• お金の使い道
 ここに集まった寄付金は、周囲の文字に刻まれている慈善団体「ヴィルヘルム・カイゼン・ビュルガーヒルフェ(Wilhelm Kaisen Bürgerhilfe)」を通じて、ブレーメンの様々な社会福祉プロジェクトや街の支援活動に全額役立てられます。

 

 

◯ベットヒャー通り(Böttcherstraße)

・入り口を飾る「黄金のレリーフ」作品名:『光をもたらす者(Lichtbringer)』

 1936年に芸術家ベルンハルト・ヘトガーによって制作された、通りの最大シンボルです。赤レンガのアーチの上に、輝く巨大な黄金のブロンズ製レリーフがはめ込まれています。大剣を手に持ち、天空から急降下して凶悪な竜(悪の象徴)を突き刺そうとしている大天使ミカエルの姿が描かれています。

 当時、この通りをプロデュースした実業家ロセリウスやヘトガーは、当時の政権(ナチス)の思想への迎合、皮肉を込めて制作しました。 ※当時の政権(ナチス)側から一度は「退廃芸術」として批判・否定されていました。

 通り全体が芸術作品で、現在も美術館やギャラリーが集まる芸術拠点になっています。

 

 

◯「ロゼリウスの家(左)」と「グロッケンシュピール(仕掛け時計)の家(右)」

• 旧ロゼリウスの家(Roselius-Haus - 左側)
 階段状になった特徴的な屋根(階段破風)を持つ、1588年に建てられた通りの中で最古のルネサンス様式の市民の家(民家)です。
 通りの生みの親のコーヒー商人ルートヴィヒ・ロゼリウスがこの家を購入したことを機に、全体がユニークな赤レンガの通り造りが始まりました。現在は中世からバロック期のアートを展示する「ルートヴィヒ・ロゼリウス博物館」になっています。


• グロッケンシュピールハウス(Haus des Glockenspiels - 右側)
 一番上の2つの屋根の間に、マイセン磁器で作られた30個の白いセラミック製の鐘が並んでいます。毎正時に美しい音色でメロディを奏でます。
 写真中央に当たるの建物にある「丸い塔」の部分の壁が自動で回転し、大西洋を横断した先駆者たち(コロンブスやリンドバーグなど)が描かれた10枚の木製レリーフが次々と現れる仕掛けになっています。
    1階に「TOURIST INFO」というブレーメン観光案内所があります。

 

仕掛け時計が回転している様子、この仕掛け時計の回転タワーに描かれている10枚の木製レリーフは、彫刻家ベルンハルト・ヘトガーによって「大洋の覇者(Ozeanbezwinger)」というテーマで制作されました。

(※写真は7枚目から8枚目に変化するところ。)

 

1. レイフ・エリクソン(Leif Eriksson)& トルフィン・カルルセフニ(Thorfinn Karlsefni)
    • コロンブスよりも遥か昔に北米大陸(ヴィンランド)に到達した、中世ヴァイキングの探検家たち。


2. クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)
    • 1492年に大西洋を横断し、アメリカ大陸への航路を開いたイタリア出身の航海士。
 

3. ロバート・フルトン(Robert Fulton)
    • 世界で初めて実用的な蒸気船(外輪船)を開発し、水上交通に革命を起こしたアメリカの発明家。
 

4. ハインリヒ・ケーニヒ(Heinrich König)
    • 地元ブレーメンの有名なカトリック司祭。宗教的な探検や精神的な先駆者。


5. ハンス・エーゲデ(Hans Egede)
    • 18世紀にグリーンランドに渡って過酷な環境で布教活動を行い、島を開拓した「グリーンランドの使徒」と呼ばれる宣教師。


6. フェルディナント・フォン・ツェッペリン(Ferdinand von Zeppelin)
    • 硬式飛行船を開発し、空の長距離航行(のちの大西洋横断飛行船ルート)の基礎を築いた伯爵。


7. ヘルマン・ケール(Hermann Köhl)、エーレンフリート・ギュンター・フライヘア・フォン・ヒューネフェルト(Ehrenfried Günther Freiherr von Hünefeld)、ジェームズ・フィッツモーリス(James Fitzmaurice)
    • (※写真に写っているパネルです) 1928年に「ブレーメン号」に乗り込み、向かい風が強く最も困難と言われた大西洋の「東から西への初無着陸横断飛行」を命がけで成功させた3人の英雄たちです。


8. チャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)
    • 1927年に「スピリット・オブ・セントルイス号」で、ニューヨークからパリへの大西洋単独無着陸横断飛行に初めて成功したアメリカの世界的パイロット。


9. アルベルト・ザルトマン(Albert Sthaman)
    • ブレーメンの歴史的な法律家・政治家で、貿易都市ブレーメンの海外進出・航海権の発展を支えた功労者。


10. ルートヴィヒ・ロゼリウス(Ludwig Roselius)
    • この「ベットヒャー通り」を私財を投じてプロデュースした実業家で、カフェインレスコーヒーの(HAG社)発明者。通りを完成させた「現代の開拓者」として最後に描かれています。

 

 

◯聖マルティニ教会(St. Martini Kirche)

• 街で最も古い教会の一つ
 1229年に基礎が築かれた、ブレーメン旧市街で4番目に古い歴史を持つプロテスタント(ルター派)の教会です。右奥に見える緑色の尖った塔は、高さ約62メートルあります。1944年の空襲で建物は壊滅的な被害を受けましたが、1960年までに元の姿へと忠実に再建されました。

 内部には大変豪華なバロック様式のパイプオルガンがあり、塔にはマイセン磁器の鐘(カリヨン)が設置されています。毎日 9:15、12:15、15:15、18:15の1日4回、ドイツの聖歌『主をほめよ(Lobe den Herren)』のメロディを響かせます。

 

 

◯シュノーア地区(Schnoorviertel)

 ブレーメンで最も古い歴史と中世の風情が残る人気の旧市街エリアです。

• 「紐(シュノーア)」という名の由来
「シュノーア(Schnoor / Snoor)」とは、低地ドイツ語で「紐(ひも)」を意味します。狭い路地に沿って小さな家々が「紐に繋がれた真珠のネックレス」のように並んでいることからこの名がつきました。かつてはロープ職人や船乗り、貧しい漁師たちが住むエリアでした。


• 奇跡的に残った中世の木組み建築:
 15世紀から18世紀に建てられた歴史的な建物が多く残っています。ブレーメンは第二次世界大戦で大きな空襲を受けましたが、このエリアは細い路地が入り組んでいたため奇跡的に戦火を免れ、美しい町並みが保存されました。
 

シュノーア地区を代表するスポット、年中無休365日いつでもクリスマスショップの「ヴァイナハツトレウメ(Weihnachtsträume / クリスマスの夢)」

• この地区は、絵本やグリム童話の世界から飛び出してきたかのようなノスタルジックな雰囲気が漂っています。運営会社(クリスチャンス・アンティーク社)は、この景観が「1年中いつでもクリスマスの魔法を信じられる、夢(トレウメ)のような空間」という店のコンセプトに合致すると考えて、この場所に店舗を構えました。
・シュノーア地区は、世界中から旅行者が集まるブレーメン最大の観光エリアです。外国人観光客にとって、「ドイツの伝統的なクリスマスオーナメントやくるみ割り人形」は季節を問わず大人気のお土産です。また、この地区はもともと、アーティストのアトリエや職人のセレクトショップが集まる場所として発展してきたため、職人が手作業で作る精巧なガラスのオーナメントや木工芸品をじっくり選んで買う場所として最高の立地でした。

 

 

 以上を見て歩き、ブレーメンを後にしました。この街も「おとぎ話・絵本」の雰囲気を漂わせた、落ち着いた素敵な街でした。

 

 ブレーメン中央駅からの帰路のこと。乗ったICEの指定席の場所に20代後半(?)らしき若い男性が座っていました。DBアプリで「指定席券」を見せて「移動してもらえますか」と促すも、何やら言いながらなかなか退こうとしません(「他の空いているところに座れば?」と言っているように見えましたが)。

 どうやら5人組の男性仲間でその座席周辺を座っていたようでした。そのうち仲間内の別の1人が何やら説得(?)して、しばらくしてやっと移動しました。しかし態度はふてぶてしいのです。「指定席のルール」を知らないわけもないでしょうに、「あぁ、わかりました。移動します」と言えば済むものを、、、、さすがにイラッとしました。

 その若者たち、ドルトムント(Dortmund)までしばらくの時間一緒だったので、なんとも言えない不快感を感じたのでした。これまで出会ったドイツ人男性は紳士的な穏やかな感じの人が多かったので、イメージダウンしてしまいました。

 そしてあいも変わらぬDBの遅延の嵐。おまけに遅延しても、車内の乗り換え案内の電光掲示板は「乗れなくなった」にも関わらず、通常の乗り換え案内が表示されるのです。ヴッパータール中央駅での乗り換えが必要だったため、どの電車に乗り継げるのか、またアプリを使いながらのにらめっこ。

 う~ん、せっかく良い街を巡ってきたのに、、、と少し残念な気持ちでの帰宅になったのでした。

 

 

【今回のお題のまとめ】

◯なぜ「川の港町」が、巨大な世界貿易都市になれたのか?
「普通、港町っていうと海に面した沿岸部を想像するじゃない。でもハンブルクもブレーメンも、実は海(北海)から何十キロも内陸に入ったエルベ川やヴェーザー川の河口近くにある『河港都市』なんだよね。これ、昔の船の技術からするとすごく理にかなっているんだよね。海沿いは波も荒いし、風も強いけど、川をさかのぼった内陸なら船を安全に繋いでおける。しかも、川を使えば内陸の奥深く(ドレスデンやチェコ、あるいはハーメルンの方)まで直接荷物を運べるわけだ。つまり『海の貿易』と『内陸の川の物流』が交差する、一番都合のいい一番奥の場所(結節点)を選んで街を作ったんだね。だから港湾施設のランドゥングスブリュッケンや倉庫街が、あんな川の真ん中にドカンと発展したんだよ。」

 

◯ナポレオンも手が出せなかった!?「自由都市」の独立を守った秘密とは?

「ブレーメンのマルクト広場に行くと、大きなローラント像がドーンと立ってるじゃない。胸を張って剣を持ってるんだけど、あれこそが『俺たちは大司教や王様の支配を受けない、独立した自由な商人の街だ』っていう看板なんだよね。ハンブルクもブレーメンも『ハンザ同盟』の中心で、今でも都市州(ひとつの独立した州)でしょう? 国王に税金を払う代わりに、自分たちで金を出し合って強固な市庁舎を建て、防壁を作り、独自の法律を作った。ブレーメンの足元の男の伝説(エマ伯爵夫人の放牧地)や、ハンブルクの市庁舎にあるギルドの装飾を見てもわかるけど、ここは『お上(かみ)から与えられた街』じゃなくて、『職人や商人が自分たちの権利と土地を命がけで勝ち取ってきた街』なんだよね。だから職人や市民のプライドが今でもすごく高いんじゃないのかなぁ。」

 

◯職人と商人の『こだわり』が生んだ奇跡の景観〜伝統を紡ぐ赤レンガと路地裏の秘密〜

「ベットヒャー通りにある『ロゼリウスの家』と『グロッケンシュピール(仕掛け時計)の家』、そしてあの迷路みたいな『シュノーア地区』。一見すると、個性の違う観光スポットが並んでいるように見えるけど……実はどれも『自分たちの街の伝統や歴史を、形にして残そうとした人たちの強いこだわり』でつながってるんだよね。
 まずベットヒャー通り。あのカフェインレスコーヒーを発明した商人ルートヴィヒ・ロゼリウスが私財を投じて作った通りでしょ。古くなった中世ルネサンス建築の『ロゼリウスの家』を買い取って保存したのを皮切りに、マイセン磁器の鐘が鳴る『グロッケンシュピールの家』まで建てて、通り全体を一つの芸術作品にしちゃった。これって、単なる再開発じゃなくて『ブレーメンの誇りや大航海時代の開拓精神を、赤レンガと仕掛け時計で表現したパトロンの情熱』なんだよね。
 一方で、そこから少し歩いた『シュノーア地区』。ここはかつてロープ職人や貧しい船乗りたちが暮らしていた場所で、『紐(シュノーア)に繋がれた真珠』みたいに小さな木組みの家々がぎゅっと詰まってる。第二次世界大戦でブレーメンの大部分が爆撃を受けたのに、この地区は道が狭すぎて奇跡的に火災の拡大を免れた。今じゃ年中無休のクリスマスショップ(ヴァイナハツトレウメ)や手仕事の職人工房が集まる夢のような場所だけど、もともとは『下町の職人たちが肩を寄せ合って暮らしていた生活の場』。
 豪商が私財を投じて作った『ベットヒャー通りの芸術的こだわり』と、職人たちの暮らしがそのまま残った『シュノーア地区の歴史的偶然』。この2つが奇跡的に合わさったからこそ、ブレーメンはグリム童話の世界そのままのような、温かみのある唯一無二の街並みを今に伝えているんだね。」