中国の覇権を止められる政治家は他に居ない…安倍元首相の死で、インドは国を挙げて一日中喪に服した
日本は「インド太平洋とクアッドの父」を失った
PRESIDENT Online:木村 正人 在ロンドン国際ジャーナリスト
安倍晋三元首相の逝去で、インドはいち早く全土で喪に服すことを宣言した。
ロンドン在住ジャーナリストの木村正人さんは
「安倍元首相は『インド太平洋』という」
「戦略概念を提唱し」
「インドの地政学的可能性を世界に広めた」
「インドでは」
「『インド太平洋とクアッドの父』と呼ばれ」
「その功績が絶賛されている」という――。
2015年12月12日、談笑する安倍晋三首相(左・当時)とインドのモディ首相(インド・ニューデリー)
首相在任中の政府専用機の飛行距離は赤道40周分
街頭演説中、元海上自衛隊員の男に射殺された安倍晋三元首相(享年67)は「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、米国第一主義のドナルド・トランプ前米大統領や今年ウクライナに侵攻して世界中を震撼させたウラジーミル・プーチン露大統領とも良好な関係を築いた。
中国、韓国との関係は改善できなかったが、地域の安全保障に貢献し「インド太平洋と日米豪印4カ国(クアッド)の父」と、アジアを中心にその死を惜しむ声が広がっている。
筆者にもベトナム人記者から
「訃報に接し、とても悲しい」
「あなたの国に哀悼の意を表する」
「彼はベトナムでとても人気があった」
と、追悼のメッセージが送られてきた。
香港から逃れてきた女性ジャーナリストは
「在英日本大使館で記帳してきた」
「香港では弔問の列ができた」
と話し、台湾の女性記者は
「台湾にとって頼りになる政治家がいなくなった」
と、打ち明けた。
新型コロナウイルスの発生が中国で報告されるまで、安倍首相(当時)を乗せた政府専用機の飛行距離は158万1281kmに達した。
「赤道上を、ほぼ40周したのに相当」し「訪れた国と地域は、差し引き80、延べでは176」にのぼったと、首相のスピーチライターだった元内閣官房参与、谷口智彦氏は著書『誰も書かなかった安倍晋三』の中で明かしている。
「政界のサラブレッド」の卓越した外交力
首相を務めた祖父・岸信介、大叔父・佐藤栄作、外相や官房長官を歴任した父・安倍晋太郎の血筋に生まれた「政界のサラブレッド」安倍元首相は2006年、52歳という戦後最年少の若さで戦後生まれの初の宰相となったが、健康が悪化し翌年退陣。
12年の総選挙で返り咲き、首相に再登板した。
通算の在任期間は、3188日に及び、歴代1位の長期政権となった。
靖国神社参拝や、森友学園への国有地売却を巡る公文書改竄、加計学園、「桜を見る会」問題など「政権私物化」の批判もあった。
しかしロナルド・レーガン氏と「ロン・ヤス」を構築した故・中曽根康弘氏、エルビス・プレスリーの『ラブ・ミー・テンダー』を歌ってジョージ・W・ブッシュ氏の心をわしづかみにした小泉純一郎氏を凌駕する外交力は驚嘆に値する。
第1次政権から提唱していた「インド太平洋」という概念
安倍元首相は第1次政権下の07年、インド国会で「二つの海の交わり」と題して演説し、インド太平洋という戦略概念を早くも提唱している。
冷戦中、米国は中国やパキスタンと、インドは旧ソ連との関係を深め、米印関係は冷え込んだ。
両国間には地政学上、根強い不信感が横たわっていた。
「私達は今、歴史的、地理的に」「どんな場所に立っているのだろうか」
「それは『二つの海の交わり』が」
「生まれつつある時と、ところに他ならない」
「太平洋とインド洋は今や自由の海」
「繁栄の海として一つの」
「ダイナミックな結合をもたらしている」
「従来の地理的境界を突き破る」
「『拡大アジア』が明瞭な形を現しつつある」
と、安倍元首相はインドに手を差し伸べた。
元々、04年のスマトラ島沖大地震を切欠に発足した日米豪印4カ国は「安全保障ダイヤモンド」を形作っていく。
今では基本的価値を共有し、法の支配に基づく「自由で開かれたインド太平洋」を目指すようになった。
「クアッド(4カ国)」と呼ばれ、今年2月には第4回外相会合、3月に首脳TV会議、5月に首脳会合が開催されている。
安倍元首相の提唱する「インド太平洋」の戦略概念は当初「曖昧で判り難い」と、余り重視されなかった。
しかし中国は軍事的に拡大し、南シナ海や東シナ海で領土的な野心をあからさまにしだした。
「インド太平洋」はオーストラリアやバラク・オバマ米大統領時代に「アジア回帰政策」を打ち出した米国を巻き込んでいく。
安倍元首相がインドで「特別な政治家」と言われる理由
インドの英字経済紙エコノミック・タイムズは「安倍晋三がインドにとって特別な存在であり続ける理由」という追悼記事の中で
「安倍元首相は普通の政治家ではない」
「日本が21世紀の経済大国としてだけでなく」
「インド太平洋地域の」
「地政学的課題に貢献できる国として」
「発展する為のビジョンを育んできた」
「稀有な政治家であった」と、絶賛している。
安倍晋三がインドにとって常に特別な存在であり続ける理由
印英字紙フィナンシャル・エクスプレスは「インド太平洋とクアッドの父」とその功績を称え、
「安倍首相(当時)の下」
「日本とインドは初めて」
「防衛・外交の2+2閣僚対話を行い」
「海洋安全保障」
「クアッド、インフラ分野での連携が強化された」
「インド太平洋において」
「インドは中国の覇権とバランスをとる為の」
「重要なプレーヤーとして認識された」
と、指摘した。
インド太平洋とQUADの父-安倍首相はインドのAct east政策に重要な役割を果たした
ナレンドラ・モディ印首相は
「傑出した日本の指導者」
「比較できないグローバルな政治家」
「印日友好関係の」
「偉大なチャンピオンである安倍晋三氏は」
「我々の世界からいなくなってしまった」
「日本そして世界は偉大なビジョンを失い」
「私は親愛なる友人を失った」
と、安倍元首相の死を嘆いた。
インドは国を挙げて一日中、喪に服した。
「安倍元首相との話し合いは」「知的刺激に満ちていた」
「新鮮なアイデアに満ち」
「ガバナンス、経済、文化、外交政策」
「その他様々な課題に関し」
「貴重な見解を持っていた」
「クアッド」
「東南アジア諸国連合(ASEAN)主導の」
「フォーラム、インド太平洋構想」
「アフリカを含めたインド太平洋での印日協力」
「災害に強いインフラ連合等」
「全て安倍元首相の貢献によるものだ」
(中略)
プーチン氏は西側との数少ない対話チャネルを失った
オバマ氏が土壇場でUターンしシリア介入を断念したことに「弱さ」を見てとったロシアのウラジーミル・プーチン大統領は14年2月、ウクライナ・クリミア併合を強行、東部紛争に火を放った。
安倍元首相は北方領土問題と平和条約の締結についてプーチン氏と、27回も会談を重ねる一方で、不動の日米同盟を築き上げた。
「安倍元首相は傑出した政治家で」
「両国の良き隣人関係の発展に多くの功績を残した」
「この重く、取り返しのつかない損失に」
「直面しているご家族の強さを祈ります」と伝えた。
プーチン氏は、ウクライナ侵攻で敵対する西側との数少ない対話チャネルの一つを失った。
ドイツのアンゲラ・メルケル首相(当時)は国内総生産(GDP)の2%という北大西洋条約機構(NATO)の防衛費目標を無視し、バルト海の海底を通ってロシアの天然ガスをドイツに送るパイプライン計画「ノルドストリーム2」を進め、トランプ氏を激怒させた。
エマニュエル・マクロン仏大統領に至っては「NATOは脳死状態」と呼び、綻ほころびを露呈させた。
バイデン氏は米欧関係の修復に努めたものの、プーチン氏の冒険主義を止めることはできなかった。
ロシア産原油・天然ガスに依存する独仏伊などの欧州主要国はロシアがウクライナに侵攻しても、いずれ妥協するとプーチン氏に思わせてしまったからだ。
プーチン氏との対話を重ねたマクロン氏には安倍元首相のような用心深さとしたたかさはなかった。
「日本と米国は共に相対的に衰退している」
14年7月、安倍元首相は一定の条件下で集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更を決定した。
「他国への武力攻撃でも、わが国の存立を脅かすことも現実に起こり得る」として厳しい要件を課した上で集団的自衛権の行使を限定的に認めた。
「台湾有事」に備え、日米同盟を更に強固にしておく狙いがあった。
米紙NYタイムズで東京支局長を務めた事もある知日派デービッド・サンガー記者は同紙に
「安倍元首相が、米国が戦後制定した」
「日本の現行憲法に基く制約を」
「緩和しようとしたのは」
「日本が且つて無い程」
「同盟国の米国を必要としていることを」
「認識していたからだ」
「同盟を結ぶということは」
「相互に防衛の義務を負うということだ」と書く。
「安倍元首相は」「日本政治に詳しい」
「米マサチューセッツ工科大学の」
「リチャード・サミュエルズ教授が言う様に」
「『日本と米国は共に相対的に衰退している』為」「その才能と資源を」
「組み合わせなければならないことを」
「知っているようだった」
「そして」
『この関係はうまくいかなければならない』
「と安倍元首相は結論付けた」と結ぶ。
占領下に定められた現行憲法では日本の防衛も非常事態の対策も駐留米軍が行うことになっていた。
自衛隊を創設するなど、憲法も解釈の変更に継ぐ変更を重ねてきたが、とうに限界が来ている。
米中逆転が迫る中、日本も米国をサポートするため、戦力不保持をうたった憲法9条を改める時が来ていることを安倍氏は繰り返し、訴えてきた。
「記録的な在任期間によって大きな存在感を示した」
1990年代の金融バブル崩壊を予見した日本ウオッチャーとして知られる元英誌エコノミスト編集長でシンクタンク、国際戦略研究所(IISS)理事長のビル・エモット氏は筆者の取材にこう答える。
「安倍元首相の暗殺は」「政治的な名声や卓越性の為に支払われ得る」
「恐ろしい代償の一例だ」
「彼の歴史観や、メディアや学者・知識人の」
「言論の自由に対する」
「安倍政権の権威主義的なアプローチは」
「しばしば物議を醸した」
「しかし何よりも」
「その記録的な在任期間によって」
「歴代首相より」
「遥かに大きな存在感と名声を得る事ができた」
「安倍元首相の遺産は」「経済や社会の改革よりも」
「外交や防衛政策の方が圧倒的に多いと」
「私は考えている」
「安倍政権はインド太平洋全域において」
「民主党の前任者や自民党の歴代首相よりも明確で」
「より断固としていて一貫した」
「そして何よりも」
「積極的な日本の姿勢と評判を作り上げた」
と、評価する。
「国家安全保障会議の創設や」「包括的かつ先進的な環太平洋連携協定(TPP)の」
「復活と再創造の成功は」
「特に目立つイノベーションであるが」
「何よりも安倍氏の精力的な外交と」
「長きにわたる任期によって」
「より前向きな姿勢が作り出された」
「彼の外交・防衛政策こそ」
「後世に残るものであり」
「新しい時代の幕開けと見なされるだろう」
「岸田首相は安倍元首相の恩恵を受けることになる」
「安倍元首相の遺産が」「ウクライナ侵攻に対する」
「現首相の驚くほど果断で」
「首尾一貫した対応の基礎となっている」
「岸田首相が日本の防衛予算を」
「NATO目標のGDP比2%にまで」
(NATO基準で現在1.24%)
「引き上げる事に成功する可能性は非常に高い」
「それは実質的に」
「安倍元首相の仕事を継続する事になると同時に」
「その恩恵を受けることになるだろう」と言う。
しかし、国内政策に対しては手厳しい。
「対照的に安倍氏の国内政策は教育基本法」
「コーポレートガバナンス改革」
「過労死と搾取を防ぐための労働法改革など」
「日本が変化したのはごく一部であった」
「彼の経済政策」
「『アベノミクス』は構造改革もなく」
「日銀を政府支出の為の」
「直接的な資金調達手段とした」
「積極的な金融緩和だけで」
「殆ど期待外れのものであった」