※Gen:例によって、思い付くまま、綴ってみる・・・

 

 

割と前から、個人の在り方について触れて来て居たが、最近になって、明確に表現して来る様になった KG 情報。これらを自分なりに、もの凄く簡単に要約したら、個人の在り方について『2つの軸』に絞られた。

1:足を引っ張る個々の悪想念
2:協力し合う前に自立が必要(共依存の克服)


未だ、世の中無茶苦茶度合いの進行が止まらないが、目に観得ない処で既に、土台になるものが変化して居り、そうなると、我々側で追い着いて行かないと恐らく、後々、個々にとって更に厳しい局面が顕在化して来るんじゃないかと(これは自分の考え)


 

  1:足を引っ張る個々の悪想念

 

これに関しては、ビックリする程、簡潔な対処方法が記載されて居た。大きな影響を出す『悪想念』を創出してしまう位なら、別の楽しい事を考える(或いは取り組む)事に全フリしろ、と。

 

非常に簡単に捉えれば、政治的思想等全く無関係に、本当の意味での『御花畑』の方が未だマシだ、と云わんばかりの内容だった。

 

  

 

『自分一人の』

悪想念位は』

『平気だろう』

 

と、云う考え自体が誤りで、本当は:

 

『自分一人の悪想念が』

とてつもなくデカい』

 

と、云う意味だろう。

 

それが数十億集まれば暗黒世界を支えるに充分な影響が出る。否、暗黒世界そのものを創り出す。

 

  

 

(程度の差こそあれ、自称スピリチュアリストなら)

(何故そうなのかの仕組み自体判ってなければ嘘だ)


だから、そんな事をするくらいなら、

嬉しい嬉しい愉快な事に取組め…、と。

 

  


只、世を憂い、アンテナを張って居る勤勉な人達の中で、その切替えが、上手に出来る人は一体何割居るだろう?


基地外染みた内容に次から次へと触れれば、義憤を覚えるのは至って健全な証拠。問題は切替えがちゃんとできるか?と云う事になるだろう。

 

怒りを覚えてしまったら?

 

少なくとも、その3倍は愉しい事に時間を費やしたい処(割合適当)

実際、この点は難しい処だ。見世物で在ろうが無かろうが、事件等含めて、世の中の動きは或る程度知って置かないといかんだろうと思う派であるのは自分も同じで、それを知る事で、身を護る事にも繋がるのは間違い無いのだから。

 

 

例えば、直近の実例で云えば、コロナ禍突入時直前から、病毒関連、そして一斉接種開始前から、注射関連のオドロオドロシイ内容ではあったが、情報を取って来たからこそ、人類史上最悪のロシアンルーレットに参加しないで済んで居る。

 

そしてこれが、ここ数年処か、恐らく、一生の内で一番大きな選択になった。それを振り返って考えれば、今の御時世、尚更、情報収集しない訳には行かない。

 

後は、如何に引きずらないで、都度上手に『自分の御機嫌を自分で取り』ながら行くしかない尤も、慣れて来ると怒りも湧いて来なくなるのも事実なんだが、、、)。

 

 

自分の場合の『中和方法』は、一番シンプルに音楽をBGMとして使う。心が安らぐ様なものを。愉しい動画等も好いが「ながら」が不可能になるので、やはり音楽に偏る。

とは云え、基地外染みた情報に触れれば、無反応では居られ無い。ロボットじゃないのだから。これに関しては、無理に抑圧しないで、できる限り怨念を込めないで、短く怒りを表明する(口に出す)。

 

なるべく論理的に怒りを表明する。どう云う意味かと云えば、例えば怒りを覚えて:

 

「〇ね!/ゴ〇!/カ〇!/チ〇!」

「/デ〇!/ハ〇!/ブ〇!/ゲ〇!」

 

と、云うのは、短いが殆ど只の『悪口』で、意味が大して伴わない。

 

『〇〇〇なんだから好い訳無いだろうバ〇モノ!』

 

とか・・・意味付け、理由付けを与えて居る。最後の一言が余計でも、意味は盛る様にしている。

 

自分の意思表明を入れると云う意味では、所謂アサーションとでも云うべきか・・・兎に角そこに『怨念』を込めない。割と近いのは、この動画かも知れない。


決してフザケて転載した訳じゃない

 

或いは、明るく爽やかに・・・

 

決してフザケて転載した訳じゃない

 

 

  2:協力し合う前に自立が必要:共依存の克服

 

 

 

『悪想念発信』と同じ位の大問題は、これだろう。

 

一言で云えば共生依存症

 

随分前は「アダルトチルドレン」と云う表現を使って居た。では、当時、随分と情報は出尽くして居る感があるのに、現在は激減しているのか?と云えば、残念ながら、そんな事は全く無い。寧ろ増加して居る感が在る。

それは、一体何故なのか?

 

虐待/虐めが消えないからだ。

 

これが自分の見立て。

 

被虐待者は、それを乗越えない限り虐待者になる。

必ずなる。乗越えてない為、断ち切れないからだ。

 

そして、その連鎖/悪循環』を産み出す。その過程で、躁鬱を始め、様々な精神的バグを産み出す。

 

ウツにはウィルスが原因だ、なんて情報を流していた日本の主流メディアがあったが、ウィルスのせいにできれば、自分と向き合わないで済むから、そっちに乗っかる人達も多いだろう。

(ウィルスのせいにして、信じさせれば)
(注射でまた金儲けができるかも知れない)


KG情報では『仕組まれてそうなって居る』旨が、記載されて居たが、全く同感だ。定期的にを撒けば、勝手に芽出し育ち連鎖/悪循環』を産み出してくれる。その為に、あらゆる分野で、あらゆる角度で分断工作を仕掛けられて居る、現在進行形で。

精神障害の診断と統計手引書(DSM)等、専門書を開けば、ありとあらゆる疾患名が掲載しているが、元を辿れば共生依存症に行き着いたりする。それだけを産み出してくれる要素なのだ。

自分から云わせれば、ほぼほぼ元凶は虐待/虐めだ。

虐待/虐めには、確か、、、種類が在った。

(随分前の記憶だけで綴るが…)

 

     

  1. 精神的虐待 - 心理的
  2. 肉体的虐待 - 暴力
  3. 性的虐待 - 性的で暴力の肉体的な要素とは別
  4. 情緒的虐待 - 雰囲気醸成
   


現在のは?と軽く調べたら、多少ブラッシュアップされて居たが、まぁ…内容が内容だけに、そう大しては変らない。

大事な事は虐待/虐めとは何ぞや?と云う事

 

難しい事は何も無い、単純な話だ。

 

『自分/自分達』『何等かの欲求』

『満たす為』に、相手を『利用』する事

 

そしてこの行為は、相手の尊厳を無視して、心に大きな傷を付け、肉体的に関しては、場合に依って直接殺してしまう事もある。

 

詰り、不躾で妖怪の様を抱えたサイコパスと、その亜種が、クダラナイ理由付けをして、柔和な者を貶める犯罪行為だ。少なくとも、自分はそう思って居る。

 

     

 

仮に、相手方が、先に攻撃して来て、これに反撃としてやったとしても、いつまでも引っ張るのは魔が差した異常者だ。

 

しかも、この『虐待/虐め』は、不躾な子供が存在する社会だけに発生する犯罪じゃない。大人だけの社会にも、この犯罪は存在する。しかも不躾な子供の部分を遺したまま成長しながらも、年月の経た分、下手に悪知恵を身に付けて居る為、性質が一層陰湿化する。

 

  

 


もし現在、被害を被って居る人が居るなら、、、ちゃぶ台返しをするなり、訴えるなり、その環境を変えるなりすれば好い。心身に永遠に近い傷を負うより、そっちの方がマシだ。

別の環境で、別の生き方を選択した方が、余程、今後の自分の為になる。

 


未成年ならば、家族や身内に理解を得て、死ぬ気で反駁するか、或いは、全力で環境を変えるかして、自分の心身を護るべきだと自分は思う。要するに八方塞がりの様に思える状況に陥って居ても、選択肢は他に未だ有ると云う事を知って貰いたい。

 

や、オーバードーズで逃げた処で、詰まる処、死ぬか、地縛霊の様に生きて多くの年月を棒に振るかのどちらかだから止めた方が好い。

 

たまに、反撃する事で、掌返しをして、仲良くしようと媚びて来るのが顕れるが、他人様に平気で、そう云う事をする性根を持つ輩には変り無くあなたの生涯の友にはなれない。慣れ合いは選択せずに、さっさと切り離して、独自の道を進むべきだと思う。友人や隣人は数では無く質だ。


更なる問題『虐待/虐め』の被害を被り、傷を負いながらも何とかやり過ごして、生き残れた人達だろう。しかし、生き残れたものの、もしその『悪夢の体験』を乗越えられずに居る場合は共生依存症に陥って居る事が多い。

 

大人と一括りにしても、若い層だけじゃない、高齢者にまで、その状態の人々は存在する。年齢性別は関係無い。

 

それも、この場合は、子供社会や、大人社会と云うよりも、

幼少期から、在ろう事か自身の家族/身内』によって被害を受けたケースが多い。本当に多いのだ。

 

     

 

結果、極端な『癖』を抱えて居たりする。有名なのは、摂食障害自傷行為、後は、パニック障害等、兎に角多岐に渡り「何等かの症状」を、抱えて居たりする。

 

    


そして、様々な人間関係で、そのバグを発揮する・・・

 

暴力被害を受けて居るのに、騙されて居るのに、関係解消の選択に尻込みする人達。この場合は交際途中だけでなく結婚後にもよくある。又、相手の家族の絆を破壊し、家系を汚すのを判って居るのに、止められない不倫/不義密通

 

    

 

ありとあらゆる偏った嗜好と性癖。小児性愛や、LGBTの類いも含む。もし知らない人が居るなら、調べて原因を突き詰めて辿れば、割と直ぐに判る事だ。

 

    


だから共生依存症の克服』・・・これについて、 KG情報で懸念するのは至極当然の事だ。個々が抱える後天的とは云え、本人には勿論、周囲にも重く圧し掛かる上に、その数も多過ぎるし、一朝一夕に即解消できる事ではないからだ。

これらを乗越え『精神的な自立』を果たした者同士が、協力して初めて『団結』と云えるものになる。それ以外は只の傷の舐め合い、或いは寄り掛り合いに過ぎない。

 

 


彼らは対面的に取り繕うのが非常に巧い。そして自らの力を発揮しないか、逆に行き過ぎた労働に身を投じたりする。本当の自分を基準にした物差しを持たず、相手や周囲の物差しに合せた基準を持とうとするからだ。

 

この様にして、彼ら傷負い人達は、その場凌ぎの体裁作りには非常に長け、似た者同士を嗅ぎ分ける優れた嗅覚を以て過し、それが為に悪循環から中々脱却ができないで居る。

 

彼ら傷負い人達が、そもそも悪い訳じゃないのだが、そうする事でしか生き残って来れなかったからだ。しかし、そこには常に、仮面を被った偽の自分の奥の存在を自ら見失って居る彼ら自身が居る。


だから、年齢性別を問わず嘘の自分の中に埋没し溺れて居る自分を見付け出し、自ら引っ張り上げて、自らが生命を吹き込んであげないといかん人達が沢山居る。

 

 

何故なら(特に今後は)、あなたの心は、あなただけの道具じゃなくなるのだから。癒して善用して貰わないと、全体が困る事になるからだ。




只、自分は断言できる。ロシアンルーレットの接種の選択をしなかった率よりも、少ない率でしか、脱却できない、と。

何故なら、作られた恐怖ではなく、自分の中に在る生々しい恐怖を意味付けしているモノに対峙しなければならなくなるからだ。(着手してしまえば大した事は無いのだが)

そして、これは或る意味『自分捜し』に成る事だが、実際は、自分の『外』に捜しに『出掛ける』のでは無く、自分の『中』に在る自分を捜さないと成し得ない事であって、その為に、この作業は他人様に、代金を払い『捜索願い』を出してやって貰える事では無く、ハッキリと目が覚めたシラフの状態で、本人自らがしかできない事なのだ。

 


では、どうやって?共生依存症の元凶、『虐待/虐め』傷の痛み』を解消するのか?、、、別に病院に行く必要は無いと自分は思って居る(下手の処に出向いて薬漬けにされたら本末転倒)。


『人知れず取り組める事』

可能な限り思い出し、思い出せた全ての事に徹底的に今の感覚で『意味付け』を行う。徹底的と云うのは、何度も行う事のが解消ができると云う意味感情が沸上がって来たらシメタもので、その場で吐き出せば好い。、、、
そう云う方法であるから、余計に独りの方が都合が好いだろう。

 

或る意味、悪想念かも知れないが、一生、出し続けるよりマシだ。トイレに入って排泄するのと同じで、その瞬間だけ客観的な立場を維持できれば上出来で、一々気にする事は何も無い。

 


飽きる迄、繰り返す。納得する迄、繰り返す。

 

『当時の自分』よりも、少し発達した『理性』を持って居る『今の自分』でしか、それをしてあげられる人は居ない。代理でやってくれる人は居ない。

 

『躁』でも鬱』でも無い、マイナス』でもプラス』でも無い、ゼロの状態』フラットな状態』『何も湧き上がって来ない状態』に成れる処を、自分の中で見付け出す。

 

身体と同じで、傷跡は完全には消えはしないが、痛みを消す事はできる。この取り組みでの過程は、或る意味、精神科医の、エリザベス・キューブラー・ロスが出した死の受容過程と似て居ると思う。

 


そして、これは KG情報 を理解しようとしてないと、判らない事ではあるが、今後は、その自己解消の取り組みが、今迄よりやり易くなる筈だ。多分(笑)。

 

  


眼に観得る処では、世界も日本も未だ未だ無茶苦茶な状況ではあるが、どう云う方向に行くのかは、もう決まって居る。そこに自ら歩み寄る速度を上げるのは、極々個人的な取り組みや、自分自身に対しての向き合い方次第で決まる。

 

これが、あなたとわたしの、今の時代に於ける、尤も重要な役割である事に気付く事も重要だと自分は思って居る。

 

その為「なんたらワーカー」やら「なんたらソルジャー」やら、虚栄心承認欲求(共生依存症を刺激して、自分の中に目を向けさせないトラップから抜け出さないと、そこに目を向ける事は決して無いだろう。

 

罠猟の猟師の様に、手を変え品を替え、罠を仕掛けられ続け、捉えられ続ける事ができれば、あれよあれよで、あっと云う間に、その人の人生の期間を喰い潰せる…、これで目隠しをした儘、盗るだけ盗ってリサイクルできると云う訳だ。

 

 

職業や収入を根拠としない、本当の意味での『最下層に居る地球人類戦争は、色んな段階が在るが、大衆である個人としてのレベルでは、自分に対しての向き合い方が、その戦争の具体的な内容になると、自分は思って居る。

 

しかも共生依存症からの脱却は、それで終りを意味しない、イロハの『イ』、あいうえおの『あ』、始りの『始り』であり、やっと真人間としてのスタートラインに立てる作業だ。もし本人が自分の中の深掘りを止めないならば、更に深く壮大なモノに繋がる可能性が待構えて居る。

 

 

そしてそれは、外から観て、派手さは全く無いものの、個人が奮闘して取り組むに充分に値する、ユニークで最も価値の有る事だ。何故なら、この世を卒業した時に、唯一持ち帰れるモノに属すからだ。

 

 

この感覚と記憶だけで

テケトーに綴った文を
毎回、飽きもせずに

コッソリ閲覧して

コッソリ閉じる(笑)

まっくろくろすけさん達へ捧ぐ