いえーいコオロギです。
今日で禁止期間キレたとおもってテンション上がってたら今日までだったと聞いてテンションまじ線対称
はいそれじゃぁソフトテニスとの関わりに一段落ついたからいったん振り返って反省していってみましょうか←
えと、そもそもコオロギは中学2年からテニスを始めた坊やだったのでほかの人と比べると1年の差がありましたね。
ちなみにテニス部に入部したのは3月25日。それは今でも忘れない。
一年生の頃は野球をしてましたが怪我が長く続きお荷物になってきたから退部。
正直野球は今でも好きです。つーかやりたい。
ぶっちゃけソフトテニス部を次の部活に選んだのは幽霊部員のたまり場として有名だったから。
あとは友達から誘われたりですね。というか最終的にはそっちかな。
そんで入部。
はじめは握り方を友人に教えてもらい、その時点では両利きでした。
まぁ野球辞めた原因が右手痛めたってのもあって左でやってましたからきがついたらって感じです笑
まぁ幽霊部員になる気でいたからあんまりやる気はなかったんですよ。
んで初の休日部活。コーチと出会う。
ある意味というかそのまんまの意味で奇跡の出会い。
あの人に出会ってなきゃまずテニスしてない。
名前はいいませんがまじ新田さんに感謝。(ぇ
まず新田さんに教えてもらったのは球の打ち方。それとルール。
元々幽霊部員でいくつもりだったコオロギですが
新田さんのおかげでテニスが楽しいと思えるようになりました。
その後入部してすぐに先輩たちの引退試合に。
コオロギとしては初めて見る公式戦でしたのでまずは応援の激しさにまずは驚きました。
それと同時に野球にはなかった独特の緊張感があり、引き込まれるには十分でしたよ笑
先輩たちは県大会まで駒を進め、一ヶ月長くなりまして、
その間にいろんな事を教わりましたね。
カットサーブの存在とかそのとき初めて知りました。
その後先輩たちは県大会で負けてしまい。自分たちの代に。
とはいってもコオロギは初心者でしたので下っ端で必死でしたけど笑
そこからは地獄でしたね笑今まで甘い蜜しか吸ってなかったってのが正しい表現でしょうか。
夏休みは文字通り吐くまでやらされ、吐くまでやって
初心者なんてレッテルをはがすために必死になってやってました。
めちゃくちゃ叱られまして
めちゃくちゃ泣いてましたね笑
あの頃は辛かった。ちょっと後悔してましたし笑
それだけテニスって過酷なスポーツだと認識できた時期でもありますが。
でもそのお陰でその後にあったコオロギのデビュー戦。なんとか初試合初勝利を納めることができました^^
相手は今でも覚えてます。西部中の石浦くんでした。
あのときはすごく嬉しかったです。たしかその時点で半年もたってなかった気がする。
その後も死にそうになりながら頑張って。
ある種充実してましたね。
その後ペアが変わって橋本と組むことに。
橋本は声をすごく出して時々あほみたいに声を出してたから
つられて声出してたらいろんな学校に嫌な意味で注目されてましたね笑
その後練習試合をたくさんやりました。経験が少なかったのでただただやって、吸収に全力でした笑
その努力もあってか
最終的には郡大会では4つに残れ、
地区大会では団体で県大会に進めました
中学校のテニスで一番印象に残ってるのは
地区大会の準決勝でそのとき富山県代表に選ばれてたりもしてた斉藤・小林ペアと当たった時ですねやっぱり。
全力でやって、勝ち越し周りをして、楽しくて、笑顔で試合してました笑
最後は追いつかれて、追い抜かれて負けてしまったんですがね・・・^^;
その後に新田さんに
「テニス部に来てくれてありがとう」って言われたのを聞いて
あー頑張って良かったなって思えました^^
しかもその後、相手の早月中の山西先生から、
「お前が早月にいてくれれば全国にも行けた」って言われた時はさすがにいいすぎと思いましたが
嬉しくないわけないですよね笑^^
あと、桜井中の土肥先生(漢字合ってるかな)にも、冬の時
「高校がきまってないなら是非桜井高校に」
とも言われてましたし
早月の熊野に
「お前、世界一かにかまをおいしそうに食べるな」
と褒め言葉^^
中学でのテニスは結局1年と3ヶ月しかしてませんでしたが
非常に充実した部活動だと思ってます^^
最後にいろんな人に褒められて嬉しかったですし
県大会で負けた時
新田さんに「ありがとうございました」と泣きながらでも言えた事が今でも自分の誇りかも←
あの時逝ってなかったら高校でテニスしてないかも。
魚津高校に進学することになり、いざ入学してテニス部を見てみると素敵人物が勢揃い(笑)
先ほどいった代表選手の小林に、早月中として北信越大会に行った梅澤に
県二位になった実績のある按田、池田に
その昔スタイルの手本にした長山の桜井衆。
滑川中の主将だった長谷に
高志野で力強いプレーをしてた山口
それに上市から井藤、早崎、永原のレギュラー3人
さらに自分を含めた入中から3人に
他の競技からきた有望株たちと
総勢20人もの新入生が一同に会しました。
初めて顔をあわせたときはテンションが上がりましたね(笑)
それぞれが個性の強いやつでしたし、騒がしい代だったと思いますよ(笑)
魚津高校はソフトテニスは北信越になんだかんだかなり行ってたり、インハイで活躍した歴史もあったりと実は意外と名門っぽかった←
高一の頃は自分が中二から始めたのが仇になって周りとのレベルの差を痛感してました(笑)
でも先輩から教えてもらったりと
先輩の力にすがり付いてなんとか付いていけるように頑張りました(笑)
とはいえ
この世代は中学でなかなかの成績をあげていて
正直学年内だけでも上位に食い込むのは相当大変でした(笑)
その分かなり練習しましたが
ぶっちゃけ中二の夏のが全然きつかったからってのと
中1までやってた野球で基礎的な体はできてたってのとで
さほど辛くはなかったです^^
新田さんには本当に感謝してもしきれないんですよ
自分のテニスの師ですよまじで。
その後
夜にもテニスをしようってことで中二の頃にちょこっと行ってた三日市でのテニス教室みたいなのに久しぶりに参上。
そのあと二年生になるまでしばらくまたいかなくなりますが
このときに三日市にいって顔を覚えてもらえて本当に良かったです。
高一の夏は先輩方が引退してしまって
また自分にとって試練の夏でした(笑)
この頃にやってた練習はなかなかきつかった(笑)
そこからは特にこれと言うことはなく、というのも生徒会に所属したため部活を休みがちに。
テニス的にはここから二年の夏までの生徒会在籍期間はあんまり喜ばしいものではなかったのですが
それでも人生の中ならなかなかだいじなことですから間違ってないと自負してます。
でも今考えたらこの時期がなければもっと頑張れてたのかも・・・とか考えたら止まらないからやめます^^
一年の時はそのままなぁなぁで終わってしまいました・・・今考えたらまだ頑張れたな・・・
二年生になると一年生が入ってきました(当然
中学の時にかくの忘れてましたが
後輩ってでかい存在ですよね^^
先輩はテニスを上達する上では必要不可欠ですが
後輩は自己の向上に不可欠ですね
そんな後輩が入ってすぐ、先輩たちの引退試合が。
そのときの結果が忘れられませんね。魚津高校が出場枠4つのすべてを埋めたんですよ。
その一つにコオロギもいましたよ笑
しかも先輩たちは団体でも北信越。個人でも出場と最良の結果で引退していきました。
自分たちがこの人たちに追いつけるのかという不安がありましたが
自分なりにそこからは必死でしたね。三日市に復活したのは秋でしたね。
そこからは必死すぎてあんまり覚えてない笑
ただ言えるのは
引退したときは思いの外すっきりしてしまったこと。
その次に来たのはみんなにすごい迷惑かけたってこと。
松田さん(高校のコーチ)に感謝したいなってこと。
そして新田さんに今一度感謝したいなってこと。
なんかこうやってみると意外と
密度の濃いテニス人生ですね笑
でもこの引退に際していったんは離れますよ・・・
正直最後らへん適当なのは字数制限でケータイでかけなくなったから笑
二つ目の記事にするかも←
大学にいってもやってるのかなー
硬式とか別のこともしてそうだね
よーし反省会終わり!←なんか違
今日で禁止期間キレたとおもってテンション上がってたら今日までだったと聞いてテンションまじ線対称
はいそれじゃぁソフトテニスとの関わりに一段落ついたからいったん振り返って反省していってみましょうか←
えと、そもそもコオロギは中学2年からテニスを始めた坊やだったのでほかの人と比べると1年の差がありましたね。
ちなみにテニス部に入部したのは3月25日。それは今でも忘れない。
一年生の頃は野球をしてましたが怪我が長く続きお荷物になってきたから退部。
正直野球は今でも好きです。つーかやりたい。
ぶっちゃけソフトテニス部を次の部活に選んだのは幽霊部員のたまり場として有名だったから。
あとは友達から誘われたりですね。というか最終的にはそっちかな。
そんで入部。
はじめは握り方を友人に教えてもらい、その時点では両利きでした。
まぁ野球辞めた原因が右手痛めたってのもあって左でやってましたからきがついたらって感じです笑
まぁ幽霊部員になる気でいたからあんまりやる気はなかったんですよ。
んで初の休日部活。コーチと出会う。
ある意味というかそのまんまの意味で奇跡の出会い。
あの人に出会ってなきゃまずテニスしてない。
名前はいいませんがまじ新田さんに感謝。(ぇ
まず新田さんに教えてもらったのは球の打ち方。それとルール。
元々幽霊部員でいくつもりだったコオロギですが
新田さんのおかげでテニスが楽しいと思えるようになりました。
その後入部してすぐに先輩たちの引退試合に。
コオロギとしては初めて見る公式戦でしたのでまずは応援の激しさにまずは驚きました。
それと同時に野球にはなかった独特の緊張感があり、引き込まれるには十分でしたよ笑
先輩たちは県大会まで駒を進め、一ヶ月長くなりまして、
その間にいろんな事を教わりましたね。
カットサーブの存在とかそのとき初めて知りました。
その後先輩たちは県大会で負けてしまい。自分たちの代に。
とはいってもコオロギは初心者でしたので下っ端で必死でしたけど笑
そこからは地獄でしたね笑今まで甘い蜜しか吸ってなかったってのが正しい表現でしょうか。
夏休みは文字通り吐くまでやらされ、吐くまでやって
初心者なんてレッテルをはがすために必死になってやってました。
めちゃくちゃ叱られまして
めちゃくちゃ泣いてましたね笑
あの頃は辛かった。ちょっと後悔してましたし笑
それだけテニスって過酷なスポーツだと認識できた時期でもありますが。
でもそのお陰でその後にあったコオロギのデビュー戦。なんとか初試合初勝利を納めることができました^^
相手は今でも覚えてます。西部中の石浦くんでした。
あのときはすごく嬉しかったです。たしかその時点で半年もたってなかった気がする。
その後も死にそうになりながら頑張って。
ある種充実してましたね。
その後ペアが変わって橋本と組むことに。
橋本は声をすごく出して時々あほみたいに声を出してたから
つられて声出してたらいろんな学校に嫌な意味で注目されてましたね笑
その後練習試合をたくさんやりました。経験が少なかったのでただただやって、吸収に全力でした笑
その努力もあってか
最終的には郡大会では4つに残れ、
地区大会では団体で県大会に進めました
中学校のテニスで一番印象に残ってるのは
地区大会の準決勝でそのとき富山県代表に選ばれてたりもしてた斉藤・小林ペアと当たった時ですねやっぱり。
全力でやって、勝ち越し周りをして、楽しくて、笑顔で試合してました笑
最後は追いつかれて、追い抜かれて負けてしまったんですがね・・・^^;
その後に新田さんに
「テニス部に来てくれてありがとう」って言われたのを聞いて
あー頑張って良かったなって思えました^^
しかもその後、相手の早月中の山西先生から、
「お前が早月にいてくれれば全国にも行けた」って言われた時はさすがにいいすぎと思いましたが
嬉しくないわけないですよね笑^^
あと、桜井中の土肥先生(漢字合ってるかな)にも、冬の時
「高校がきまってないなら是非桜井高校に」
とも言われてましたし
早月の熊野に
「お前、世界一かにかまをおいしそうに食べるな」
と褒め言葉^^
中学でのテニスは結局1年と3ヶ月しかしてませんでしたが
非常に充実した部活動だと思ってます^^
最後にいろんな人に褒められて嬉しかったですし
県大会で負けた時
新田さんに「ありがとうございました」と泣きながらでも言えた事が今でも自分の誇りかも←
あの時逝ってなかったら高校でテニスしてないかも。
魚津高校に進学することになり、いざ入学してテニス部を見てみると素敵人物が勢揃い(笑)
先ほどいった代表選手の小林に、早月中として北信越大会に行った梅澤に
県二位になった実績のある按田、池田に
その昔スタイルの手本にした長山の桜井衆。
滑川中の主将だった長谷に
高志野で力強いプレーをしてた山口
それに上市から井藤、早崎、永原のレギュラー3人
さらに自分を含めた入中から3人に
他の競技からきた有望株たちと
総勢20人もの新入生が一同に会しました。
初めて顔をあわせたときはテンションが上がりましたね(笑)
それぞれが個性の強いやつでしたし、騒がしい代だったと思いますよ(笑)
魚津高校はソフトテニスは北信越になんだかんだかなり行ってたり、インハイで活躍した歴史もあったりと実は意外と名門っぽかった←
高一の頃は自分が中二から始めたのが仇になって周りとのレベルの差を痛感してました(笑)
でも先輩から教えてもらったりと
先輩の力にすがり付いてなんとか付いていけるように頑張りました(笑)
とはいえ
この世代は中学でなかなかの成績をあげていて
正直学年内だけでも上位に食い込むのは相当大変でした(笑)
その分かなり練習しましたが
ぶっちゃけ中二の夏のが全然きつかったからってのと
中1までやってた野球で基礎的な体はできてたってのとで
さほど辛くはなかったです^^
新田さんには本当に感謝してもしきれないんですよ
自分のテニスの師ですよまじで。
その後
夜にもテニスをしようってことで中二の頃にちょこっと行ってた三日市でのテニス教室みたいなのに久しぶりに参上。
そのあと二年生になるまでしばらくまたいかなくなりますが
このときに三日市にいって顔を覚えてもらえて本当に良かったです。
高一の夏は先輩方が引退してしまって
また自分にとって試練の夏でした(笑)
この頃にやってた練習はなかなかきつかった(笑)
そこからは特にこれと言うことはなく、というのも生徒会に所属したため部活を休みがちに。
テニス的にはここから二年の夏までの生徒会在籍期間はあんまり喜ばしいものではなかったのですが
それでも人生の中ならなかなかだいじなことですから間違ってないと自負してます。
でも今考えたらこの時期がなければもっと頑張れてたのかも・・・とか考えたら止まらないからやめます^^
一年の時はそのままなぁなぁで終わってしまいました・・・今考えたらまだ頑張れたな・・・
二年生になると一年生が入ってきました(当然
中学の時にかくの忘れてましたが
後輩ってでかい存在ですよね^^
先輩はテニスを上達する上では必要不可欠ですが
後輩は自己の向上に不可欠ですね
そんな後輩が入ってすぐ、先輩たちの引退試合が。
そのときの結果が忘れられませんね。魚津高校が出場枠4つのすべてを埋めたんですよ。
その一つにコオロギもいましたよ笑
しかも先輩たちは団体でも北信越。個人でも出場と最良の結果で引退していきました。
自分たちがこの人たちに追いつけるのかという不安がありましたが
自分なりにそこからは必死でしたね。三日市に復活したのは秋でしたね。
そこからは必死すぎてあんまり覚えてない笑
ただ言えるのは
引退したときは思いの外すっきりしてしまったこと。
その次に来たのはみんなにすごい迷惑かけたってこと。
松田さん(高校のコーチ)に感謝したいなってこと。
そして新田さんに今一度感謝したいなってこと。
なんかこうやってみると意外と
密度の濃いテニス人生ですね笑
でもこの引退に際していったんは離れますよ・・・
正直最後らへん適当なのは字数制限でケータイでかけなくなったから笑
二つ目の記事にするかも←
大学にいってもやってるのかなー
硬式とか別のこともしてそうだね
よーし反省会終わり!←なんか違