【シオンの議定書】#20

□経済計画□累進税□累進税印紙□利付き債券と通貨不振の大蔵省□財政の方法□儀礼的宴会の廃止□資本の沈滞□通貨発行□金本位制□労働力の基 □準原価□予算□国債□パーセント、利益□産業分布□ゴイムの支配者、寵臣とメーソン代理人

 

 

今日は財政計画の諸問題を取り上げる。

 

この問題は扱いが最も難しく、我々の計画の中では最高かつ決定的に重要なので、私の報告の中では最後に述べる事にしておいた。


本論に入る前に想起していただきたいのは、私が既にヒントとして提示しておいた事、我々の活動の総括は数字の問題として現わせるという事である。 

我々の王国が実現した時には、我等の専制政府は、自衛の為に賢明にも、人民大衆には税の負担をかけない様にする


これは、我々の政府は父親や保護者の役割を果たすという事を想起していただきたい。


さりながら、国家組織には莫大な金がかかるのであるから、必要な資金は確保する必要がある。


故に、格別細心の注意を払って、この問題に関しては適切な課税方式を定めなければならない。 

我等の王は、法的な形では国の資産は尽く王が所有者であり(形だけでなく実際にも容易にそれが適用できる)、国内流通を規制する為にはあらゆる資産の総額から合法的に徴収する事ができるのである。


この事から、課税は累進課税方式で徴収するのが最も宜しいと云う結論になる。


そうすれば資産総額の何パーセントという形で支払うべきものが支払われ、何人も困窮したり破産したりする事がない。


富める者は、税金を払えば残りの金は国家が財産不可侵権で保障してくれ、なおかつ正直な利益を保護してくれるのだから、余分な金の一部は国家に御自由にお使い下さいと差し出すのが義務であると考えなくてはならないのである。


私は今、「正直な」と言った。


これは財産をしっかり監督すれば、法律でいう泥棒を駆逐するという事を意味している。 

社会改革は上記の事から始めなければならない。


その時は熟している・・それは安寧の印として不可欠な事である。 

貧しい者課税する事は革命の種を蒔く事になって、小を追って大を逃し、国家の損害となる。


そんな事とは全く別に、資本家に課税するのは、個人の富の増加を防ぐ事になる。


我々が昨今資本家の手に富を集中させたのは、ゴイム政府の力・・国家財政・・が強くならない様に、平衡力をつけるためであった。 

資本の高に対して累進課税を課すると、現行の個人課税や資産課税よりも遥かに大きな収入となるが、現在の課税方式はゴイムの間に不満と反抗を起こさせるという理由でのみ、我々には必要なのである。 

我々の王は、均衡を保つ事と安寧を保証する事に強みがある。


それが為には、資本家達は国家機関を正常に動かす為に自分の所得の何分の一かを投げ出す事が絶対に必要なのである。


ゆとりのある人々は公共の必要を賄わなければならない。
 
そう云う事が行われると、貧民は富豪を怨まなくなり、富める者は国家維持にはなくてはならない財政的支柱であり、国家に必要なものを支払っているからには、安寧福利の守り役であるという事が解ってくるのである。 

知識階級の納税者に新体制の納税方式にあまり不平を言わせない様にするには、公費の細かい支出を見せてやるが、王室費と行政費とは例外である。 

全てを支配する王には、国家の全てが王の財産であるから、王個人のものと称する財産は何もない。


と言うと矛盾があるが、実はある方法で、実際には普通の意味で国家の全てを所有するという事は出来ない様になっている。 

国家資産で扶養する王の妻子は別として、統治者の親族は国家公務員になるか、資産を得るべく働かなければならない。


王の血族だからといって、国庫に属するものを私する権利があってはならない。
 
販売、所得、相続には、累進課税印紙を支払わなければならない。

 

所有権を移転するときには、動産であろうと不動産であろうと、姓名を記載した印紙による支払の証拠がなければ、最初の所有者は移転の宣告が発覚した日からの利息を支払うのである。 


売買物件登録は、新旧の所有者の住所・氏名を付して、毎週大蔵省地方支所に届出しなければならない。


この姓名付き登記は所定の金額を超える場合から始め、通常の日常品売買には一定単位ごとの所定パーセンテイジの印紙税を支払えばよろしい。 

この様な方法だとゴイム政府の収入の何倍になるか計算してみていただきたい。
 
大蔵省は一定額の予備金を確保し、それを超える徴収額は全額流通に還元しなければならない。


その還元額は、公共事業に当てる。国庫から資金が出るこの種の事業は、国家が企画実施するのであって、これにより労働者階級の利益と彼等を支配する国家の利益とが固く結び付くのである。


この資金の一部は、事業の発案者や施行者に与える報償金にも当てる。
 
国庫には、たっぷりと確保した所定の予備金のほかには、例え少額であっても決してよけいな金を置いておいてはならない。


金というのは流通させるべきものであって、およそ流通を妨げる事は全て国家機構の運営には支障を来たす


それは潤滑油の様なものであり、潤滑油が滞った日にはよどみなく活動すべき国家機構が齟齬を来たす。
 
貨幣の代用紙幣を使う事が、確実に流通を阻害した。


この状況が続いてどういう事になっているかは、既に明らかナる。 

我々は王が直轄する会計検査院を設ける。


そこでは王がいかなる時でも、まだ決算されていない当月分とまだ発生していない翌月分は別として、前月までの国庫の収入支出状態を親しく検査できる。
 
国庫から盗んでも何の利益にもならない唯一の人間は、その所有者であり、王である。


これによって紛失や浪費の可能性を封じる事ができる。 

支配者の代表的な行為に、儀礼のための宴会というのがあるが、これは貴重な時間を浪費するものであるから、王に統括と熟慮の時間を確保する為に、宴会は一切廃止する。


王の力は、きらびやかな王位を取り囲み、自分の事しか考えず国家の問題なぞ念頭にない取り巻き連中にかしづかれ、取るに足らない事に時間を割かれるべきではない。 

我々がゴイムの間に作り出した経済危機では、流通貨幣の引上げ程効果のあるものはなかった。


国内から貨幣を引き上げると巨大資本は停滞し、不足した資本は借金に頼らざるをえなくなる。


この借金というのが利息が嵩むものだから、これらの資本は国債の奴隷となる……小さな親方達の手から資本家の手に産業を集中すると、全人民が、そして国家も活力を失ってくる。 

一般的に言って、現在の通貨発行は国民一人当りの消費に相応していないので、労働者の必要を満たす事ができない。


通貨発行は人口増加に相応すべきであり、子供は生れたその瞬間から一人前の消費者であると計算しなければならないのである。


通貨発行量の変更は世界中どこの国でも重大問題となっている。
 
御存知の様に、金本位制を採用した国々は危殆に瀕している。


我々が流通している金を出来る限り引き上げるものだから、通貨の必要を満たす事が出来なくなっている。
 
我々は紙でも木でも構わないのだが、労働力の価値に見合う通貨を作らなければならない。


我々は国民の必要に応じて、詰まり、人が生れれば通貨発行額を増加させ、死ねば減少させる。 

各官庁各地方(例えばフランス行政部)の財政は、それぞれが運営管理する。 

国費の支払に遅延を来さない様にする為には、支払日と支払額とは王の命令で一定に定める必要がある。


これにより、ある省の大臣だけが便宜を得て、他の部門は迷惑するという様な事が起こらない様にする。 

収入予算と支出予算とは、両者が隔絶する事がない様に比較点検しつつ実施する。 

我々が計画したゴイムの財政制度と原理の改革案は、誰も肝を潰さない様に衣をかぶせてある


我々は、ゴイムがしでかした不始末によって財政に撒き散らした混乱の結果、改革が必要である事を指摘する。


我々が指摘する第一の不始末は、次々と起こる原因で年々膨れ上る年次予算に初めから仕込まれている。


その予算は、上半期まではダラダラと行われ、それから補正予算を要求し、3ヵ月位かかって補正予算を作ると、もう清算予算を出さなければならない時期になって終りである。


だが、翌年の予算前年の総支出に基くので、経常の必要よりも年間50パーセントにも達し、十年も経つと3倍に膨れ上る。

ゴイ政府の無頓着なやり方のお蔭で、国庫はついに空になる。


ここで国債時代が始まるのだが、国債は国庫以外のものまで呑み込み、かくてゴイ国家全部がご破産となるのである。
 
先刻御承知であろうが、この様な財政管理法は、我々がゴイムに授けた方法であって、我々がこれを実行する事はできない。 

国債はどんな種類であろうとも、国家が脆弱であり国家機能を理解する事すら欠如している証拠である。


国債は支配者の頭の上にぶら下っているダモクレスの剣のようなもので、支配者は国民から税金を取る代わりに、我々の銀行家に掌をさしのばして憐れみを乞う様になる。

外債は国家の体に取りついているであって、蛭の方で自然に落ちるか、国家が叩き潰しでもしない限り取れるものではない。

だが、ゴイの国家はこの蛭を払い落とさない。


行き着く先は減亡というところまで、ますます取りつかせ太らせ、最後は失血して自ら死を招くのである。
 
細かい点は別として、国債とは、取分け外債とは何であるか? 


国債とは・・発行総額に比例して利息が上って行く、政府発行の手形である。


仮に国債に5分の利息が付いているとすると、20年間に国家は国債総額と同額、40年間にその2倍、60年間に3倍の利息を払い、なおかつ借りた分だけが未払のまま残るのである。
 
この計算を見れば明らかな様に、どういう徴税方法かで一人当りから徴税すれば、国家は富める外国人に利息を払う為に、貧しい納税者から最後の小銭まで巻き上げずに済むのに、余計な利息など払わずに必要な額を調達すべく小銭をかき集める代わりに、富める外国人から金を借りてしまったのである。 

国債が内国国債であるうちは、ゴイムは貧民の懐から集めた金を富豪の懐に収めただけだったが、我々が特定の人間を買収して、国債を外国に売らせる様にしてからは、国家の富は全て我々の金庫に流れ込み、ゴイムというゴイムは我々に国民を貢物として差し出したのである。 

ゴイの王者達の国務に対する浅薄な態度、大臣達の腐敗、国政を預る者達の財政問題に対する理解の欠如が、彼等の祖国を我々の金庫に対する払い切れない程の巨額の債務者にしてしまったが、それは我々の側の労力と金銭の多大な出費なしには容易にできる事ではなかった。
 
我々は貨幣の流通にはなんらの障碍も許さないから、1%物を除いては利付き国債は発行しない。


従って、国家の力を吸い取る吸血の蛭どもに利息を払う事がない。


利付き公債発行権は専ら、利益から利息を払う事が無理でない工業関係の会社に与える。


国家は、会社の様に借りた金で利益を収めるのではない。 


国家は消費の為に金を借りるのであって、運用資金として借りるのではない。
 
政府もまた工業公債を買うけれども、政府の立場は現在の様に配当を払う債務者ではなく、利息を受ける債権者の立場になるのである。


この方法ならば、貨幣の流通停滞や奇生資金や遊休資金をなくせる。


これらはいずれも、ゴイムが勝手にやって我々の支配に従う気がない限りは、ゴイムに対する有効な手だてだったのである。 

ゴイムの頭というのは、思考力の発達していない事にかけては、全く野獣並みである事が明々白々ではないか! 


彼等は、我々から利子付きの金を借りている。


その元利を返そうと思えば、国庫から取り出す以外に手はなく、結局また我々から借りなければならず、どうあっても我々の懐に戻るという事を考えても見様としないのである。


彼等が必要とする金は、人民から取り立てた方がはるかに簡単であったのに! 

だが、ここにこそ我等選ばれたる民が天才である事の証しがある。


我々は、その方法ならば彼等の利益になるかの様に彼等に持ちかけて来たのである。 

時至り我等が会計を提示する場合には、我々がゴイ政府に対して幾世紀に渡って行ってきた経験に鑑みて、明白かつ決定的な内容とし、我々の新制度の利益になるものである事が万人に一目で判る様にする。


その予算は、我々がゴイムを従属させる為に多用した方法は全て打ち切り、我々の王国においてはかかる方法は微塵も許さない。 

我々は王であろうと最下級公務員であろうと、如何なる些少な金額でも、あらかじめ決められた支払先以外の所には支払われぬ様に会計方式を立て厳重管理する。 

明確な計画なしには、統治は不可能である。


英雄や半神といえども、どこへ行くかも解らない道を、十分な金の準備もなしに旅立てば、失敗するほかはないのである。 

ゴイの支配者達は、かつて我々が助言したとおりに、国務を怠って各国代表達との宴会や儀礼、歓楽にふけっていた。

彼等は我々の支配が目に見えない様にする衝立に過ぎなかった。


王達に代って寵臣達が書いた回顧録なるものは、実は我々の代理人が書いたのであるが、そこには決まって将来の経済と繁栄が約束されていたので、皮相的にしか物を考えない人間達を満足させた……が、何の経済の事か? 


どんな新税を?・・我々の回顧録や計画を読めばそう云う問が出てくる筈なのに、誰一人として質問しなかった。 

彼等の人民は驚くべき程勤勉なのに、彼等が途方もない財政的混乱に陥った原因が、そのうかつさにあった事は、諸兄はよく御承知の事と思う。