人間の愚かさの5つの基本法則
2021年11月05日(金) 担当:ニュース編集部Tags: Carlo Cipolla, Dangerous, Group Think, ignorance, Mind, Psychology, rationality, satire, society, stupid, theory of stupidity
愚かな者達は、マフィアや軍産複合体、国際共産主義者よりも恐ろしい。
彼らはリーダーや規範を持たない組織化されていない集団だが、にも関らず、観得ない手に導かれる様に完璧な調和を保って行動している。
「世界で最も自然な事をしているかの様に唇に笑みを浮かべながら、バカはふとした瞬間に現れて、あなたの計画を台無しにし、平穏を破壊し、生活や仕事を複雑にし、お金、時間、ユーモア、生産性を失わせます。Stupidly」
これは、パヴィア大学とバークレー大学で教鞭をとり、歴史上の過疎化を分析した学術論文を発表した経済史の有名な教授、カルロ・チポッラの言葉ですが、風刺的なニュアンスを含んだ人間の愚かさについての論考『人間の愚かさの基本法則』に凝縮された「愚かさの理論」のお陰で、後世に伝えられました。
1. 常に、そして必然的に、私達一人一人が、世の中の愚かな個人の数を過小評価している
世の中に愚かな人間がいることはよく知られている。しかし、チポラは、私達が生活や社会における彼らの数や影響力を過小評価していると確信していた。彼は「どんな数値的な見積もりも、過小評価であることを証明するだろう」と述べています。
例えば、私達が知的であると分類していた人達が、突然、愚かで鈍重な行動を取り始めたと考えるだけで十分です。また、街に出れば、愚かさ以外の明確な理由もなく、私達を邪魔しようとする人がどれだけいるかを知るだけでも十分です。
2. ある人が愚かである確率は、同じ人の他のどんな特徴にも依存しない
Cipollaは、愚かさは金髪や黒目のようなもう一つの特徴であると確信していました。従って、社会の全てのサークルに多かれ少なかれ似たような割合で分布しているのです。彼は、大学を構成する4つの大きな層であるビードルス、従業員、学生、教師の愚かさのレベルについての研究を引用している。この分析では、教育レベルが幾ら上がっても、愚かさの分布は一様であることがわかった。
「エレガント・サークルを実践しようが、ポリネシアの首切り族の中に逃げ込もうが、修道院に閉じこもろうが、美しい女性と一緒に余生を過ごそうが、常に同じ割合の愚かな人々に直面しなければならないという事実に変わりはない」と結論付けている。
3. 愚かな人間とは、自分の利益を得る事なく、他人や集団に危害を加えたり、自分が損をしたりする人間の事である。
Cipollaは、愚かさを知的指数の問題ではなく、むしろ関係的知性の欠如であると考えました。彼は、お互いに関係することで、自分や他人に利益を得たり、逆に自分や他人に害を与えたりすることができるという考えから出発しました。愚かな人間とは、他人にも自分にも害を与える人間である。
彼の行動は不合理で理解し難いものですが、たとえ何も得られなくても、自分の行く手を阻み、困難や不満、偏見を生んだ人を一人以上覚えているのではないでしょうか。
彼の愚行論によれば「在りもしない行動で、人に危害を加えるだけでなく、自分自身にも危害を加える人間がいる。この人達は、超バカというジャンルに属する」
4. 非バカな人は常にバカな人の有害性を過小評価する
Cipollaによると、私達は愚かな人々が象徴する危険性を絶えず忘れているという。彼は『合理的な人々は、愚かな行動を想像し理解する事が難しいため、愚かな人々は危険であり不幸である』と言っています。
一般的に、彼らの攻撃は私達の意表を突くものであり、被害を受けたとしても、その攻撃自体が合理性を欠いている為、合理的な防衛策を講じることは困難です。彼らの力を過小評価する事で、私達は無防備な状態になり、従って彼らの予測不可能な行動に翻弄されることになります。
また「バカは自分しか傷付かない」「自分はバカとは無縁だ」という考えに陥る事もありますが、この様な考えでは、自分の甘さとバカさを混同してしまい、自分が無敵だと思い込んで防御力を低下させてしまいます。
5. 愚かな人間は存在する中で最も危険な人間である
「全ての人間は、4つの基本的なカテゴリーに分けられます:」「素朴な人、知的な人、邪悪な人、愚かな人[...]」
「知的な人は、自分が知的である事を知っています」
「邪悪な人は、自分が邪悪である事を知っている」
「素朴な人は、自分が素直である事を痛感している」
「これらのキャラクターとは異なり」
「バカは自分がバカである事を知りません」
「この事が、彼の壊滅的な行動に」
「より大きな力、発生率、効果を与える事に貢献している」
「愚か者は、自意識によって抑制される事はない」
とチポラは書き、人間の愚かさの最後の基本的な法則を示している。
Cipollaは、4つのタイプの人間を、誰が自分の行動に利益をもたらすか、あるいは害を与えるかを考慮して、このグラフに表しています。
また、
「通常、限定的な損害しか」
「与えない愚かな人もいるが」
「1人や2人の個人だけでなく」
「コミュニティや社会全体に」
「甚大な損害を与える愚かな人もいる」
と、警告しています。
「愚かな人間の傷付ける能力は」
「その人間が社会の中で占めている」
「権力や権威の位置に依存する」
「知性と愚かさは相反するものではなく」
「愚かさは知性の欠如でもない」
「しかし、知性とは」
「人間の全てを構成する愚かさを支配しようとする」
「或いは逃れようとする継続的な試みの産物であり」
「多かれ少なかれ失敗するものである」
と、マタイス・ヴァン・ボクセルは書いています。
人にレッテルを貼るだけでなく、愚かさを表すリスクを理解する事が重要です。
私達は、自分の行動や言葉の範囲を測らなければ、愚かな行動をとる事があります。
批判的思考を身に付けず、必要な内省を忘れてしまえば、私達は愚かさの犠牲者となり、それに苦しみ、それを行使する事になります。
エトヴェシュ・ロラーンド大学で行われた非常に興味深い研究は、人間の愚かさの3つの原因を決定する自意識を得る為の別の手掛りを与えてくれます。
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1. 無知または過信。愚かさの度合いが最も高いもので、リスクに直面するのに必要なスキルや知識が無いにも関らず、あらゆる種類のリスクを冒す人に見られます。
2. コントロールの欠如。中程度の愚かさで、自制心が無く、最初の衝動に身を任せて行動する衝動的な人に対応します。
3. 注意力散漫。これは、注意を払わなかったり、十分な資源を割り当てなかったりして、無駄な努力をした為に何かを達成できなかった人に現れる、最も軽い程度の愚かさです。
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